浅葱色の桜

初音

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剣術少女④

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 次の日、さくらは昨日の出来事を何も知らない周助と共に道場にいた。
「よし、今日の素振りはどうだ?」
 周助は、素振りを完璧にしないと型も教えられないし、チャンバラ相手でも実際に勝負できるようになるには最低ひと月は必要だと言っていた。だから、早まって勝手に源三郎に稽古をつけてもらった挙げ句、すでに勝負は決まっているなどと、さくらはとても言えなかった。 
 そして、信吉を倒すという当座の目標がなくなった今、さくらにとってひたすら素振りをする時間というのは退屈以外の何物でもなかった。
 ……という一部始終をさくらは初に話した。
「さくら、天然理心流を継ぐんでしょう」縁側に座ってお茶を飲みながら、初は静かに言った。
「……そうですけど。それはいつなのですか?」
 さくらは足をふらふらバタつかせながらぼんやりと道場を見やった。実際には見えなかったが、遠くからかすかに周助と門人たちが稽古する声が聞こえた。 
「それは、さくらが大きくなって、お父上に認められた時ですよ」初は諭すように言った。
「大きくって、源兄ぃよりも?」
「そう……ね…、」初は少しだけ言葉を濁した。
「じゃあ、まだ稽古しなくていいでしょう?源兄ぃが十二歳なんだから、さくらも十二歳になったらまた稽古し始めます!」
 そう言うと、さくらはすっくと立ち上がった。
「さくら、どこに行くのです?」
「神社です!」
「ちょっと、さくら!」
 初が止めるのも聞かず、さくらは走り去っていた。
 ――やはり、女子のさくらに、剣術の稽古をさせるのは酷なのかしら……
 初はふう、とため息をついた。
 すると、休憩に入った周助がやってきた。
「さくらはどうした。いつもここで稽古してるんだろ?」  
 初は本当のことを言おうか迷った。さくらには口止めされていたのだ。
「神社に遊びに行きましたよ。あの子も遊び盛りですから、毎日竹刀を振っているのにもたまには退屈してしまうのでしょう」
 周助は初の言葉を大して重くは受け止めていない様子で「そうか」と初の隣に腰を下ろした。
「あいつは強くなる。なんたって、俺の娘だ」

 次の日も、また次の日も、さくらは自主的な稽古はせずに遊び回っていた。
 そして次第に早起きもできなくなり、周助との朝稽古でさえも足が遠のくようになった。
 数日ぶりの朝に恐る恐る道場に向かったさくらは、父の姿を見とめて体をこわばらた。
「さくら」周助は重々しく娘の名を呼んだ。
「最近稽古してねぇみてぇじゃねぇか。そんなんじゃ四代目を継ぐどころか例の悪ガキにも勝てないぞ」
 さくらは黙って周助の前に正座した。もう黙っているのも限界だと悟ったさくらは、「父上、申し訳ありません」と頭を下げた。
 周助はなんだなんだ、と慌てたように言ってさくらを見た。さくらは源三郎と練習試合をした上で、すでに信吉との勝負はついていることを話した。
「天然理心流を継ぐのはまだ何年も先でしょう?それに…」さくらは口をつぐんだ。そしてここ数日考えていたこと、初にも誰にも言えなかったことを、ゆっくり話しだした。
「もう、別に倒したい相手もいないし…今、剣術の稽古がつまらないんです。だから、さくらは天然理心流を継げないと思います」
 さくらは、どきどきと周助の言葉を待った。怒られるだろうか。だが、周助は静かに
「……そうか。ならいい」
 とだけ言った。
「ごめんなさい。怒ってないんですか?」
「お前がやりたくないって言ってるのに、無理矢理やらせたって、意味ないだろ」
 さくらは周助が怒っているのか悲しんでいるのかわからなかった。とにかく、父を傷つけたのだ、と子供心にわかった。さくらはいたたまれなくなって立ち上がった。
「お前がそんな辛気くせぇ顔すんな。いいんだよ、ちゃんと言ってくれて俺はホッとしてんだ」周助はニッと笑った。
 その言葉を文字通りに受け取り、さくらは「よかった」と胸中で呟きつつ道場を出た。

 残された周助は、遠くから聞こえてくる「母上ー!神社に遊びに行ってきまーす!」という声をぼんやりと聞いていた。
 こうなることを、周助は最も恐れていた。さくらに剣術を教える機は慎重に見極めるつもりだった。しかし、動機がなんであれ、さくらが自分から剣術をやりたいと言ってきたのが嬉しくて、周助はつい七歳の少女にとってつらすぎる稽古を強いてしまったと後悔した。
 ――まあ、腕のいい養子をとりゃいいだけの話だ。
 周助はふぅ、とため息をついて立ち上がると、重たい木刀をスッと構え、大きく一振りした。
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