浅葱色の桜

初音

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決戦①

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 歳三が天然理心流に入門したこの頃、世間では「安政の大獄」と呼ばれる井伊直弼による攘夷派の弾圧が行われていた。異国の勢力を打ち払わんとする者たちはこの弾圧でことごとく失脚し、鳴りを潜めていた。
 もっとも、後にこの「攘夷派」は再び表だって勢力を強めるのだが、それは少し先の話である。

 そんな政治情勢を、庶民は瓦版や噂話で断片的に知るのみで、本質的に理解している者は少ない。
 江戸試衛館で稽古に励む面々も、御多分に漏れず今日も剣術の稽古に励み、いつも通りの日常を送っていた。

「父上、具合はいかがですか」
 さくらは周助の部屋の障子をがらりと開けた。
 布団に入っていた周助はさくらに気づくと体を起こした。
「ああ、さくらか。キチはどこ行った」
「滋養にいいものを、と母上自ら買い物に出られてます」
「そうかそうか。お前にも迷惑かけるな」
 ゴホッゴホッと咳をする周助を、さくらは心配そうに見つめた。持ってきた水桶で手ぬぐいを湿らせるときつく絞る。
「父上、そんなことは気にせず寝ていてください」
「こんな風邪、すぐ治るさ…」
 周助はそう言って再び横になった。さくらは手ぬぐいを周助の額に乗せた。
「ええ。治してもらわないと困りますよ」
 さくらはやれやれと息をつき、父親が眠りにつくのを確認して部屋を出た。
 ――父上は単なる風邪だというが…このところ体調を崩しがちだ。還暦を過ぎているのだからあちこち悪くなるのも無理はないか……だが、父上にはまだまだ長生きしてもらわねば。

 数日後、周助の体調が回復すると、さくらと勝太は周助の部屋に呼ばれた。
「お前ら、励んでるか」
 周助はにっと笑ってそんなことを言った。
「はあ。毎日稽古しておりますが」さくらはなぜそんな当たり前のことを聞くのだろうと思いながら答えた。
「父上、改まってどうしたんですか」勝太が聞いた。
 周助はこほん、と咳払いをすると、少し言いにくそうに口を開いた。
「そろそろな、どっちかに天然理心流を正式に継ごうと思ってる」
 沈黙が流れた。
 さくらはこの言葉を聞く日がいつか来るとはわかっていた。覚悟しているつもりだった。だが、いざ実際に言われると、胃袋がきりきりと痛むような感覚に襲われた。
 勝太もただ黙って周助を見つめていた。
「俺もほら、最近もう長くないのかとか思うわけだよ。こういうことは元気なうちに決めねえとな」
「ち、父上はまだまだ長生きされます。そう簡単に死ぬようなお人ではないでしょう」さくらは焦ったように言った。
「まあそうかもしれんが。どっちしても、もう決めたことだ。来月のついたち、さくらと勝太で手合わせをしろ。それで決める」
「わかりました」最初に勝太が返事した。
「わかりました」さくらも続いた。
「さくら、手加減はしないからな。今のおれ達の全力で戦おう」
「ああ。望むところだ」

 そうは言ったものの、この十年程で勝太とさくらの間には簡単には埋められない差が開いていた。
 決戦の日まで二十日足らず。
 さくらは稽古に集中するために日野への出稽古の役を買って出た。総司を供に選び、勝太のいないところで最後の追い込みをかけるつもりだ。
「勝っちゃんに負けるのが怖くて総司連れて特訓かよ。付け焼刃もいいとこだな」
 歳三にそんな嫌味を言われたが、その通りで言い返すこともできず、「付け焼刃で結構。なりふり構っている場合ではないのだ」と言い捨ててさくらと総司は日野に向かった。
「嬉しいです。姉先生が最後の特訓相手に私を選んでくれたなんて」
 道中、総司はにこにことさくらを見てそんなことを言った。
「すまないな。お前まで巻き込んでしまって」さくらは素直にそう言った。
「全然気にしてないですよ!嬉しいって言ってるじゃないですか」
 総司は軽やかな足取りで先に進んでいった。
 ――あの泣き虫だった総司が、今では私の大一番の練習相手なんてな
 さくらは総司の成長ぶりに感心し、ふっとほほ笑んだ。
「そんなに急ぐな、総司!」
 さくらは小走りで総司を追いかけた。

 出稽古という名目で日野に来たからには、日野の佐藤彦五郎道場にやってくる門人たちの相手をするのがさくらと総司の仕事だった。
 自分の練習はなかなかできなかったが、人の振り見て我が振り直せとはよく言ったもので、門人に稽古をつけることで得るものも大きかった。
 そして、稽古が終わると、さくらと総司は夜更けまで自分たちの稽古をした。
「姉先生、そんなんじゃ若先生に負けちゃいますよ」総司ははあはあ、と息を切らせながらも、真剣な眼差しをさくらに向けた。
「ふん、達者な口を利くようになったな。もう一本頼む」さくらは木刀を構えた。
「はい!望むところです」総司も木刀をぎゅ、と握りなおした。

 
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