浅葱色の桜

初音

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剣術少女②

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 試衛館に帰ると、初が真っ先に駆け寄ってきた。
「さくら!」
 初はぎゅっとさくらを抱きしめると、愛おしそうに頭を撫でた。
「心配しましたよ」
「やっぱり源三郎が一枚噛んでたぞ」周助は可笑しそうな笑みを浮かべると、日野での出来事を話して聞かせた。
「さくら、明日からバシバシ稽古つけてやるからな」
「ありがとうございます!」
 急に剣術を習うと言い出した娘を見て、初は状況が掴めず周助を見た。そこには、子どものように嬉しそうに微笑む夫の姿があった。それを見て、初もつられて笑みを浮かべた。
「あなたは誰よりも強くなりますよ」初は優しくそう言った。

 次の日の朝、試衛館の道場に、周助とさくらは立っていた。
 周助は真剣な面持ちでさくらに竹刀を手渡すと、自分はその倍ほどの太さの木刀を手にした。
「いいか?構え方はこうだ」
 周助は自分の木刀を構えてみせた。さくらも真似した。
「違う、もっと柄を強く握るんだ。で、もっと真っ直ぐ。昨日は源三郎に習ったのか?」
「はい」
「あいつはちょっと傾くクセがあるからな…」
 周助はさくらの竹刀の剣先を持ってぐっと真っ直ぐに直した。
「父上、そっちはどうして違うんですか?」さくらは周助が手にしている木刀を指差した。
「ああ、これか?こっちが本物の天然理心流の木刀だ。実戦をにらんで、真剣みたいに重く作ってある。そんじょそこらの木刀とは違うんだ」周助は誇らしげに木刀を見つめた。
「さくらもそれがいい」
「バカ言え。今日始めたばかりの七歳のチビに持てるわけねえだろう」
「さくらはチビじゃありません!」
「じゃあ、ほれ」
 周助は木刀を手渡した。
 さくらはそれを両手で受け止めたが、周助が手を離した瞬間、あまりの重さに取り落としてしまった。閑散とした道場に、鈍い音が響きわたった。
「わかったか?それを持つのは十年早い」
「十年も!?」
「もっと鍛えてからってことだ。まずはほら、そいつでやるんだ」
 さくらは元の軽い竹刀を手に取り、スッと構えた。
「そうだ。そんで、真っ直ぐ振りかぶって……」
 稽古は小一時間ほど続いた。試衛館には、もちろん他の門人も毎日やってくるので、周助はさくらの稽古ばかりしているわけにもいかない。
「じゃ今日はここまで。今やったことをしっかり練習するんだぞ」
「はい。ありがとうございました」
 さくらはぺこりとお辞儀をすると、竹刀を持ったまま道場を出た。
 その後ろ姿を周助は目を細めて見送った。

 午前中素振りを続けたさくらは昼食の握り飯を食べると縁側で眠りこんでしまった。
「まあ、さくらったら」
 初はさくらの隣に腰を下ろすと、その髪を優しく撫でた。
「ん……母上?」さくらはぼんやりと目をあけた。
「あら、ごめんね。起こしてしまいましたね」
「いいの。まだまだ練習しなくちゃいけないんです」
「えらいわ、さくら。がんばったらすぐに強くなれますよ」
「はいっ」
 さくらは竹刀を拾い上げると、中庭に走っていった。
 ――がんばれば、信吉に勝てるんだ!明日はどんな稽古かな。胴打ち…ってやつとかかな。かっこよくバシッとやれる技、父上早く教えてくれないかな。

 次の日、さくらは自分の考えの甘さを思い知った。
「父上見て下さい。昨日いっぱい練習したんです」
 さくらは竹刀を手にすると、勢いよく上から振り下ろした。
「うんうん、なかなか筋がいいな」周助は満足そうにさくらを見た。
「その調子でがんばれよ」
「へ?」
 さくらが二の句をつげないまま棒立ちしていると、周助は「辰の刻(現代の午前八時)には門人が来るからそれまでは道場使っていいぞ」と言って何事もなかったかのように道場を出ていってしまった。
 三日経っても五日経っても、周助は一向にさくらに新しいことを教えなかった。
 そして七日目、さくらは周助に素振りを見せたあと、いつものようにスタスタと道場をあとにする父親の背中に向かって言った。 
「父上、さくらはいつまで素振りをすればよいのですか!?」
 周助はさくらの方を振り向くと、驚いたような顔をした。
「いつまでって、お前、まだ七日しかやってねえじゃねえか」
「七日もやりました。早く技を習って信吉に勝ちたいんです」
「バカ野郎、まだ技がどうこう言う段階じゃねえんだよ。天然理心流四代目を継ごうってんだ、中途半端な素振りじゃ次へは進めねえぞ」
 周助はそれだけ言うとさっさと去っていった。さくらは、その後ろ姿を唖然として見つめるしかなかった。

 再び源三郎がやってきていた。大人たちの稽古の声を遠くに聞きながら、さくらは縁側に腰かけて源三郎にここまでの経緯を話した。
「ま、先生が言うことももっともだよな」
「源兄ぃまでそんなこと言うの?」
「だってお前は天然理心流四代目になるんだぜ?」
 さくらはふてくされて源三郎を見た。
「俺だって、始めて結構経つけど、素振りと基本の型教えてもらっただけで、まだ父上たちが稽古してる時は道場に入れてもらえないんだ。ま、俺もまだまだ子供なんだよな」
「源兄ぃ、大人だねー」
「お前話聞いてたか?」源三郎が呆れたように言った。
「ま、少なくともお前よりはな。五つも上なんだから」
 さくらはすっくと立ち上がった。
「源兄ぃ、さっき言ってた基本の型ってやつ教えてよ」
「え?いいけど」
「父上の後を継ぐなんて、まだまだ先だもん。今はとにかく、信吉に勝ちたいの!」
 源三郎はややため息混じりに微笑んだ。
「やっぱ、お前はまだまだガキだな」
「どーせガキですよーだ」
 源三郎は自分の竹刀を手にとり、構えた。さくらもあわてて立ち上がり、源三郎をまねた。
「いいか?こうやって、相手がこう来たら、こうよけてこっから打つんだ」
「わーっ、なんか強そう!」

 それから、二人は時間も忘れて稽古に励んだ。
「そろそろ日が暮れてきたな。父上たちの稽古が終わるぞ」
「源兄ぃ、そしたらさ、帰る前に一回勝負して!」
 これにはさすがに、源三郎も驚きの色を見せた。
「お前が俺に勝てるわけないだろ」
「やってみなくちゃわかんないじゃん。一回実戦ってものをやってみたいんだもん」
 さくらがじっと睨むように源三郎を見るので、源三郎はやれやれという風にため息をついた。
「一回だけだぞ」
 二人は竹刀を構えた。互いに真剣な目で、相手の目を見つめた。
「やあーーっ!!」
「えーいっ!!」
 互いの竹刀がガツンとぶつかり、二人は鍔迫り合いの格好となった。
 すると、源三郎はあっという間にさくらを押し返し、さくらの竹刀を払って自分の竹刀の切っ先をさくらに突き付けた。
「七日素振りやっただけのやつに負けてたまるかってんだ」源三郎は得意げにさくらを見下ろすと、すっと竹刀を引いた。
「あはは、源兄ぃは強いなあ。でも、ありがとう、これでとりあえず信吉に勝てる気がする!」
「その自信はどっから湧いて出るんだよ。でも、ホントに勝負するなら気をつけろよ」
「うん、絶対負けないよ!」
 源三郎とさくらはニッと笑うと、互いのこぶしを突き合わせた。
「ちゃんと周助先生の稽古もしろよ?ま、がんばれ」
「うん。ありがと」
 ほどなくして、源三郎を呼ぶ声がした。
「あ、そろそろ帰らなきゃ」
 試衛館を去っていく井上親子を、さくらはじっと見つめた。
 胸の中は、明日すぐにでも竹刀を持って神社に行こう、とわくわくする気持ちでいっぱいだった。

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