浅葱色の桜

初音

文字の大きさ
上 下
37 / 205

他流の男①

しおりを挟む
 万延元(一八六〇)年 初夏

 ツネが嫁いできて少しした頃である。さくらとツネはよく一緒に家事をするようになった。思った通り、と言ってはなんだが、ツネは物静かな女で、こちらから何か言わなければ発言をすることはめったになかった。
 ――まあ、いい嫁さんといえばそうなのだが…
 さくらは洗濯物を干しながら、同じく隣で洗濯物を干すツネを見た。
「おツネさん、ここの生活には慣れました?」
「えっ」ツネは話しかけられたことにびっくりした様子で、少し間を置いてから「はい、姉上様」と答えた。
 ――か、会話が終わってしまった…
 気まずい沈黙が流れる中、さくらは次の言葉を発した。
「楽しいですか?」
「ええ」
 ――ま、また会話が…
 またしても気まずい沈黙の中、さくらはさっさと家事を終わらせて道場に行こうと作業の手を早めた。
 すると、背後の柵の向こうから「もし」と男の声が聞こえた。
「はい、なんでしょうか」ツネがここ何分かで一番長い台詞を言うと、近くの木戸を開けた。
「ちょっと、おツネさん」さくらも慌てて木戸の方に行き、男の姿を見た。
 色白で、少し丸顔の優男だった。
 肌がきれいだ、というのがさくらの第一印象だった。何しろ、剣術道場に出入りする男共は汗だくの印象がつきまとう。だが、この男はそんな汗水たらして、なんていうものとは無縁のように思えた。
「突然申し訳ありません。こちらは天然理心流の試衛館道場で間違いないでしょうか?」
「ええ、その通りですが」ツネが答えた。
「よかった。他流試合を申し込みたく参りました。主の方はいらっしゃいますか」
 さくらはその言葉に面食らった。
 ――他流試合?こんな優男がどういうつもりだ?
「おツネさん、とりあえずここを頼む」

 さくらは急いで周助の元へ向かった。
「父上、表に、他流試合を申し込みたいというお方が来ているのですが」
「他流試合だあ?随分と久しぶりだなぁ。ちなみにどこの流派だ?」
「申し訳ありません、聞きそびれました。ただ、大人しそうな男でして、まあそこまで恐れることもないかと…」
「さくら。いいか。そういうやつほどなめちゃ駄目だ。とりあえず、総司出させろ」
「わかりました」
 周助はふっと息をついた。
「総司、さくら、勇で戦って、全員負けたら戻ってこい」
「父上、まさか全員負けるなど…」さくらは鼻で笑ったが、後に周助の発言があながち間違いではなかったことを知るのだった。

 道場にいた総司と勇に事情を話すと、総司はすぐに準備を始めた。
「他流試合なんて、腕が鳴りますね~」のん気にそんなことを言いながら、総司は防具を身につけた。
「まあ、総司の強さであれば、たいていの輩は大丈夫だろう」隣で様子を見ていた源三郎が言った。
 やがて、ツネに案内され、くだんの男が道場に現れた。
「試衛館塾頭・沖田総司です。手加減は致しませんのでそのつもりで」総司は男を真っ直ぐに見て挨拶した。
山南敬助やまなみけいすけと申します。お見知りおきを」
 山南と名乗った男も、防具を身につけると、道場の真ん中に立った。
 歳三や稽古中だった他の隊士も、周りを取り囲むように座り、この珍しい試合の行方を見守った。
「始め!」審判を買って出た源三郎が合図をし、二人は同時に動いた。
 さくらは目を見張った。あの優男のどこにこんな力強さが、と思った。
 しかも、力強いだけではない。しなやかな動きで総司の剣を紙一重でかわしている。紙一重なのだが、焦りや必死の様相が見えない。一種の余裕が感じられた。
 やがて、山南は総司の突きをかいくぐると、鮮やかに胴を抜いた。
 その場に沈黙が流れた。
 そして源三郎が、思い出したように山南側の腕を上げた。
「一本!」
「ま、参りました…」総司はか細い声でそう言うと、蹲踞そんきょの姿勢を取り木刀を納めた。
 面を外した総司の目には今にも涙が溢れそうだった。
「総司が負けた…?」歳三が息を飲んだ。
 道場中がざわめいた。防具を外した総司はこの世の終わりといったような顔でさくらの隣に座り込んだ。
「姉先生…お願いします…」総司は蚊の鳴くような声で言った。
 さくらは深呼吸した。
 ――総司を負かした相手に私が勝てるのか…
 そんな思いが一瞬よぎったが、すぐに振り払い、防具を身につけ山南の前に立った。
「あなたは先ほどの…失礼、お女中の方かと…」山南は目を丸くしてさくらを見た。
「天然理心流三代目宗家・近藤周助が娘、試衛館師範代のさくらと申します」きっちりとした自己紹介を終えると、面をつけて礼をした。
「始め!」再び源三郎の声が道場にこだました。
 先ほど傍目で見ていた通り、山南の動きはなめらかだった。一つ一つの所作が美しい。試合中にもかかわらずさくらはそんなことを考えてしまった。
 天然理心流にも型や所作の教えはあるが、どちらかといえばとにかく相手を倒すことが最優先で、このようなきっちりとした身のこなしは二の次であった。
 山南が上段から振りかぶってきた。さくらははっと我に返り、鍔迫り合いの格好になった。そして二人は同時に間合いを取った。というよりも、さくらがはねとばされたと言った方が近かったかもしれない。
 その一瞬の差、場を支配していた山南に勝負の流れは傾いてしまった。
 どん、と音がし、さくらは尻餅をついた。目の前には山南の木刀の切っ先が突きつけられていた。
「ま、参りました…」
 総司と同じ台詞を吐き、さくらは山南の顔を見た。二人連続で戦ったというのに、その顔は涼やかだった。
「お強いのですね」山南に声をかけられ、それはこちらの台詞です、という気持ちをこめて「あなたの方こそ」と答えた。
 三戦目、いよいよ勇の出番となった。
 さすがに疲れが出たのか、対総司戦の時よりも若干動きが遅い、とさくらは試合を眺めながら思った。
 ほんの少しの時間で、勝負はついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−

皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。 二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...