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第三話 長屋生まれのゲンコツカレーパン
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不思議そうな翔太に、由岐はカレーに負けないピリッとした口調で言い放った。
「んじゃあ、お前、なんでパンが膨らむか説明できるか?」
困った顔になった翔太は「できません」と答えた。
素直でよろしいと頷き、由岐は次に四葉を見た。
「四葉、さっき道中でした説明を翔太にしてやれ」
「えーっと。酵母菌がお砂糖かなんかの栄養をパンの生地のなかで食べて、ほっこり膨らむガスを出すんだよね。で、水分量にはお天気が大事!」
「はぁ? そんなんで美味いパンが作れるか。パン作りを舐めてんじゃねえぞ」
由岐は、げんこつをちゃぶ台に叩きつけた。
空になった皿が跳ねて、翔太と四葉の身が引き締まる。
「パンの成り立ちは歴史だ。英語ができなけりゃ海外で生まれた製法は理解できないし、酵母菌と発酵の仕組みは化学の素地がいる。天気による水分量の計算は物理学と数学だ。国語もしっかり学ばないと、こいつみたいなヘンテコな説明しかできなくなる。美味いパンがどうして美味くなったのか本質的な部分で分からないと、同じ味のパンは二度と作れない。そんなんじゃ店をやっていけねえだろ」
「たしかに……四葉ちゃんみたいにふわっと考えていると詰みますね」
翔太から憐れみの視線を向けられて、四葉はちゃぶ台にひれ伏す。
「中間テストの点数は酷かったけど、そんな目で見ないでよ。私はパン職人にはならないから、ふわっと理解してればいいんだもん」
「点数悪かったの、四葉ちゃん。もう高校生なのに大丈夫?」
「追試次第……」
四葉が漏らすと、翔太と由岐は溜め息をついた。完全に呆れられている。
「それと、パン屋の店員はコミュニケーションがとれないと成り立たない。どんなパンがいつどれだけ焼き上がるか理解して陳列しないと、廃棄する量が多くなる。どんな風に保存すれば長く美味しく食べられるか、客に伝えるのも仕事だ。人と人の関係を学べるのは学校の良いところだろ。馬鹿にしてくる相手と同じ教室にいなきゃならないってのは人生経験になる。お前は今、人と関わる訓練をしているんだ」
教科書を読みこめば義務教育の範囲は履修できるが、コミュニケーション能力は実際に多数の人間がいる場でないと勉強できない。
(由岐くん、不良生徒なりに高校には行っていたしね)
喧嘩っぱやい由岐が休みがちでも退学を選ばなかったのは、安芸の姿を見てパン職人に必要なあれそれを考えていたからだろう。
真摯に学校の必要性を話された翔太は、でも、とためらいがちに目を伏せた。
「ぼく、また誰かを殴りそうになるかもしれない。お父さんのことを馬鹿にされたら我慢していられないんだ……」
「殴るかもしれないって考えているうちは殴らない。俺なんか、考える前に殴ってたぞ」
由岐は職人だこの出来た大きな手の平を、翔太の頭に置いた。
「間違って手が出ても小学生の喧嘩に警察は来ない。殴っちまった時は心から謝って、ついでにこう言ってやれ。『イジメなんてダサい真似してるからだ』って」
「ぼくがされたの、イジメだったの?」
きょとんとする翔太に、由岐は声を出して笑った。
思い悩んでいたわりに自覚していなかったらしい。
「イジメだ、イジメ。それに気づかないくらい、お前は強いってことだ。明日から登校して堂々と授業を受けてみろ。休んでたのにどうして授業に遅れてないんだって、問題起こしたクラスメイトの方が怯えるだろうよ」
由岐の励ましが効いたらしく、翔太はコクリと頷いた。
「うん。そうしてみる」
その時、玄関の扉がカチャっと音を立てて開いた。
「翔太、ただいまー。あれ? なんでいるんですか、お嬢! しかも由岐まで。誰の許可を得てあがりこんでんだ、ああ?」
帰って来た助は、由岐にガンつけ始めた。由岐はニイと口を引きながら、食べる人を待っていたカレーパンの皿を持ち上げる。
「許可は家主にもらった。そんなこと言ってると、翔太が作った『ゲンコツカレーパン』やらねえぞ」
「なんだそれ!?」
助は大急ぎで手を洗ってくると、ちゃぶ台に座って両手を合わせる。
翔太が丹念にげんこつで閉じたカレーパンにかぶりつくなり上がった「美味い!」の声に、翔太は元気そうな顔で喜んだ。
由岐の言葉に感銘を受けた翔太は、翌日から再び学校に通い始めた。
積極的に色々な相手と話したり、猛勉強したりしているらしく、担任から電話をもらった助が泣いて喜んでいた。
由岐がキーマカレー風にフィリングを手作りする『ゲンコツカレーパン』は、お昼近くにベーカリー白鳥の店頭に並ぶようになった。
ヘルシーで美味しいと評判なので、店の名物になる日も遠くない。
いつかまた、翔太が作ってくれたゲンコツカレーパンが食べたいと、追試のための勉強をしながら四葉は思うのだった。
「んじゃあ、お前、なんでパンが膨らむか説明できるか?」
困った顔になった翔太は「できません」と答えた。
素直でよろしいと頷き、由岐は次に四葉を見た。
「四葉、さっき道中でした説明を翔太にしてやれ」
「えーっと。酵母菌がお砂糖かなんかの栄養をパンの生地のなかで食べて、ほっこり膨らむガスを出すんだよね。で、水分量にはお天気が大事!」
「はぁ? そんなんで美味いパンが作れるか。パン作りを舐めてんじゃねえぞ」
由岐は、げんこつをちゃぶ台に叩きつけた。
空になった皿が跳ねて、翔太と四葉の身が引き締まる。
「パンの成り立ちは歴史だ。英語ができなけりゃ海外で生まれた製法は理解できないし、酵母菌と発酵の仕組みは化学の素地がいる。天気による水分量の計算は物理学と数学だ。国語もしっかり学ばないと、こいつみたいなヘンテコな説明しかできなくなる。美味いパンがどうして美味くなったのか本質的な部分で分からないと、同じ味のパンは二度と作れない。そんなんじゃ店をやっていけねえだろ」
「たしかに……四葉ちゃんみたいにふわっと考えていると詰みますね」
翔太から憐れみの視線を向けられて、四葉はちゃぶ台にひれ伏す。
「中間テストの点数は酷かったけど、そんな目で見ないでよ。私はパン職人にはならないから、ふわっと理解してればいいんだもん」
「点数悪かったの、四葉ちゃん。もう高校生なのに大丈夫?」
「追試次第……」
四葉が漏らすと、翔太と由岐は溜め息をついた。完全に呆れられている。
「それと、パン屋の店員はコミュニケーションがとれないと成り立たない。どんなパンがいつどれだけ焼き上がるか理解して陳列しないと、廃棄する量が多くなる。どんな風に保存すれば長く美味しく食べられるか、客に伝えるのも仕事だ。人と人の関係を学べるのは学校の良いところだろ。馬鹿にしてくる相手と同じ教室にいなきゃならないってのは人生経験になる。お前は今、人と関わる訓練をしているんだ」
教科書を読みこめば義務教育の範囲は履修できるが、コミュニケーション能力は実際に多数の人間がいる場でないと勉強できない。
(由岐くん、不良生徒なりに高校には行っていたしね)
喧嘩っぱやい由岐が休みがちでも退学を選ばなかったのは、安芸の姿を見てパン職人に必要なあれそれを考えていたからだろう。
真摯に学校の必要性を話された翔太は、でも、とためらいがちに目を伏せた。
「ぼく、また誰かを殴りそうになるかもしれない。お父さんのことを馬鹿にされたら我慢していられないんだ……」
「殴るかもしれないって考えているうちは殴らない。俺なんか、考える前に殴ってたぞ」
由岐は職人だこの出来た大きな手の平を、翔太の頭に置いた。
「間違って手が出ても小学生の喧嘩に警察は来ない。殴っちまった時は心から謝って、ついでにこう言ってやれ。『イジメなんてダサい真似してるからだ』って」
「ぼくがされたの、イジメだったの?」
きょとんとする翔太に、由岐は声を出して笑った。
思い悩んでいたわりに自覚していなかったらしい。
「イジメだ、イジメ。それに気づかないくらい、お前は強いってことだ。明日から登校して堂々と授業を受けてみろ。休んでたのにどうして授業に遅れてないんだって、問題起こしたクラスメイトの方が怯えるだろうよ」
由岐の励ましが効いたらしく、翔太はコクリと頷いた。
「うん。そうしてみる」
その時、玄関の扉がカチャっと音を立てて開いた。
「翔太、ただいまー。あれ? なんでいるんですか、お嬢! しかも由岐まで。誰の許可を得てあがりこんでんだ、ああ?」
帰って来た助は、由岐にガンつけ始めた。由岐はニイと口を引きながら、食べる人を待っていたカレーパンの皿を持ち上げる。
「許可は家主にもらった。そんなこと言ってると、翔太が作った『ゲンコツカレーパン』やらねえぞ」
「なんだそれ!?」
助は大急ぎで手を洗ってくると、ちゃぶ台に座って両手を合わせる。
翔太が丹念にげんこつで閉じたカレーパンにかぶりつくなり上がった「美味い!」の声に、翔太は元気そうな顔で喜んだ。
由岐の言葉に感銘を受けた翔太は、翌日から再び学校に通い始めた。
積極的に色々な相手と話したり、猛勉強したりしているらしく、担任から電話をもらった助が泣いて喜んでいた。
由岐がキーマカレー風にフィリングを手作りする『ゲンコツカレーパン』は、お昼近くにベーカリー白鳥の店頭に並ぶようになった。
ヘルシーで美味しいと評判なので、店の名物になる日も遠くない。
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