7 / 205
剣術少女③
しおりを挟む
天保十一(一八四〇)年 春
件の神社の境内で、ミチ、カヨ、キクの三人はお手玉をしていた。
「ひゃっ…落としちゃった。やっぱりさくらちゃんにはかなわないなぁ」カヨはぺろっと舌を出すと、お手玉を拾い上げた。
「さくらちゃん…最近来ないね」キクがポツリと言った。
「やっぱり…あたしのせい…だよね」ミチが俯いた。
「あたしが、さくらちゃんは強いなんて言ったから、あんなことになっちゃって…来づらいよね」
すっかり落ち込んだミチの肩を、カヨがバシンと叩いた。
「大丈夫だよ!さくらちゃんは強いよ!きっとまたここに来て一緒に遊べるって!」
言いながらカヨも不安げな顔になった。ふと広い場所を見やると、相変わらず男の子たちがチャンバラをやっている。
そしてその向こうから、小さな人影が現れるのを見つけた。
「ねぇ、あれ」カヨは他の二人に呼びかけた。
「さくらちゃんだ!」キクが嬉しそうに声を上げた。
さくらはキク達の方に駆け寄ってくると、ニッと笑った。
「久しぶり!ちょっと稽古してたらここに来る時間なくなっちゃって」
「稽古?」三人が同時に聞いた。
「うん、女だから女だからってバカにされた挙げ句、負けっぱなしなんて悔しいじゃん?だから、父上と源兄ぃに鍛えてもらってたんだ」
ポカンと口を開けている三人を前に、さくらは背負っている竹刀を得意気に指差した。
一方で、チャンバラをしていた男の子たちは手を止めて女の子たちを見た。
「おい、あそこにいるの、さくらじゃねぇか?」
「ホントだ。信吉にやられて逃げ帰ったさくらだぜ」
「ふん、よくまた顔出せたもんだな」
ミチがゆっくりとさくらの背後を指差した。
「さくらちゃん、信吉たちがこっちを見てるよ」
さくらはくるりと振り向き、信吉たちの方に数歩近づいた。向こうもこちらに近づいてくる。
「よぉ、久しぶりじゃねえか」
「ふん。誰のせいで……」さくらは背中の竹刀に手をかけた。
「オレと勝負しようってのか?」信吉は少し驚いているようだった。
「そうだよ」
「ちょっと待てよ。こっちはただの棒だぜ。お前だけちゃんとした竹刀を使うなんて不公平だ」
「何?怖気づいたの?」
「バカ、そんなわけあるかよ!」
「いいよ。確かに、不公平だもんね」
さくらはそう言うと、信吉の横に立っていた男の子を見た。
「平次朗、それ貸して」
平次朗と呼ばれた少年はこくりと頷くと、持っていた棒きれを黙って差し出した。
「今度は負けないんだから」さくらはスッと棒を構えた。
信吉はゴクリと唾をのむと、同じく構えた。
「やーっ!」
「えーいっ!」
さくらは父と源三郎の言葉を思い出していた。
『いいか、さくら。素振りはすべての基本だ。素振りをする時は竹刀の先、相手の目を見るんだ。あの壁を相手の目だと思って…』
『実際勝負する時はそのまま型通りってわけにはいかないけど、応用して使うんだってさ。だから、この基本の型を完璧にするんだ。ま、オレもまだ完璧とは言えないんだけどな』
誰かと戦うのは源三郎との試合をいれてこれがまだ二回目だ。しかも、信吉はひょこひょことすばしっこい。さくらの顔に一瞬、焦りの色が浮かぶ。呼吸を整え、信吉から一旦離れた。信吉は急に開いた間に戸惑ったのか、わずかな隙を見せた。
さくらは好機とばかりに、一気に打ちこんだ。
「ぜぇぇぇぇいっ!!」
信吉の棒が手を離れ、くるくると弧を描いて飛んでいった。
飛んでいった棒はカランと地面に落ちた。
「やったー!さくらちゃん!」カヨ、ミチ、キクが駆け寄ってきて、さくらに抱きついた。
「ちっくしょう!」信吉が悪態をついて、さくらに殴りかかってきた。さくらは棒を投げ捨て、応戦した。
いつの間にか、二人は取っ組み合いの喧嘩にもつれ込んだ。やがて、同時に力尽きて仰向けに寝転んだ。
「はぁ…なかなかやるじゃねぇか…」
「はは…信吉もね…」
しばらくの沈黙。他の子供たちは、また喧嘩が始まるのでは、とビクビクして二人を見ていた。
「さくらが勝ったら、土下座して謝るんじゃなかったっけ?」さくらは首だけを横に向けて信吉を見た。
「…お前だって俺を殴ったじゃねえか。チャラだ」
「今先に殴ったのは信吉じゃん。チャラだよ」
信吉はぐっと口をつぐんだ。
そして、ムクリと起き上がってさくらとキクを交互に見た。
「…悪かった」
さくらは目線をキクに向けた。キクははにかんだように微笑んでいた。さくらもにこりと微笑んだ。
「行くよ!だーるーまーさーんが…」
カヨが木の幹に向かって言うと、他の子供たちはじりじりと歩き始めた。
「こーろーんーだっ」
カヨはすかさず振り向き、わずかに動いた者を見逃さなかった。
「平次郎、動いた!」
「ええー?動いてないよ」
「動いてたのっ」カヨが頬を膨らませると、平次郎はつまらなさそうにカヨの横に立った。
「よし、次行くよ」カヨは再び木の幹の方を向いた。
「…こーろーんーだっ」
カヨは振り向くと、すぐ目の前に来ていたさくらにギョッとした。
「へへん、追いついたよ」さくらは得意気に言うと、カヨの肩を軽く叩いた。
「いいぞ、さくら!」言いながら信吉が一目散に走った。他の子供たちも全速力で走った。
「もー、そんな遠くまで行かないでよー」言葉とは裏腹に、カヨは楽しそうに笑っていた。さくらたちも、くすくすと笑いが絶えなかった。
あっという間に日が暮れた。さくらたちは鳥居を出て、それぞれ家路に向かった。
「じゃあ、また遊ぼうね!」
「おう、またな!」
さくらは満ち足りた気持ちで試衛館へと歩いた。
稽古の成果が出たことも、男の子たちと仲直りしてみんなで遊べたことも、嬉しかった。
件の神社の境内で、ミチ、カヨ、キクの三人はお手玉をしていた。
「ひゃっ…落としちゃった。やっぱりさくらちゃんにはかなわないなぁ」カヨはぺろっと舌を出すと、お手玉を拾い上げた。
「さくらちゃん…最近来ないね」キクがポツリと言った。
「やっぱり…あたしのせい…だよね」ミチが俯いた。
「あたしが、さくらちゃんは強いなんて言ったから、あんなことになっちゃって…来づらいよね」
すっかり落ち込んだミチの肩を、カヨがバシンと叩いた。
「大丈夫だよ!さくらちゃんは強いよ!きっとまたここに来て一緒に遊べるって!」
言いながらカヨも不安げな顔になった。ふと広い場所を見やると、相変わらず男の子たちがチャンバラをやっている。
そしてその向こうから、小さな人影が現れるのを見つけた。
「ねぇ、あれ」カヨは他の二人に呼びかけた。
「さくらちゃんだ!」キクが嬉しそうに声を上げた。
さくらはキク達の方に駆け寄ってくると、ニッと笑った。
「久しぶり!ちょっと稽古してたらここに来る時間なくなっちゃって」
「稽古?」三人が同時に聞いた。
「うん、女だから女だからってバカにされた挙げ句、負けっぱなしなんて悔しいじゃん?だから、父上と源兄ぃに鍛えてもらってたんだ」
ポカンと口を開けている三人を前に、さくらは背負っている竹刀を得意気に指差した。
一方で、チャンバラをしていた男の子たちは手を止めて女の子たちを見た。
「おい、あそこにいるの、さくらじゃねぇか?」
「ホントだ。信吉にやられて逃げ帰ったさくらだぜ」
「ふん、よくまた顔出せたもんだな」
ミチがゆっくりとさくらの背後を指差した。
「さくらちゃん、信吉たちがこっちを見てるよ」
さくらはくるりと振り向き、信吉たちの方に数歩近づいた。向こうもこちらに近づいてくる。
「よぉ、久しぶりじゃねえか」
「ふん。誰のせいで……」さくらは背中の竹刀に手をかけた。
「オレと勝負しようってのか?」信吉は少し驚いているようだった。
「そうだよ」
「ちょっと待てよ。こっちはただの棒だぜ。お前だけちゃんとした竹刀を使うなんて不公平だ」
「何?怖気づいたの?」
「バカ、そんなわけあるかよ!」
「いいよ。確かに、不公平だもんね」
さくらはそう言うと、信吉の横に立っていた男の子を見た。
「平次朗、それ貸して」
平次朗と呼ばれた少年はこくりと頷くと、持っていた棒きれを黙って差し出した。
「今度は負けないんだから」さくらはスッと棒を構えた。
信吉はゴクリと唾をのむと、同じく構えた。
「やーっ!」
「えーいっ!」
さくらは父と源三郎の言葉を思い出していた。
『いいか、さくら。素振りはすべての基本だ。素振りをする時は竹刀の先、相手の目を見るんだ。あの壁を相手の目だと思って…』
『実際勝負する時はそのまま型通りってわけにはいかないけど、応用して使うんだってさ。だから、この基本の型を完璧にするんだ。ま、オレもまだ完璧とは言えないんだけどな』
誰かと戦うのは源三郎との試合をいれてこれがまだ二回目だ。しかも、信吉はひょこひょことすばしっこい。さくらの顔に一瞬、焦りの色が浮かぶ。呼吸を整え、信吉から一旦離れた。信吉は急に開いた間に戸惑ったのか、わずかな隙を見せた。
さくらは好機とばかりに、一気に打ちこんだ。
「ぜぇぇぇぇいっ!!」
信吉の棒が手を離れ、くるくると弧を描いて飛んでいった。
飛んでいった棒はカランと地面に落ちた。
「やったー!さくらちゃん!」カヨ、ミチ、キクが駆け寄ってきて、さくらに抱きついた。
「ちっくしょう!」信吉が悪態をついて、さくらに殴りかかってきた。さくらは棒を投げ捨て、応戦した。
いつの間にか、二人は取っ組み合いの喧嘩にもつれ込んだ。やがて、同時に力尽きて仰向けに寝転んだ。
「はぁ…なかなかやるじゃねぇか…」
「はは…信吉もね…」
しばらくの沈黙。他の子供たちは、また喧嘩が始まるのでは、とビクビクして二人を見ていた。
「さくらが勝ったら、土下座して謝るんじゃなかったっけ?」さくらは首だけを横に向けて信吉を見た。
「…お前だって俺を殴ったじゃねえか。チャラだ」
「今先に殴ったのは信吉じゃん。チャラだよ」
信吉はぐっと口をつぐんだ。
そして、ムクリと起き上がってさくらとキクを交互に見た。
「…悪かった」
さくらは目線をキクに向けた。キクははにかんだように微笑んでいた。さくらもにこりと微笑んだ。
「行くよ!だーるーまーさーんが…」
カヨが木の幹に向かって言うと、他の子供たちはじりじりと歩き始めた。
「こーろーんーだっ」
カヨはすかさず振り向き、わずかに動いた者を見逃さなかった。
「平次郎、動いた!」
「ええー?動いてないよ」
「動いてたのっ」カヨが頬を膨らませると、平次郎はつまらなさそうにカヨの横に立った。
「よし、次行くよ」カヨは再び木の幹の方を向いた。
「…こーろーんーだっ」
カヨは振り向くと、すぐ目の前に来ていたさくらにギョッとした。
「へへん、追いついたよ」さくらは得意気に言うと、カヨの肩を軽く叩いた。
「いいぞ、さくら!」言いながら信吉が一目散に走った。他の子供たちも全速力で走った。
「もー、そんな遠くまで行かないでよー」言葉とは裏腹に、カヨは楽しそうに笑っていた。さくらたちも、くすくすと笑いが絶えなかった。
あっという間に日が暮れた。さくらたちは鳥居を出て、それぞれ家路に向かった。
「じゃあ、また遊ぼうね!」
「おう、またな!」
さくらは満ち足りた気持ちで試衛館へと歩いた。
稽古の成果が出たことも、男の子たちと仲直りしてみんなで遊べたことも、嬉しかった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
紫苑の誠
卯月さくら
歴史・時代
あなたの生きる理由になりたい。
これは、心を閉ざし復讐に生きる一人の少女と、誠の旗印のもと、自分の信念を最後まで貫いて散っていった幕末の志士の物語。
※外部サイト「エブリスタ」で自身が投稿した小説を独自に加筆修正したものを投稿しています。
庚申待ちの夜
ビター
歴史・時代
江戸、両国界隈で商いをする者たち。今宵は庚申講で寄り合いがある。
乾物屋の跡継ぎの紀一郎は、同席者に高麗物屋の長子・伊織がいることを苦々しく思う。
伊織には不可思議な噂と、ある二つ名があった。
第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞しました。
ありがとうございます。

新撰組のものがたり
琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。
ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。
近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。
町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。
近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。
最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。
主人公は土方歳三。
彼の恋と戦いの日々がメインとなります。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる