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「気だてのいい女」②
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さくらが一人で稽古していると、道場に人が入ってくる気配がした。手を止めて入り口を見やると、キチが申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「すみません。稽古の邪魔を」
「構いませんよ」
さくらは胴着の袖で額の汗をぬぐった。
「しかし、道場に何のご用で?」
キチはさくらをじっと見つめた。
「いえ。ただ……一度二人でゆっくりお話ししたいと思っていましたの」
「はあ……」
「さくらさん、あなた、この道場を継ぐのですか?」
さくらは突然の質問に面喰らい、言葉を発することができなかった。が、やがて口を開いた。
「はい。今はまだ目録の段階ではございますが、稽古を積んだのちには必ずや父上の跡を継ぎ、試衛館を守っていくつもりにございます」
さくらが剣術の道に進むと決意したあの夜。きっかけは、「目の前で大切な人を死なせたくない」という思いからであった。
しかし稽古を重ねていくうちに、さくらには新たな夢が生まれていた。
それが、試衛館を継いで天然理心流の四代目になること。
七歳の時に言われた「宗家を譲ってもいい」という周助の言葉を忘れてはいなかった。
天然理心流初の血の繋がった跡継ぎになりたいというのもあったし、周助と初の期待に形に残ることで応えたいという思いもあった。それにはただ強いだけでは足りない、険しい道があることも、さくらは覚悟しているつもりだった。
さくらの真っ直ぐな目を見たキチはしばらく間を開けると、険しい表情をした。さくらはそんなキチの顔を初めて見た。
「認めまられませんね」
「…へ?」さくらは耳を疑い、キチの言葉を待った。
「女子が道場を継ぐなんて、近藤家の恥です。女子は大人しく、どこかへ嫁ぐのが世の常。あなたが継ぐくらいなら、養子を取る方がまだマシです」
さくらは驚きと戸惑いで、ただ黙ってキチを見つめるしかなかった。その節、「女子のくせに」と言われた時のことが鮮明に蘇ってきた。
ぽろっと涙が出そうになったが、グッとこらえ、睨むようにキチを見つめた。特に勝負をしているわけではないのだが、ここで負けるわけにはいかない、と思った。
「それを決めるのは父上でございます。私の腕が未熟なゆえに、父上が養子を取った方がよいと判断したならば、私はそれに従いましょう。しかし、父上も、亡き母上も、私が男以上に強くなり、天然理心流のすべてを受け継ぐことをお望みです。私は、その望みに答えるべく、稽古を積んで精進するまでにございます」
それだけ言ってのけると、さくらはキチの出方をうかがった。どうやらキチも反論の言葉を探しているらしい。
「無謀な話ですね。女子の力で、男以上などと…」
「それはまだわかりません。だから、今こうして稽古をしているのです」
さくらはこれ以上の問答は無用だと判断し、「稽古を続けたいのですが」と言った。
キチは思いっきり作り笑いをして「そうですね」と言って道場を去っていった。
残されたさくらは、キチの姿が見えなくなると、ビュッと木刀を振った。
――負けるものか
「旦那様、さくらさんにこの道場を継がせるおつもりなのですね」キチは部屋に戻ると、門人名簿を眺めていた周助に迫った。
「誰かがそんなこと言ったのか?まあ、あいつが強くなって、そうなるにふさわしい腕前になったらな」
すると突然、キチは目に涙をためた。周助は驚いて名簿を放り投げ、キチの肩をつかんだ。
「おいおい、どうしたんだよ」
「女子の役目は嫁いだ先で家庭を築くことです。さくらさんが後を継ぐのなら、私は必要ないのではありませんか?」
「なんだよ、そんなことか」
周助の言葉に、今度はキチの表情に怒りの色が浮かんだ。
「お前はこの家を守って、俺のそばにいてくれたらいいんだ。もちろん、跡継ぎを産んでくれればそれに越したことはねぇが、そんなのは二の次だ」
「旦那様……」
周助はキチをそっと抱き寄せた。
キチは周助の背中に腕を回して応えた。
次の日から、キチは周助がいる前では以前と変わらなかったが、さくらと二人きりになると(そんな状況にはあまりならなかったが)、途端に冷たい態度で接するのだった。さくらは何度か周助に言いつけてやろうかと思ったが、なかなか好機をつかめず、時は過ぎていってしまった。
そして、キチの存在は、初の死を引き立てているようで、さくらはなんとなく試衛館に居心地の悪さを感じていた。
――やはり、私の母上は母上しかいないんだ。
無駄だとわかっても、そう思っては塞いだ気持ちになるのだった。
そんな中でも、さくらにとって一つだけ、キチのおかげで、といえるようなことがあった。今までは道場を留守にすることはできないからと、周助が出稽古に行ってもさくらは江戸で留守番をする外なかった。しかし、今ではキチが留守番をしてくれるので、さくらも出稽古についていけるようになったのだ。
この年の前年に、源三郎もようやく天然理心流に正式に入門していた。さくらはずっと源三郎に会っていなかったので、一緒に稽古ができることを楽しみに、周助と共に日野へと歩いた。
そんなさくらを、とある人物との出会いが待ち受けていた。
「すみません。稽古の邪魔を」
「構いませんよ」
さくらは胴着の袖で額の汗をぬぐった。
「しかし、道場に何のご用で?」
キチはさくらをじっと見つめた。
「いえ。ただ……一度二人でゆっくりお話ししたいと思っていましたの」
「はあ……」
「さくらさん、あなた、この道場を継ぐのですか?」
さくらは突然の質問に面喰らい、言葉を発することができなかった。が、やがて口を開いた。
「はい。今はまだ目録の段階ではございますが、稽古を積んだのちには必ずや父上の跡を継ぎ、試衛館を守っていくつもりにございます」
さくらが剣術の道に進むと決意したあの夜。きっかけは、「目の前で大切な人を死なせたくない」という思いからであった。
しかし稽古を重ねていくうちに、さくらには新たな夢が生まれていた。
それが、試衛館を継いで天然理心流の四代目になること。
七歳の時に言われた「宗家を譲ってもいい」という周助の言葉を忘れてはいなかった。
天然理心流初の血の繋がった跡継ぎになりたいというのもあったし、周助と初の期待に形に残ることで応えたいという思いもあった。それにはただ強いだけでは足りない、険しい道があることも、さくらは覚悟しているつもりだった。
さくらの真っ直ぐな目を見たキチはしばらく間を開けると、険しい表情をした。さくらはそんなキチの顔を初めて見た。
「認めまられませんね」
「…へ?」さくらは耳を疑い、キチの言葉を待った。
「女子が道場を継ぐなんて、近藤家の恥です。女子は大人しく、どこかへ嫁ぐのが世の常。あなたが継ぐくらいなら、養子を取る方がまだマシです」
さくらは驚きと戸惑いで、ただ黙ってキチを見つめるしかなかった。その節、「女子のくせに」と言われた時のことが鮮明に蘇ってきた。
ぽろっと涙が出そうになったが、グッとこらえ、睨むようにキチを見つめた。特に勝負をしているわけではないのだが、ここで負けるわけにはいかない、と思った。
「それを決めるのは父上でございます。私の腕が未熟なゆえに、父上が養子を取った方がよいと判断したならば、私はそれに従いましょう。しかし、父上も、亡き母上も、私が男以上に強くなり、天然理心流のすべてを受け継ぐことをお望みです。私は、その望みに答えるべく、稽古を積んで精進するまでにございます」
それだけ言ってのけると、さくらはキチの出方をうかがった。どうやらキチも反論の言葉を探しているらしい。
「無謀な話ですね。女子の力で、男以上などと…」
「それはまだわかりません。だから、今こうして稽古をしているのです」
さくらはこれ以上の問答は無用だと判断し、「稽古を続けたいのですが」と言った。
キチは思いっきり作り笑いをして「そうですね」と言って道場を去っていった。
残されたさくらは、キチの姿が見えなくなると、ビュッと木刀を振った。
――負けるものか
「旦那様、さくらさんにこの道場を継がせるおつもりなのですね」キチは部屋に戻ると、門人名簿を眺めていた周助に迫った。
「誰かがそんなこと言ったのか?まあ、あいつが強くなって、そうなるにふさわしい腕前になったらな」
すると突然、キチは目に涙をためた。周助は驚いて名簿を放り投げ、キチの肩をつかんだ。
「おいおい、どうしたんだよ」
「女子の役目は嫁いだ先で家庭を築くことです。さくらさんが後を継ぐのなら、私は必要ないのではありませんか?」
「なんだよ、そんなことか」
周助の言葉に、今度はキチの表情に怒りの色が浮かんだ。
「お前はこの家を守って、俺のそばにいてくれたらいいんだ。もちろん、跡継ぎを産んでくれればそれに越したことはねぇが、そんなのは二の次だ」
「旦那様……」
周助はキチをそっと抱き寄せた。
キチは周助の背中に腕を回して応えた。
次の日から、キチは周助がいる前では以前と変わらなかったが、さくらと二人きりになると(そんな状況にはあまりならなかったが)、途端に冷たい態度で接するのだった。さくらは何度か周助に言いつけてやろうかと思ったが、なかなか好機をつかめず、時は過ぎていってしまった。
そして、キチの存在は、初の死を引き立てているようで、さくらはなんとなく試衛館に居心地の悪さを感じていた。
――やはり、私の母上は母上しかいないんだ。
無駄だとわかっても、そう思っては塞いだ気持ちになるのだった。
そんな中でも、さくらにとって一つだけ、キチのおかげで、といえるようなことがあった。今までは道場を留守にすることはできないからと、周助が出稽古に行ってもさくらは江戸で留守番をする外なかった。しかし、今ではキチが留守番をしてくれるので、さくらも出稽古についていけるようになったのだ。
この年の前年に、源三郎もようやく天然理心流に正式に入門していた。さくらはずっと源三郎に会っていなかったので、一緒に稽古ができることを楽しみに、周助と共に日野へと歩いた。
そんなさくらを、とある人物との出会いが待ち受けていた。
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