浅葱色の桜

初音

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祝言③

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 一方、さくらは酔いを覚まそうと誰もいない道場の縁側に横になって寝転んでいた。
 今日は晴れの日だからと一張羅の振り袖を着ていたが、大きな帯と久々にしっかりと結った島田髷がすこぶる邪魔であった。もはやそんな着物も髪も崩れるなら崩れてしまえと、さくらは夢と現の狭間にいるような、眠るような起きているような心地でぼーっとしていた。が、突然の物音に飛び起きた。
「うわっ」
 起き上がって振り返ると、歳三がそこにいた。
「なんでお前がここに」さくらが言った。
「水を汲みにだ。総司が潰れて寝てっからな。道場通り抜けた方が井戸が近いだろ。お前こそこんなとこで何してんだよ」
「私は酔い冷ましにな。風が通り抜けて気持ちいいぞ」
 歳三はハァ、と息をつくと「ったく、どいつもこいつも慣れねぇ酒がぶがぶ飲みやがって」と言ってさくらの隣に腰掛けた。
「別に、そんなに飲んだ訳じゃない」さくらはポツリと言った。
「飲んでただろうが」
「そうか…そうかもしれないな…」
「いやに素直だな」
「酒のせいかな」
 さくらはぼんやりと月を見た。月はちょうど半分欠けていた。
「きれいだなぁ」

 歳三はふとさくらの横顔を見た。酒が抜けきらないのか、普段しない化粧のせいなのか、頬が赤くなっている。
「なんでそんなに飲んだんだよ」歳三が再度聞いた。
「ばかやろう、そんなのめでたいからに決まってるじゃないか」
 さくらは少し黙ったあと、ぽつりと言った。
「勇は今頃、ツネさんといるんだなぁ」
「当たり前だろ。あの二人は今日から夫婦だ」
「うん。そうだ。そうだな」
 歳三はもう一度さくらの頬を見た。今度は月明かりに反射してきらりと光った気がした。
「…泣いてるのか?」歳三は驚いてさくらを見た。さくらの涙など、見るのは初めてだった。
 さくらは一滴の雫を拭うと、何事もなかったかのように微笑み、歳三に言った。
「ばか言え。私は武士になるのだ。泣くわけがなかろう」
 歳三はふっと笑うと、ごろんと仰向けに倒れた。
「お前、勝っちゃんのことが大好きなんだな」
「なっ」
 さくらの頬がまた少し赤くなった。また「ばか」と言うかに見えたが、さくらは歳三の言葉を否定はしなかった。
「…うん、そうだな。ずっと一緒にいたから。少し、寂しい」
「ははっ、酒の力はすげえな。お前がこんなにしおらしくなるなんてよ」
 さくらの赤みがかった頬にまた一粒の涙が光っている。それを見て
 --きれいだ。
 と、ほんの一瞬息を飲んだ。そのことに歳三は自分で驚き、ごまかすようにひとつ咳払いした。
「俺も勝っちゃんと約束した。武士になるって」
「私もだ」
「俺たち二人で、勝っちゃんを武士にするぞ」
「うん。そうだな。それで三人で、武士になろう」
 さくらはにこっと微笑んだ。
 そんな笑顔を見るのも、歳三にとっては初めてのことであった。歳三は、ふっと笑い返した。
 ――明日になったら、こんな話したこと、こいつは忘れてるかもな。…まあ、いいか。
 内心で、そう独りごちた歳三だったが、ドサッと音がしたので見やると、さくらがばたりとその場に倒れていた。
「おい、さくら、しっかりしろ」
「ん~…勝太ぁ……」
 くそ、こいつも潰れやがった、と歳三は水汲みを諦めてさくらを抱き上げた。
 ――女の割に重いな。やっぱり、普段から鍛えているからか…
 そんなことを考えながらさくらの部屋まで歩いていると、さくらが腕を歳三の首に回してしがみついてきた。
「くそっ、本当に重ぇな…」
「歳三…」さくらが目を閉じたままむにゃむにゃと歳三の名を呼んだ。
「ありがとう…」
 歳三は一瞬どきりとして、さくらの寝顔に目をやった。
「だったら自分で歩けってんだ」
 言葉とは裏腹にまんざらでもなさそうな笑みを浮かべ、歳三はそのままさくらを部屋まで送り届けた。
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