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第六話 未来を告げる桜あんパン
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夏休み明けの始業日なので、授業は午前中だけだった。
四葉が学校から道路に下りるなだらかな坂を歩いていると、目の前を高級車が走っていった。
見慣れない車は、民家の前でアタッシュケースを持ったスーツの男を下ろして走り去る。
(なんだろう?)
男は玄関から家に入った。
通りがかりに耳を澄ますと「動くな!」と脅している声が聞こえる。
話題の押し込み強盗だ!
四葉は、英知に「犯人いた!」とメッセージを送り、引き戸の玄関を勢いよく開けた。
「うちのシマで何してんの!」
大声を出すと、手に縄を持って中腰になっていた男が驚いた顔で振り向いた。
細いフレームの眼鏡を掛けて、高級そうな腕時計をはめている。それに木工会社から薫ってくるような独特な木の匂いもする。
「私の目の黒いうちは、ここで犯罪なんてさせな――うるさいな」
鳴り響くコール音に視線を下げると、ポケットに入れた携帯電話に、折り返しで英知から連絡が来ていた。
強盗は、その隙に四葉を押しのけて表に出る。
「待てっ! おばあちゃん、黒羽組に押し込み強盗が出たって報せて。私は、あいつを追っかけるから!」
「気を付けるんだよ、四葉ちゃん」
「わかった!」
玄関にリュックを放り出した四葉は、走っていく強盗を追いかけた。
相手は背が高く、その分だけ歩幅も広い。一方の四葉も、子どもの頃から足だけは速かった。
短い呼吸に足どりをのせて、徐々に間隔を詰めていく。
土地勘があるのも助かった。
駅までの道路を反れて、左に二度、右に一度曲がり、ベーカリー白鳥がある小道に入る。
四葉が角を曲がると、店のまえに『本日完売』の看板を立てかける由岐の姿が見えた。
「由岐くん、そいつ強盗ーっ!」
四葉が叫ぶと、由岐は横を通りすぎる男を足で引っ掛けて転ばした。
派手に転んだ男の背中を、追いついた四葉が踏んづける。
「悪党成敗っ!」
体重をかけると、男はローファーの下で、田んぼから出てきたウシガエルみたいに鳴いた。
助と賀来が駆けつけた頃には、パラパラと野次馬も集まりだした。
「人が集まると危ないかも。お店のなかで事情を聞かせてもらっていい?」
「来い」
由岐は、男の襟首をつかんで店内に放り込むと、四葉と助と賀来を招き入れて、格子戸と目隠しのカーテンをぴしゃりと閉めた。
男は、ひっくり返った格好でずれた眼鏡をあげる。
「お前ら、ひょっとして黒羽組か? 田舎の子どもがやってるって聞いてたのに、どうしてこんな強面がいるんだ。こんな真似をして許されると思うなよ。こっちのバックについているのは土鋸組だぞ!」
「ああん? 関東にある本家がなんの用だよ?」
賀来がリーゼントを揺らして問い詰めると、男は「ひえっ」とのけぞる。
「だ、代替わりしておいて、土鋸組の頭に挨拶もしない、金も納めないってことは楯突いているのも同じだ。あげく『支払いは待ってください』なんて不義理な手紙を送ったそうだな。それを見た上層部から、ここでシノギをしていいってお触れが出てんだ!」
「また私のせい……」
四葉の胸がズンと重くなった。
自分を無能だとは思っていたが、まさか強盗事件まで招いてしまうとは。
「お嬢、気にしちゃいげねえ。誰のシマでも、押し込み強盗はやっちゃいけねえごとだ。このままサツに渡しますんで」
英知の通報で走ってきたパトカーに、助と賀来は男を引き渡した。
それを店内から見つめながら、四葉は乾いた口で弱音をもらした。
「情けない……」
すると、由岐の手でぽんと頭を撫でられた。
彼なりの慰めが今はひどく痛かった。
◇◇◇
警察から聴取を受けて夜遅くに屋敷へ帰り着いた四葉は、カップラーメンで夕飯を済ませると、さっさとシャワーを浴びてベッドにもぐった。
頭がネガティブ思考に支配されていて、いっこうに眠くならない。
父が守った角館に犯罪者を呼び込んでしまった。一度でも舐められたら終わりだと知っていたのに、後手後手に回り込んだ結果がこれだ。
(私の考えが甘かったんだ)
高校生の自分が手紙を出したら、土鋸組の組長は、大人の余裕でお願いを受け入れてくれると信じ切っていた。
まだ高校生なんだから多少の失敗には目を瞑ってあげよう、というモラトリアムフィルターは極道の世界には存在しなかったのだ。
組長だと言い張っても、しょせん四葉は、父や助や賀来が作り上げた綺麗な世界で生かされているだけの世間知らず。
強盗事件に遭遇して、ようやく夢から覚めたような心地だった。
スマホを持ち上げると、メッセージが三件来ていた。
一つは鈴から『強盗を捕まえるなんてかっこいい!』と称賛してくれるコメント。
もう一つは英知からで『強盗は関東の詐欺グループの一員らしい』という新情報を伝えるもの。
最後は、翔太からだ。
『お父さんから聞きました。上納金のことで土鋸組にいんねんをつけられているって。明日からお屋敷に泊まりこむそうなので、ぼくもついて行っていいですか?』
助がアパートに帰らないと、翔太は必然的に一人きりになってしまう。
土鋸組が襲撃してきたらこの屋敷も危ないが、小学生にとって父と離れて過ごす不安は大きいだろう。
四葉は『いいよ。お着替えと勉強道具を持ってきてね』と送って、スマホを伏せた。
外とのつながりを遮断すると、助の言葉がよみがえってくる。
『お嬢は極道にならなくていいんです。お嬢に普通の女の子として生きていってほしいだけなんです』
「組を続けたい私は、我がままなのかな……」
「ギー」
イエスかノーか判断に困る返事をして、お銀がベッドに上ってきた。
温かな背を撫でると急に眠気が襲ってくる。
おかげで四葉は、こんな夜でも無事に眠れたのだった。
四葉が学校から道路に下りるなだらかな坂を歩いていると、目の前を高級車が走っていった。
見慣れない車は、民家の前でアタッシュケースを持ったスーツの男を下ろして走り去る。
(なんだろう?)
男は玄関から家に入った。
通りがかりに耳を澄ますと「動くな!」と脅している声が聞こえる。
話題の押し込み強盗だ!
四葉は、英知に「犯人いた!」とメッセージを送り、引き戸の玄関を勢いよく開けた。
「うちのシマで何してんの!」
大声を出すと、手に縄を持って中腰になっていた男が驚いた顔で振り向いた。
細いフレームの眼鏡を掛けて、高級そうな腕時計をはめている。それに木工会社から薫ってくるような独特な木の匂いもする。
「私の目の黒いうちは、ここで犯罪なんてさせな――うるさいな」
鳴り響くコール音に視線を下げると、ポケットに入れた携帯電話に、折り返しで英知から連絡が来ていた。
強盗は、その隙に四葉を押しのけて表に出る。
「待てっ! おばあちゃん、黒羽組に押し込み強盗が出たって報せて。私は、あいつを追っかけるから!」
「気を付けるんだよ、四葉ちゃん」
「わかった!」
玄関にリュックを放り出した四葉は、走っていく強盗を追いかけた。
相手は背が高く、その分だけ歩幅も広い。一方の四葉も、子どもの頃から足だけは速かった。
短い呼吸に足どりをのせて、徐々に間隔を詰めていく。
土地勘があるのも助かった。
駅までの道路を反れて、左に二度、右に一度曲がり、ベーカリー白鳥がある小道に入る。
四葉が角を曲がると、店のまえに『本日完売』の看板を立てかける由岐の姿が見えた。
「由岐くん、そいつ強盗ーっ!」
四葉が叫ぶと、由岐は横を通りすぎる男を足で引っ掛けて転ばした。
派手に転んだ男の背中を、追いついた四葉が踏んづける。
「悪党成敗っ!」
体重をかけると、男はローファーの下で、田んぼから出てきたウシガエルみたいに鳴いた。
助と賀来が駆けつけた頃には、パラパラと野次馬も集まりだした。
「人が集まると危ないかも。お店のなかで事情を聞かせてもらっていい?」
「来い」
由岐は、男の襟首をつかんで店内に放り込むと、四葉と助と賀来を招き入れて、格子戸と目隠しのカーテンをぴしゃりと閉めた。
男は、ひっくり返った格好でずれた眼鏡をあげる。
「お前ら、ひょっとして黒羽組か? 田舎の子どもがやってるって聞いてたのに、どうしてこんな強面がいるんだ。こんな真似をして許されると思うなよ。こっちのバックについているのは土鋸組だぞ!」
「ああん? 関東にある本家がなんの用だよ?」
賀来がリーゼントを揺らして問い詰めると、男は「ひえっ」とのけぞる。
「だ、代替わりしておいて、土鋸組の頭に挨拶もしない、金も納めないってことは楯突いているのも同じだ。あげく『支払いは待ってください』なんて不義理な手紙を送ったそうだな。それを見た上層部から、ここでシノギをしていいってお触れが出てんだ!」
「また私のせい……」
四葉の胸がズンと重くなった。
自分を無能だとは思っていたが、まさか強盗事件まで招いてしまうとは。
「お嬢、気にしちゃいげねえ。誰のシマでも、押し込み強盗はやっちゃいけねえごとだ。このままサツに渡しますんで」
英知の通報で走ってきたパトカーに、助と賀来は男を引き渡した。
それを店内から見つめながら、四葉は乾いた口で弱音をもらした。
「情けない……」
すると、由岐の手でぽんと頭を撫でられた。
彼なりの慰めが今はひどく痛かった。
◇◇◇
警察から聴取を受けて夜遅くに屋敷へ帰り着いた四葉は、カップラーメンで夕飯を済ませると、さっさとシャワーを浴びてベッドにもぐった。
頭がネガティブ思考に支配されていて、いっこうに眠くならない。
父が守った角館に犯罪者を呼び込んでしまった。一度でも舐められたら終わりだと知っていたのに、後手後手に回り込んだ結果がこれだ。
(私の考えが甘かったんだ)
高校生の自分が手紙を出したら、土鋸組の組長は、大人の余裕でお願いを受け入れてくれると信じ切っていた。
まだ高校生なんだから多少の失敗には目を瞑ってあげよう、というモラトリアムフィルターは極道の世界には存在しなかったのだ。
組長だと言い張っても、しょせん四葉は、父や助や賀来が作り上げた綺麗な世界で生かされているだけの世間知らず。
強盗事件に遭遇して、ようやく夢から覚めたような心地だった。
スマホを持ち上げると、メッセージが三件来ていた。
一つは鈴から『強盗を捕まえるなんてかっこいい!』と称賛してくれるコメント。
もう一つは英知からで『強盗は関東の詐欺グループの一員らしい』という新情報を伝えるもの。
最後は、翔太からだ。
『お父さんから聞きました。上納金のことで土鋸組にいんねんをつけられているって。明日からお屋敷に泊まりこむそうなので、ぼくもついて行っていいですか?』
助がアパートに帰らないと、翔太は必然的に一人きりになってしまう。
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四葉は『いいよ。お着替えと勉強道具を持ってきてね』と送って、スマホを伏せた。
外とのつながりを遮断すると、助の言葉がよみがえってくる。
『お嬢は極道にならなくていいんです。お嬢に普通の女の子として生きていってほしいだけなんです』
「組を続けたい私は、我がままなのかな……」
「ギー」
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