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第三話 長屋生まれのゲンコツカレーパン
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憤慨する四葉に、由岐は「事実だろ」と答える。
「極道ってのは、口座もクレジットカードも作れないし、携帯電話の契約だってできない。一般的には就職だってできないんだぞ」
「それは事実だけど!」
いわゆる暴力団排除条例が厳しくなり、極道一家の組員は社会的な生活に必要な契約の一切ができないようになってしまった。
銀行口座も携帯電話も持てないとなれば就職は難しい。
企業側も反社会勢力との取引は禁じられていて、一度でもそちらに関わっていたと露見すれば解雇は免れない。実はこれにより、極道を抜けてカタギに戻っても仕事を得られず、また犯罪行為に手を染めるという悪循環が起きている。
「だからって犯罪者呼ばわりは酷いよ。黒羽組は正義の味方なのに!」
「ぼくもそう思いました。お父さんのこと何にも知らないくせに、って揉み合いになったら、『ヤクザの息子だから暴力的なんだ』って言いがかりを付けられたんです。それで、ぼく何も出来なくなっちゃって……」
そこに担任が駆けつけて喧嘩は両成敗になった。
だが、翔太の足は学校から遠のいた。これまで翔太を差別しなかった他の子ともぎくしゃくするようになり、居づらくなってしまったのだ。
「ぼく、次に同じようなことを言われたら戦うべきなのか、それとも黙って耐えるべきなのか、答えが出ないんです。お父さんが心配しているので、教科書を見て授業に遅れないようにはしています」
ちゃぶ台の端には英語のワークブックが載っている。
不良とはかけ離れた子どもである翔太でさえも、偏見にさらされるのか。
四葉は、毎年のように自分に持ち上がってきた不本意な噂を思い出して頭を抱えた。
「何が正解なのか、私も分かんないよ……」
「ですよね。あ、もうすぐお昼だ。このパン、食べてもいいですか?」
翔太は、由岐がちゃぶ台に置いていた食パンを引き寄せた。
「ぼく、ゲンコツパンが好きなんです。半分ずつマーガリンとジャムを塗って、二つ折りにして端っこをゲンコツで潰して封をするんです」
「マーガリンとジャムを左右に塗って、二枚の食パンを貼り合わせるアベックトーストは知ってるけど、ゲンコツパンっていうのがあるんだね」
「ぼくが開発したんです」
急に目をキラキラさせて翔太は微笑んだ。
「料理ができなかった頃、お父さんに何か作ってあげたくて。色んな味を作ってあげたいんですけど、他にどんな具材を入れていいのか分からなくて。由岐さんだったら何を入れますか?」
「俺なら、惣菜系パンの定番はピザトーストを作る。材料があるなら今やる」
由岐に言われて台所にある冷蔵庫を開けた翔太は、がっくりと肩を落とした。
「何もないです。キーマカレーを作るのに野菜を全部使っちゃったんです」
コンロに上がっていた両手鍋には、挽き肉とみじん切りにしたたまねぎ、にんじん、ビーマンがじっくり炒められたカレーがあった。
「翔太くん、料理もできるんだ。すごいね」
賀来の手伝いくらいしか料理をしない四葉には、市販のルーを使ったカレーが精いっぱい。小学生でキーマカレーを作ろうと思う翔太は、もしかして料理の天才ではと思わざるを得ない。
感心していたら、由岐がピンと来た顔で「カレーパンは?」と提案する。
「これを使っていいなら、翔太式のカレーパンを作ってやる」
「いいですけど、ぼく式?」
「見てろ」
由岐は手を洗うと、六枚にスライスされた食パンをまな板に並べて耳を切り落とした。その中央に、冷たくなったキーマカレーを少量だけ置いた。
「一般的なカレーパンは、焼く前の生地でカレーフィリングを包んで閉じるが、これだけ水分がないカレーなら食パンでも包める。三角に折って中身が漏れないようにくっつけてくれ」
「ゲンコツで、ですね」
翔太はパンを二つ折りにして、端を拳で潰してくっつけた。卵を溶いて両面に塗った由岐は、パン粉をまぶして熱したフライパンに並べていく。
じゅわっと心地よい音に、四葉のお腹がぐぅと鳴った。
「揚げる代わりに、多めの油でカリカリに焼いて仕上げる」
両面をキツネ色になるまで焼いて、四つのお皿に取り出す。
こんがりと焼き上がった食パンからは、小麦の香ばしさと、スパイシーな匂いが漂ってきた。
三人でちゃぶ台に運んで、熱々にかぶりつく。
表面はさくっと仕上がっていて、ぎっしりつまったキーマカレーの味わいと調和している。ほどよい辛みが突き抜けると体がぽかぽかと熱くなった。
「すっごく美味しい! これ、お店で出せないかな。フライヤーがないからカレーパンは諦めるって由岐くん言ってたじゃない。その代わりとして!」
「スケジュールがきついな。オーブンで全ての生地を焼き終わってから……。十一時以降ならフライパンも扱える。昼時に合わせて出す惣菜系のパンが足りなかったし、試しにやってみるか」
四葉と由岐が相談しているのを、翔太はじいっと見つめてくる。
「翔太くん、どうかした?」
「あの、ぼくもパン職人になりたいです。由岐さん、弟子にしてくれませんか?」
「してやってもいいぞ。学校に行って、国語も算数も英語も理科も社会も全部しっかり勉強するなら」
「え……。職人に勉強って必要なんですか?」
「極道ってのは、口座もクレジットカードも作れないし、携帯電話の契約だってできない。一般的には就職だってできないんだぞ」
「それは事実だけど!」
いわゆる暴力団排除条例が厳しくなり、極道一家の組員は社会的な生活に必要な契約の一切ができないようになってしまった。
銀行口座も携帯電話も持てないとなれば就職は難しい。
企業側も反社会勢力との取引は禁じられていて、一度でもそちらに関わっていたと露見すれば解雇は免れない。実はこれにより、極道を抜けてカタギに戻っても仕事を得られず、また犯罪行為に手を染めるという悪循環が起きている。
「だからって犯罪者呼ばわりは酷いよ。黒羽組は正義の味方なのに!」
「ぼくもそう思いました。お父さんのこと何にも知らないくせに、って揉み合いになったら、『ヤクザの息子だから暴力的なんだ』って言いがかりを付けられたんです。それで、ぼく何も出来なくなっちゃって……」
そこに担任が駆けつけて喧嘩は両成敗になった。
だが、翔太の足は学校から遠のいた。これまで翔太を差別しなかった他の子ともぎくしゃくするようになり、居づらくなってしまったのだ。
「ぼく、次に同じようなことを言われたら戦うべきなのか、それとも黙って耐えるべきなのか、答えが出ないんです。お父さんが心配しているので、教科書を見て授業に遅れないようにはしています」
ちゃぶ台の端には英語のワークブックが載っている。
不良とはかけ離れた子どもである翔太でさえも、偏見にさらされるのか。
四葉は、毎年のように自分に持ち上がってきた不本意な噂を思い出して頭を抱えた。
「何が正解なのか、私も分かんないよ……」
「ですよね。あ、もうすぐお昼だ。このパン、食べてもいいですか?」
翔太は、由岐がちゃぶ台に置いていた食パンを引き寄せた。
「ぼく、ゲンコツパンが好きなんです。半分ずつマーガリンとジャムを塗って、二つ折りにして端っこをゲンコツで潰して封をするんです」
「マーガリンとジャムを左右に塗って、二枚の食パンを貼り合わせるアベックトーストは知ってるけど、ゲンコツパンっていうのがあるんだね」
「ぼくが開発したんです」
急に目をキラキラさせて翔太は微笑んだ。
「料理ができなかった頃、お父さんに何か作ってあげたくて。色んな味を作ってあげたいんですけど、他にどんな具材を入れていいのか分からなくて。由岐さんだったら何を入れますか?」
「俺なら、惣菜系パンの定番はピザトーストを作る。材料があるなら今やる」
由岐に言われて台所にある冷蔵庫を開けた翔太は、がっくりと肩を落とした。
「何もないです。キーマカレーを作るのに野菜を全部使っちゃったんです」
コンロに上がっていた両手鍋には、挽き肉とみじん切りにしたたまねぎ、にんじん、ビーマンがじっくり炒められたカレーがあった。
「翔太くん、料理もできるんだ。すごいね」
賀来の手伝いくらいしか料理をしない四葉には、市販のルーを使ったカレーが精いっぱい。小学生でキーマカレーを作ろうと思う翔太は、もしかして料理の天才ではと思わざるを得ない。
感心していたら、由岐がピンと来た顔で「カレーパンは?」と提案する。
「これを使っていいなら、翔太式のカレーパンを作ってやる」
「いいですけど、ぼく式?」
「見てろ」
由岐は手を洗うと、六枚にスライスされた食パンをまな板に並べて耳を切り落とした。その中央に、冷たくなったキーマカレーを少量だけ置いた。
「一般的なカレーパンは、焼く前の生地でカレーフィリングを包んで閉じるが、これだけ水分がないカレーなら食パンでも包める。三角に折って中身が漏れないようにくっつけてくれ」
「ゲンコツで、ですね」
翔太はパンを二つ折りにして、端を拳で潰してくっつけた。卵を溶いて両面に塗った由岐は、パン粉をまぶして熱したフライパンに並べていく。
じゅわっと心地よい音に、四葉のお腹がぐぅと鳴った。
「揚げる代わりに、多めの油でカリカリに焼いて仕上げる」
両面をキツネ色になるまで焼いて、四つのお皿に取り出す。
こんがりと焼き上がった食パンからは、小麦の香ばしさと、スパイシーな匂いが漂ってきた。
三人でちゃぶ台に運んで、熱々にかぶりつく。
表面はさくっと仕上がっていて、ぎっしりつまったキーマカレーの味わいと調和している。ほどよい辛みが突き抜けると体がぽかぽかと熱くなった。
「すっごく美味しい! これ、お店で出せないかな。フライヤーがないからカレーパンは諦めるって由岐くん言ってたじゃない。その代わりとして!」
「スケジュールがきついな。オーブンで全ての生地を焼き終わってから……。十一時以降ならフライパンも扱える。昼時に合わせて出す惣菜系のパンが足りなかったし、試しにやってみるか」
四葉と由岐が相談しているのを、翔太はじいっと見つめてくる。
「翔太くん、どうかした?」
「あの、ぼくもパン職人になりたいです。由岐さん、弟子にしてくれませんか?」
「してやってもいいぞ。学校に行って、国語も算数も英語も理科も社会も全部しっかり勉強するなら」
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