浅葱色の桜

初音

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宮川勝五郎①

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 嘉永元(一八四八)年 秋

 試衛館を出発したのは朝であったのに、目的地に着いた頃には日の位置が随分と西の方に寄っていた。武蔵国多摩郡むさしのくにたまごおり。さくらが見慣れていた、商家や旅籠はたごが軒を連ねる江戸中心部の街並みとも、宿場町としての活気に溢れた日野とも違い、あたり一面に田畑の広がる地域であった。周助に連れられさくらが到着したのは、宮川みやがわという隠し姓を持つ豪農の家にある道場だった。
 敷地に入ると、向こうから少年が駆け寄ってきた。
「近藤先生、こんにちは」
 少年はさくらと同じ年頃のようで、体は大きく、なんだか強そうだった。
「おう、勝五郎かつごろうじゃねえか」
「はい、今日もよろしくお願いします。すぐ父を呼んできますね。あれ…そちらは?」少年はさくらを見た。
「ああ、紹介するよ。娘のさくらだ」周助がさくらを指した。
「近藤さくらです」さくらはスッとお辞儀した。
 少年は驚いたようにさくらを見ていた。
「おう、そうだ。確か勝五郎はさくらと同い年だったな」周助が思い出したように言った。
「え?」少年とさくらが同時に周助を見た。
「十五…なのですか?」少年が言った。さくらは黙って頷いた。
「おれも十五です。宮川勝五郎といいます」勝五郎はにこりと笑った。歳に似合わぬ強面に笑窪ができ、親しみやすい温かい人物のように見えた。
「さくらさんは、今日はどうして日野まで?」
「出稽古に混ぜてもらうためです。いつもは試衛館で稽古をしているのですが、今日は父の出稽古についてきました」
 勝五郎は口をぽかんと開けてさくらを見つめていた。
「剣術を…するのですか?」やがて、ぽつりと言った。その顔にはありありと「女子なのに?」と書いてあるように見えた。
 女子が剣術をやる、と聞いたら誰でも驚くことはさくらは十分わかっているつもりだった。
 しかし、つい最近キチに「無謀」だの「恥」だのと言われたばかりで、さくらはこの件には敏感になっていた。
 ――どうせこいつも「バカバカしい」などと思ってるんだろう。
「女子が剣術をやったらいけないのですか」さくらは痛烈に言い放った。
「父上、先に道場に参ります」
 勝五郎に背を向けると、さくらは足早にその場をあとにした。
 勝五郎は何が起きたのかわからない、という顔をしてその場に立っていた。
「悪いな。なんであいつあんなにピリピリしてんだ」周助は勝五郎に向けて苦笑いした。
「いえ、構いません。あ、父に知らせて、おれはそのまま使いに出かけるので、これで失礼します…」
 勝五郎は踵を返して家の方に向かっていった。

 稽古の後、さくらはあてがわれた客間で休んでいた。 
 障子を開けると、温かい日光が差し込んでくる。周助はまだ道場にいるので、今は部屋に一人きりだ。
 縁側に座って庭を眺めながら、さくらはぼんやりと、先ほどの勝五郎のことを思い出した。
 よくよく考えてみれば、勝五郎が言ったのは「剣術をするのですか?」ということだけで、その表情を見て勝手に怒ったのはさくらである。
 少し申し訳ない気持ちになって、次に会ったら謝ろうかと考えていたその時、「さくらさん!」と声がした。
 キョロキョロと声の主を探すと、勝五郎がこちらに向かってきていた。
「勝五郎さん…?何か…?」さくらは不思議に思って尋ねた。
「ここにいたんですね、よかった。いやその、すいません、さっきのことが気になってて……おれ、なんか気に障るようなこと言ったかなって……」
 さくらは目を丸くした。
 謝るべきは自分なのに、この少年は先ほどのさくらの表情を敏感に読み取って、「気に障るようなことを言った」と心配しているらしいのだ。
「いえ、私こそ、不躾でした……」さくらは謝った。
 が、勝五郎が実際のところどう思っているのか気になった。
 さくらは意を決したように、勝五郎を見た。
「勝五郎さんは、私が剣術をやると聞いて、どう思いました?」
 勝五郎は、少し戸惑ったような顔をした。やがて、こう答えた。
「正直、驚きました。でも、かっこいいなって思いました」
 今度はさくらが驚く番だった。かっこいいなどと言われたのは初めてだった。
 なんだかおかしくなって、ぷっと噴出した。
「え、おれ、またなんか変なこと…」
「変…そうですね。初めて言われました」
 戸惑っている勝五郎を見て、さくらはくすりと笑った。
「敬語、やめにしようか。同い年なんだし」
 勝五郎もにこっと笑った。その顔にはまた先ほどの笑窪が現れた。
「それじゃあ、これからよろしくな、さくら」
「よろしく、勝五郎」
 二人は互いの目を見据えて、笑みをこぼした。
 後に数奇な運命をたどることになるなど、この時の二人には知る由もなかった。

 二ヶ月後、勝五郎が、次兄と共に正式に天然理心流に入門した。
 知らせを聞いたさくらはいつか勝五郎と試合をしてみたいと思いながらも、月日は過ぎていった。

 そんな折、さくらは周助の出稽古について多摩に来ていた。
 初めて会った時以来、勝五郎には会っていなかったが、今回はまた宮川家の道場で稽古をするということで、さくらは楽しみにしていた。
 宮川家に着くと、道場の方から掛け声がした。
「お。やってるな」周助がにやっと笑うと、二人は道場の方へ向かった。
 道場には縁側がついていて、天気のいい日は戸が開け放してある。外からも稽古の様子を見ることができた。
 近所から集まった十数名の男が、素振りをしていた。
 さくらはその中に勝五郎がいるのを見つけた。
 すごい、とさくらは率直に思った。
 自分が始めたばかりの時は、竹刀をまっすぐに振れず、よく周助に注意されていた。
 しかし、勝五郎はまだ数か月経つか経たないかだというにもかかわらず、スッとまっすぐに木刀を振っていた。
「近藤先生、こんにちは。いや、こんなところからすみません」勝五郎の父で、宮川家の当主、久次郎がやってきた。
「いいんだいいんだ。俺たちが勝手に見にきたんだから。おいさくら、着替えてこい」
 さくらはぼんやりと勝五郎を見ていた。勝五郎はさくらに気付き、にこっと笑って手を挙げた。
 稽古着に着替えながら、さくらは先ほどの勝五郎の素振りを思い出していた。
 自分がああやってきれいに素振りができるようになるまでには、相当の時間を要した。それを考えると、勝五郎の成長速度には目をみはるものがある。
――私も、がんばらないと。
 さくらはぎゅっと袴の紐を結び、道場に向かった。

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