浅葱色の桜

初音

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土方歳三①

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 嘉永二(一八四九)年 秋

 勝五郎は、ひとまず周助の旧姓である「島崎」を苗字として名乗ることとなり、名前も勝太と改めた。
 試衛館にやってきてすぐ、さくらは勝太に周辺を案内することにした。

「やっぱり日野とは違うなぁ」
 勝太は満足げにそう言うと、往来をぐるりと見回した。
「大きな声を出すな。私まで田舎者みたいではないか」
 さくらが怒りの色を浮かべるのを見て、勝太は慌てて謝った。
「あはは、ごめんごめん。でも感心しちゃって……」
 まったく、とさくらはため息をついたが、勝太が感動するのもムリはない。試衛館がある市ヶ谷は江戸城下にほど近く、町は人で賑わっている。
 農村地帯である多摩出身の勝太にとってみれば、目の前に広がるのは都会の風景、ということになるのだ。
「あっちがいつも使ってる米問屋。向こうの橋を渡ると見世物小屋とかもあって……」
 そう言ってあちこち指し示すさくらの指がぴたりと止まった。
「どうした?」勝太は不思議に思ってさくらを見た。
「あの人……」
 少し遠くの角から出てきた男を、さくらはじっと見つめた。頬に大きな刀傷がある。男はさくらには全く気づかない様子で通りを通過すると、反対側の角に消えていった。さくらは急いで追いかけたが、見失ってしまった。
 勝太はさくらに追いつくと、何が起きたのか理解できない様子で往来を見つめた。
「どうしたんだよ?」
「今、頬に傷があった。母上の敵を取って私を助けてくれた方かもしれない……」
「おい、ほんとなのか!?」
 さくらは首を傾げた。
「わからない……よく考えれば、どちら側の頬だったのか覚えていない。人違いということも……」
 黙りこくってしまったさくらを、勝太はどうしたらいいかわからずに見つめた。
 やがて、さくらは勝太を見上げ、にこっと笑った。
「まあいい。いつか会えたら、あの方に必ず礼を言いたいものだ」
「ああ、見つかるといいな」
 勝太は、先ほどの男が向かった方角を見た。
 ――さくらの母上の敵を討った男……一体どんな人なんだろう。
「おい、勝太!置いていくぞ」
 勝太はハッとして声のする方を見た。さくらがすでに歩き出していた。
「待てよ!なんでおれの方が置いてかれなきゃいけないんだよ」
 勝太は慌ててさくらを追いかけた。
 奇しくも、あの日のように雪が降り始めていた。

 勝太が試衛館での生活にも慣れてくると、周助は出稽古の共に勝太を選んだ。
「かわりばんこだ。せっかく二人いるんだから片方が道場に残ってこっちの門人の相手したっていいだろう」
 周助はぶすっとしているさくらにそう言い聞かせた。
 さくらはキチと二人きりになるのが憂鬱でしょうがないのだが、そんなことは周助の知ったことではない。
「それに、もうお前一人に道場の留守を任せられるってこった。喜べ」周助はにっと笑った。
 さくらはそう言われてまんざらでもなかったので、うまく言いくるめられる形で勝太と周助を送り出した。

 そんな経緯で日野への道を歩く周助と勝太。
 天気もよく、江戸の街を一歩出れば、人の声もめっきりなくなり、穏やかだった。
「義父上、本当におれでよかったのですか?まだこちらへ来て日も浅いのに出稽古のお供を務めるなんて…」勝太がおもむろに言った。
「いいんだいいんだ。お前も久々に里帰りできていいだろ?それにだ、さくらが一緒だとできねぇこともあるし」
「というと…?」
 勝太は何の事だか見当もつかず、周助の答えを待った。
 しかし、周助は答えを言わずにどんどん先へと進んだ。しばらくすると、ぴたりと足を止め、道端の草むらに目をやった。
「お、いたいた」
 周助は嬉しそうにそう言うと、草むらにしゃがみこんで何やらごそごそとやり始めた。
 次に勝太が目にしたのは、周助の手の中でぐったりしている一匹の蛇だった。もう片方の手に小刀を持っているから、それを使って捕まえたのだろう。
「この辺の蛇はうまいんだ。こうやって塩をふってだな」と、懐からさっと塩の包みを取り出し、蛇にふりかけた。
 目を丸くして、あんぐりと口を開けている勝太をよそに、周助はその蛇を煮るでも焼くでもなく、頭からバリバリと食べ始めた。
「前にさくらがいた時はよ、『気味が悪いからやめてくれ』って思いっきり怒られてな。あいつはこの美味さをわかっちゃいねぇ。どうだ、勝太。お前も食ってみるか?」
「いえ……おれは……まだ腹は減っていないので……」
 実際、勝太はその後しばらく食欲がいっこうにわかず、それからの道のりで口にしたのは一口の水だけだった。

  
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