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第三話 長屋生まれのゲンコツカレーパン
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ゴールデンウィークが過ぎた五月二週目の土曜日。
新生『ベーカリー白鳥』は満を持してオープンした。店の外には黒羽組から送った仰々しい花輪が飾られている。開店祝いなのでちょっと奮発した。
桜祭で試食を配ったこともあって、角館以外からも客が押しよせた。
だが、由岐は焦らなかった。店の混雑具合にかかわらず、次々とパンを焼き上げていく手順ができあがっているのだ。
作業に掛かる時間とオーブンの熱し具合からスケジュールを細かく組み、開店の朝七時から十一時まで休みなく動く。そこから、閉店する午後一時までの二時間にどれだけ売り尽くせるかが、廃棄を出さないための勝負になる。
店内を任された四葉の方が客の多さにてんてこ舞いで、助と賀来の手を借りながら会計を熟していった。
強面の男性二人なので客が怖がらないか心配だったが、明るい四葉ともう一人の功労者のおかげで雰囲気は良かった。
「ぼく。この店、カレーパンはないの?」
有閑マダム風の客に尋ねられたのは、藍染めのエプロンをつけた眼鏡の男の子だ。
困り顔で四葉を見たので、賀来にレジを変わってもらった。
「カレーパンはお出ししてないんです。うちは、フライヤーっていう揚げ物をつくる機械がないんですよ。これからメニューに加えられるか職人に相談してみます」
「そう。じゃ、残ってるパン、全部ちょうだい」
「ありがとうございます!」
マダムが買い占めてくれたおかげで、正午を待たずに一日分のパンが売り切れた。
賀来と助は、花輪を道路から退かすために店外に出る。
四葉は、閉店の札をレジの下から取りだしながら、トングとトレイの消毒に取りかかる男の子に声をかけた。
「翔太くん、お手伝いありがとう。何とかオープン初日を乗り越えられたよ」
「ぼくは、大したことしてないよ」
翔太は助の一人息子だ。
離婚の際に助が親権をとって以来、四葉とも仲良くしている。
今日は、四葉がテストと開店準備でヘトヘトになっていると知って、協力を申し出てくれたのだ。
「大したことあるよ! 翔太くんが積極的におばあちゃん達を案内してくれなかったら、私はレジに集中できなかったもん」
焼き上がったパンは灼熱だ。
熱い天板を小学生や高校生には触らせられないと、由岐が店頭まで出てきて陳列した。
コックコート姿の由岐は格好よく、客が彼の姿を見ようと店内に留まるせいで、高齢者の客がトレイを持ったまま右往左往してしまうことがあった。
そんなとき、翔太が声をかけてトレイを引き取り、パンを選ぶのを手伝って優先的にレジに通すようにした。
いわば『対イケメンに見惚れた客封じの連携術』である。
だが、功労者の翔太は褒められても嬉しそうではない。
沈んだ様子で台を拭きはじめたので、四葉は調理室の由岐を呼んだ。
「ね、由岐くんも翔太くんがいてくれて、助かったよね?」
洗い物をしていた由岐は、暖簾を押して「ああ」と答えた。
「こんなに混雑するとは思ってなかった。翔太がいてくれて助かった。明日も同じようになるだろうな。月曜には助と賀来で回せるようにするから、もう一日頼む」
「ぼく、月曜も来るよ。ううん、来させてください!」
翔太は、消毒用のアルコールスプレーを置いて、由岐に頭を下げた。
由岐は、太い腕を組んで首を横に振った。
「お前は学校があるだろう。四葉も月曜からは来ないんだぞ」
登校時間は小中高ともに大体朝の八時だ。
ベーカリー白鳥の開店は七時だから、来ても店を開ける準備くらいしか手伝えない。
「学校はいいんです。ぼく、今はほとんど通っていないから」
「えっ?」
さらりと明かされた事実に面食らう。
だって四葉は、翔太が不登校になっているなんて助からは聞いていないのだ。
同じくぽかんとする由岐に、翔太は頭を下げた。
「頑張って働くので、ここに置いてください。お願いしま――」
翔太の頼みは、花輪が倒れる物音で中断した。
道路側に横倒しになったので格子戸は無事だったが、散乱した花を集めるのに苦労した。
翌日の営業も、なんだかんだと翔太に助けられた。口コミで客が増えたせいで、十一時すぎには店頭から全てのパンがはけた。
急いで閉店作業をした四葉と由岐は、翔太を賀来に託して黒羽家で昼食を食べさせている間に、カーテンを閉めた店内で助を問い詰めていた。
「翔太くんが学校に行っていないって、いつからなの?」
取調室での尋問みたいな気迫に、助は観念した顔で告白した。
「小学三年の年度に入ってすぐだがら、四月の初めです……。お嬢と組が大変などきに、倅のことを相談するのは気が引けちまっで……」
黙っていたのは、父親を失って日が浅い四葉を思いやってのことだったらしい。
翔太は始業式のあとにクラスメイトと大げんかした。父が黒羽組の組員であることを馬鹿にされて、取っ組み合いになったのだそうだ。
幸いどちらも擦り傷程度だったので、担任が双方の保護者を呼び出して両成敗した。
「相手のご母堂、こっちを見で怯えでだんですよ。この風貌じゃ仕方がねえが、翔太にはオレのせいで、学校でも肩身の狭い思いをさせでしまっでる……」
「助さんは良いお父さんじゃない。そりゃあ見た目は少し怖いかもしれないけど、極道だからって差別されるいわれはないよ。町の人を守るために出来た自警団が、組織の体をなして極道になったのであって、犯罪者の集団じゃないんだから!」
四葉の言葉は父からの受け売りだが、黒羽組は法律に触れるような行いは天に誓ってしていない。
拝金主義に染まった大きな暴力団は、大金を集めるために詐欺の元締めや麻薬の流通に手を出して人々を苦しめているが、本来そういった行いは極道の教えからすると風上にも置けない。
黒羽組は、現代社会から取りこぼされた人々に仕事を与え、助けを求められれば喜んで手を貸し、地域の安全を守るためにだけ暴力を使う。
暴力団なんて不名誉な名前を付けて、極悪集団みたいに扱われるのは心外だ。
憤る四葉に対して、助の方は巨体を縮めてしゅんとした。
「わかっでます。でも世間様はそんなことも忘れちまっだんだ。翔太には、学校に行けるようならいつからでも行けって話しでいます」
「無理やり通わせても何の解決にもならない。学校ってのは、行けって言われるほど行くのが辛くなる」
中学時代は喧嘩に明け暮れてほぼ不登校だった由岐が言うと説得力があった。
四葉は、助と相談のうえで翔太には何も言わないことにした。
励ましの言葉は時として凶器になるからだ。
(でも、心配だよ)
悲しそうな助の背をさすりながら、四葉は自分の無力さを噛みしめていた
新生『ベーカリー白鳥』は満を持してオープンした。店の外には黒羽組から送った仰々しい花輪が飾られている。開店祝いなのでちょっと奮発した。
桜祭で試食を配ったこともあって、角館以外からも客が押しよせた。
だが、由岐は焦らなかった。店の混雑具合にかかわらず、次々とパンを焼き上げていく手順ができあがっているのだ。
作業に掛かる時間とオーブンの熱し具合からスケジュールを細かく組み、開店の朝七時から十一時まで休みなく動く。そこから、閉店する午後一時までの二時間にどれだけ売り尽くせるかが、廃棄を出さないための勝負になる。
店内を任された四葉の方が客の多さにてんてこ舞いで、助と賀来の手を借りながら会計を熟していった。
強面の男性二人なので客が怖がらないか心配だったが、明るい四葉ともう一人の功労者のおかげで雰囲気は良かった。
「ぼく。この店、カレーパンはないの?」
有閑マダム風の客に尋ねられたのは、藍染めのエプロンをつけた眼鏡の男の子だ。
困り顔で四葉を見たので、賀来にレジを変わってもらった。
「カレーパンはお出ししてないんです。うちは、フライヤーっていう揚げ物をつくる機械がないんですよ。これからメニューに加えられるか職人に相談してみます」
「そう。じゃ、残ってるパン、全部ちょうだい」
「ありがとうございます!」
マダムが買い占めてくれたおかげで、正午を待たずに一日分のパンが売り切れた。
賀来と助は、花輪を道路から退かすために店外に出る。
四葉は、閉店の札をレジの下から取りだしながら、トングとトレイの消毒に取りかかる男の子に声をかけた。
「翔太くん、お手伝いありがとう。何とかオープン初日を乗り越えられたよ」
「ぼくは、大したことしてないよ」
翔太は助の一人息子だ。
離婚の際に助が親権をとって以来、四葉とも仲良くしている。
今日は、四葉がテストと開店準備でヘトヘトになっていると知って、協力を申し出てくれたのだ。
「大したことあるよ! 翔太くんが積極的におばあちゃん達を案内してくれなかったら、私はレジに集中できなかったもん」
焼き上がったパンは灼熱だ。
熱い天板を小学生や高校生には触らせられないと、由岐が店頭まで出てきて陳列した。
コックコート姿の由岐は格好よく、客が彼の姿を見ようと店内に留まるせいで、高齢者の客がトレイを持ったまま右往左往してしまうことがあった。
そんなとき、翔太が声をかけてトレイを引き取り、パンを選ぶのを手伝って優先的にレジに通すようにした。
いわば『対イケメンに見惚れた客封じの連携術』である。
だが、功労者の翔太は褒められても嬉しそうではない。
沈んだ様子で台を拭きはじめたので、四葉は調理室の由岐を呼んだ。
「ね、由岐くんも翔太くんがいてくれて、助かったよね?」
洗い物をしていた由岐は、暖簾を押して「ああ」と答えた。
「こんなに混雑するとは思ってなかった。翔太がいてくれて助かった。明日も同じようになるだろうな。月曜には助と賀来で回せるようにするから、もう一日頼む」
「ぼく、月曜も来るよ。ううん、来させてください!」
翔太は、消毒用のアルコールスプレーを置いて、由岐に頭を下げた。
由岐は、太い腕を組んで首を横に振った。
「お前は学校があるだろう。四葉も月曜からは来ないんだぞ」
登校時間は小中高ともに大体朝の八時だ。
ベーカリー白鳥の開店は七時だから、来ても店を開ける準備くらいしか手伝えない。
「学校はいいんです。ぼく、今はほとんど通っていないから」
「えっ?」
さらりと明かされた事実に面食らう。
だって四葉は、翔太が不登校になっているなんて助からは聞いていないのだ。
同じくぽかんとする由岐に、翔太は頭を下げた。
「頑張って働くので、ここに置いてください。お願いしま――」
翔太の頼みは、花輪が倒れる物音で中断した。
道路側に横倒しになったので格子戸は無事だったが、散乱した花を集めるのに苦労した。
翌日の営業も、なんだかんだと翔太に助けられた。口コミで客が増えたせいで、十一時すぎには店頭から全てのパンがはけた。
急いで閉店作業をした四葉と由岐は、翔太を賀来に託して黒羽家で昼食を食べさせている間に、カーテンを閉めた店内で助を問い詰めていた。
「翔太くんが学校に行っていないって、いつからなの?」
取調室での尋問みたいな気迫に、助は観念した顔で告白した。
「小学三年の年度に入ってすぐだがら、四月の初めです……。お嬢と組が大変などきに、倅のことを相談するのは気が引けちまっで……」
黙っていたのは、父親を失って日が浅い四葉を思いやってのことだったらしい。
翔太は始業式のあとにクラスメイトと大げんかした。父が黒羽組の組員であることを馬鹿にされて、取っ組み合いになったのだそうだ。
幸いどちらも擦り傷程度だったので、担任が双方の保護者を呼び出して両成敗した。
「相手のご母堂、こっちを見で怯えでだんですよ。この風貌じゃ仕方がねえが、翔太にはオレのせいで、学校でも肩身の狭い思いをさせでしまっでる……」
「助さんは良いお父さんじゃない。そりゃあ見た目は少し怖いかもしれないけど、極道だからって差別されるいわれはないよ。町の人を守るために出来た自警団が、組織の体をなして極道になったのであって、犯罪者の集団じゃないんだから!」
四葉の言葉は父からの受け売りだが、黒羽組は法律に触れるような行いは天に誓ってしていない。
拝金主義に染まった大きな暴力団は、大金を集めるために詐欺の元締めや麻薬の流通に手を出して人々を苦しめているが、本来そういった行いは極道の教えからすると風上にも置けない。
黒羽組は、現代社会から取りこぼされた人々に仕事を与え、助けを求められれば喜んで手を貸し、地域の安全を守るためにだけ暴力を使う。
暴力団なんて不名誉な名前を付けて、極悪集団みたいに扱われるのは心外だ。
憤る四葉に対して、助の方は巨体を縮めてしゅんとした。
「わかっでます。でも世間様はそんなことも忘れちまっだんだ。翔太には、学校に行けるようならいつからでも行けって話しでいます」
「無理やり通わせても何の解決にもならない。学校ってのは、行けって言われるほど行くのが辛くなる」
中学時代は喧嘩に明け暮れてほぼ不登校だった由岐が言うと説得力があった。
四葉は、助と相談のうえで翔太には何も言わないことにした。
励ましの言葉は時として凶器になるからだ。
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