浅葱色の桜

初音

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剣術少女③

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 天保十一(一八四〇)年 春
 
 くだんの神社の境内で、ミチ、カヨ、キクの三人はお手玉をしていた。
「ひゃっ…落としちゃった。やっぱりさくらちゃんにはかなわないなぁ」カヨはぺろっと舌を出すと、お手玉を拾い上げた。
「さくらちゃん…最近来ないね」キクがポツリと言った。
「やっぱり…あたしのせい…だよね」ミチが俯いた。
「あたしが、さくらちゃんは強いなんて言ったから、あんなことになっちゃって…来づらいよね」
 すっかり落ち込んだミチの肩を、カヨがバシンと叩いた。
「大丈夫だよ!さくらちゃんは強いよ!きっとまたここに来て一緒に遊べるって!」
 言いながらカヨも不安げな顔になった。ふと広い場所を見やると、相変わらず男の子たちがチャンバラをやっている。
 そしてその向こうから、小さな人影が現れるのを見つけた。
「ねぇ、あれ」カヨは他の二人に呼びかけた。
「さくらちゃんだ!」キクが嬉しそうに声を上げた。
 さくらはキク達の方に駆け寄ってくると、ニッと笑った。
「久しぶり!ちょっと稽古してたらここに来る時間なくなっちゃって」
「稽古?」三人が同時に聞いた。
「うん、女だから女だからってバカにされた挙げ句、負けっぱなしなんて悔しいじゃん?だから、父上と源兄ぃに鍛えてもらってたんだ」
 ポカンと口を開けている三人を前に、さくらは背負っている竹刀を得意気に指差した。
 一方で、チャンバラをしていた男の子たちは手を止めて女の子たちを見た。
「おい、あそこにいるの、さくらじゃねぇか?」
「ホントだ。信吉にやられて逃げ帰ったさくらだぜ」
「ふん、よくまた顔出せたもんだな」
 ミチがゆっくりとさくらの背後を指差した。
「さくらちゃん、信吉たちがこっちを見てるよ」
 さくらはくるりと振り向き、信吉たちの方に数歩近づいた。向こうもこちらに近づいてくる。
「よぉ、久しぶりじゃねえか」
「ふん。誰のせいで……」さくらは背中の竹刀に手をかけた。
「オレと勝負しようってのか?」信吉は少し驚いているようだった。
「そうだよ」
「ちょっと待てよ。こっちはただの棒だぜ。お前だけちゃんとした竹刀を使うなんて不公平だ」
「何?怖気づいたの?」
「バカ、そんなわけあるかよ!」
「いいよ。確かに、不公平だもんね」
 さくらはそう言うと、信吉の横に立っていた男の子を見た。
「平次朗、それ貸して」
 平次朗と呼ばれた少年はこくりと頷くと、持っていた棒きれを黙って差し出した。
「今度は負けないんだから」さくらはスッと棒を構えた。
 信吉はゴクリと唾をのむと、同じく構えた。
「やーっ!」
「えーいっ!」
 さくらは父と源三郎の言葉を思い出していた。
『いいか、さくら。素振りはすべての基本だ。素振りをする時は竹刀の先、相手の目を見るんだ。あの壁を相手の目だと思って…』
『実際勝負する時はそのまま型通りってわけにはいかないけど、応用して使うんだってさ。だから、この基本の型を完璧にするんだ。ま、オレもまだ完璧とは言えないんだけどな』
 誰かと戦うのは源三郎との試合をいれてこれがまだ二回目だ。しかも、信吉はひょこひょことすばしっこい。さくらの顔に一瞬、焦りの色が浮かぶ。呼吸を整え、信吉から一旦離れた。信吉は急に開いた間に戸惑ったのか、わずかな隙を見せた。 
 さくらは好機とばかりに、一気に打ちこんだ。
「ぜぇぇぇぇいっ!!」
 信吉の棒が手を離れ、くるくると弧を描いて飛んでいった。
 飛んでいった棒はカランと地面に落ちた。
「やったー!さくらちゃん!」カヨ、ミチ、キクが駆け寄ってきて、さくらに抱きついた。
「ちっくしょう!」信吉が悪態をついて、さくらに殴りかかってきた。さくらは棒を投げ捨て、応戦した。
 いつの間にか、二人は取っ組み合いの喧嘩にもつれ込んだ。やがて、同時に力尽きて仰向けに寝転んだ。
「はぁ…なかなかやるじゃねぇか…」
「はは…信吉もね…」
 しばらくの沈黙。他の子供たちは、また喧嘩が始まるのでは、とビクビクして二人を見ていた。
「さくらが勝ったら、土下座して謝るんじゃなかったっけ?」さくらは首だけを横に向けて信吉を見た。
「…お前だって俺を殴ったじゃねえか。チャラだ」
「今先に殴ったのは信吉じゃん。チャラだよ」
 信吉はぐっと口をつぐんだ。
 そして、ムクリと起き上がってさくらとキクを交互に見た。
「…悪かった」
 さくらは目線をキクに向けた。キクははにかんだように微笑んでいた。さくらもにこりと微笑んだ。

「行くよ!だーるーまーさーんが…」
 カヨが木の幹に向かって言うと、他の子供たちはじりじりと歩き始めた。
「こーろーんーだっ」
 カヨはすかさず振り向き、わずかに動いた者を見逃さなかった。
「平次郎、動いた!」
「ええー?動いてないよ」
「動いてたのっ」カヨが頬を膨らませると、平次郎はつまらなさそうにカヨの横に立った。
「よし、次行くよ」カヨは再び木の幹の方を向いた。
「…こーろーんーだっ」
 カヨは振り向くと、すぐ目の前に来ていたさくらにギョッとした。
「へへん、追いついたよ」さくらは得意気に言うと、カヨの肩を軽く叩いた。
「いいぞ、さくら!」言いながら信吉が一目散に走った。他の子供たちも全速力で走った。
「もー、そんな遠くまで行かないでよー」言葉とは裏腹に、カヨは楽しそうに笑っていた。さくらたちも、くすくすと笑いが絶えなかった。 
 あっという間に日が暮れた。さくらたちは鳥居を出て、それぞれ家路に向かった。
「じゃあ、また遊ぼうね!」
「おう、またな!」
 さくらは満ち足りた気持ちで試衛館へと歩いた。
 稽古の成果が出たことも、男の子たちと仲直りしてみんなで遊べたことも、嬉しかった。
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