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第五話 勇気に変わるネコサンド

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 武家屋敷は四百年ほど前の日本家屋だ。
 古い木の柱と白漆喰は、こまめに修繕しなければ隙間風と虫に支配されてしまう。
 他の屋敷は観光用に整備したり、お土産屋に貸したりして、持ち主は別の家で暮らしている。
 屋敷と家財道具一式を観光業者に売り払って都会に出てしまった人もいる。維持費を考えると、思いきって手放すのは利口だ。
 手入れを怠れば二度と元に戻らない責任は、持ち主に重くのしかかる。
 観光業者に売り渡して活用してもらえば、屋敷は維持されるし観光客の目も楽しませられて地元の経済に貢献できる。

 そう理解していても、四葉はこの屋敷を手放せない。
 ここには黒羽組の歴史があるのだ。
 座敷の梁には、組を作った当初に切り込んできた浪士の刀傷がある。
 何代目かの組長が書いた『黒羽一家ここにあり』の掛け軸や、青磁の壺は祖父の宝物だったし、床の間を飾る四葉の身長より大きな牛の角にまたがって遊んだのもいい思い出だ。
 蔵に行くと歴代の娘が着た振袖や黒漆の甲冑が鎮座していて、いつも四葉を守ってくれている気がした。
 父や祖父や曾祖父、何代もさかのぼれる一族が息づいてきた屋敷を、どうして売り払えるだろう。

「お金、どうやって集めようかな」

 四葉が学校を辞めて出稼ぎに行ったところで、稼ぎが少ないのは目に見えている。

「土鋸組の組長さんってどんな人だろう。上納金、私が就職するまで待ってくれないかな……」

 将来的な安定と、組と屋敷を維持するための多額の報酬を得るには、父と同じ薬剤師への道が堅実だった。
 実入りのいい職業でなければ、四葉の世界は守れない。
 猫の形をした抱き枕にしがみついてゴロンと横たわると、控えめな呼びかけの後に襖が開いた。
 神妙な顔で廊下に膝をついていたのは助だ。

「お嬢。郵便受けに封書が投げ込まれましだ」

「郵便配達を使わずに、誰かが直接入れたってこと?」

「はい。名乗りが『土鋸組の組長』になっでます」

「見せて!」

 四葉は起き上がって封書を開いた。
 校長先生が式典で胸ポケットから取り出すような和紙の短冊には、達筆で『新組長就任祝 黒羽四葉殿』と書かれている。
 包みを開くと、百万円の新札束が一つ出てきた。

「なんで? 連絡してないのに」

「黒羽組についてこっちはお見通しだ、って言いだいんでしょう。土鋸組は、黒羽組との杯の誓いは放棄しないから、従えってことです」

「つまり、この百万円は人情から贈られたお祝い金じゃないんだね。これだけ渡せば無視はできないだろうって意思表示なんだ」

 土鋸組が求めているものは二つ。
 新たな組長からの土鋸組組長への挨拶と、分家としての義理を果たせ――上納金を渡せということだ。

「どうしよう……。まだ一千万円を用意できてないのに!」

「それについて、お嬢に話がごぜえやす」

 助は、改まって握り拳を畳についた。

「先代に言われでいだんです。もしも急に自分がいなくなっだら、お嬢が何を言っでも黒羽組は潰せと」

「え……?」

「角館は過疎地です。どんどん人がいなくなる。極道がいくら渡世の仁儀を尽くそうど思っでも、人が居なけりゃ存在意義はなし。さっさと足を洗ってしまっだ方が賢いんです。それを先代は分かってらしたんで」

「足を洗った方が良いなら、どうしてお父さんは組長を続けていたの」

「お嬢のためですよ」

 短い言葉は、ざっくりと四葉の胸に突き刺さった。

「私の?」

「お嬢は角館が大好きでしょう。極道一家の娘として、人を守るのが生きがいでしょう。それを取り上げられない親バカだったんですよ、先代は。薬学部を目指しでいれば他の県に進学する。組をどうこうするのは、お嬢がここを離れてからと決めて待ってたんで」

 秋田県内に薬学部を擁している大学はない。
 薬剤師になるためには他県に進学するより道はなかった。父は、四葉を手の届かない場所に送り出してから、こっそり組を畳む予定だったらしい。

「先代の生命保険金は、お嬢の進学費用に取ってありましだ。これを手切れ金にしちまってもいい。進学費用は、オレと賀来で蟹工船にでも乗って稼ぎますんで」

「お父さんの生命保険金って、いくらあるの?」

「一千万です」

「それだけあれば上納金を払えるじゃない!」

「いげません、お嬢!」

 喜ぶ四葉の肩に、助は手を当てて懇願する。

「上納金を納めてしまっだら、土鋸組との縁は続いちまう。毎月のように多額の金を納めないと、お嬢の命まで狙われがねない。こんな田舎の組が払い続けられるものではねえ。悪いことは言わねえがら、先代の生命保険金を手切れ金にして、組を畳みましょう」

「助さんは、黒羽組がなくなってもいいの?」

 祈るような問いかけに、助はしばし無言になった。
 大きな巨体を震わせて、剃り上げた頭に手を滑らせるのは、彼が言葉を探している時の癖だ。

「……なくなるのは正直言って寂しいですよ。オレはクズのチンピラだった。黒羽組で面倒見でもらわなければ、刑務所で一生を終えだかもしれねえ。組には心から感謝しとります。だから、黒羽組を畳んでお嬢を幸せにするのは組への恩返しなんです」

「私の幸せを、勝手に決めないでよ……」

 喉から声を絞り出して、やっと告げた。
 父も、助も、たぶん賀来も、四葉にとって黒羽組がどれだけ大切なのか分かっていないのだ。
 黒羽組は宝物なのだ。いなくなってしまった父のぬくもりを感じられて、四葉と地域とを結びつけてくれる、他の何を捨ててもこれだけは守りたい物なのだ。

「私は黒羽組のために生きているの。ずっとずっと、お父さんみたいに極道として生きていくのに憧れていたの。それを取り上げて、私が幸せになれると思うの!?」

 自分でもびっくりするくらい大きな声で四葉は怒鳴った。
 よりによって一番身近にいてくれた組員が、自分の気持ちを少しも察してくれなかったことに怒っていた。自分を蚊帳の外に置いて、勝手に組の将来を決めようとしたところも信じられない。

「本当は私のこと、黒羽組の組長だなんて思ってなかったんでしょ!」

「思ってます。でも、お嬢は極道にはならなくでいいんです。花太郎さんもオレたちも、お嬢に普通の女の子として生きていってほしいだけなんです」

「助さんの分からず屋!」

 四葉は抱き枕を助に投げつけて部屋を飛び出した。

「お嬢、大きい声が聞こえましたけどどうしました?」

 廊下にいた賀来が心配そうに声を掛けてきたので、振り向いて怒鳴り返す。

「私、家出するから。由岐くんのところに!」
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