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第一話 シノギは愛されベーカリー
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黒羽組(くろばぐみ)といえば、知る人ぞ知る北の小京都・角館の名物だ。
桧木内川の堤に二㎞もつづく桜並木のそばにある、四百年もの歴史がある武家屋敷に住んでいる極道一家である。
武家屋敷とは武家が所有していた邸宅のこと。
角館の武家屋敷は、かつて角館城があった古城山から侍町へと南北に続く通り沿いにあって、今では重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
その一角、黒ずんだ茅葺屋根の古びた屋敷が黒羽組の根城だ。
武士の住まいだっただけあって、華美に飾ることもなく潔いほどに武骨な見た目の屋敷である。。
古いといっても屋敷は広く、特徴的な畳敷きの座敷をはじめ、桜と紅葉が植えられた日本庭園には東屋と池があり、威圧感ある白漆喰の蔵には甲冑や兜、古文書や雛人形、貴重な刺繍の着物が山と収められていた。
城下町を守る自警団が起源の黒羽組は、不況のご時世でも犯罪には手を染めず、昔ながらの用心棒として住民を見守りながら、人情に厚く、取り立ては柔く、正義を貫いて細々とやってきた。
「だから、こんなに貧乏なんだよ。我が家は……」
濡れ縁に足を下ろして、洗いざらしの髪を夜風になびかせた少女、黒羽四葉(くろばよつば)は、キノコみたいな形の石灯籠に向けて溜め息をついた。
パジャマの膝にのせた一家の帳簿は、三年ほど前から赤字が目立つ。
一家の収入源は黒羽組の領地――極道用語で『シマ』と呼ぶ角館の店から集金するみかじめ料だ。要するに用心棒代である。しかし、高齢化にともなって個人商店や居酒屋が少なくなった現在、昔ながらのビジネスモデルは崩壊していた。
組が存続できたのは、四葉の父・花太郎が薬剤師として働いていたからだ。
一般的なサラリーマンより少しだけわりの良いお給料は、父と四葉、他に二人しかいない組員の生活費ぐらいなら賄えた。
貯金は出来なかったが生活には支障なく、四葉は金銭的な苦労なく地元の公立高校に通っている。都会だと公立の学校は荒れているらしいけれど、地方では基本的に県立や市立に進学するのが普通なのだ。
ここで人並みに勉強するのが自分の人生だと思ってきた。
だが、父はもう頼れない。頼れなくなった。
我に返ったら急に線香の匂いを感じた。
四葉は、帳簿を持ち上げて煙のくゆる仏間に戻る。
金泊が剥げた年代物の仏壇には、代々の黒羽組の組長の遺影がある。
その一番左に、下がり眉の気が弱そうな男性の写真が並んでいた。
享年三十八才の四葉の父、花太郎だ。
死亡原因は、凍結した道路で起きたスリップ事故だった。
例年より温かな日が続いた一月の初め。路肩に寄せてあった雪から溶け出した水は、冷え込んだ朝にスケートリンクのような氷になった。
恐怖のブラックアイスバーンは、雪道の運転に慣れていた父にさえ牙を向いた。
田畑に水を引く小川に落ちて、車から助け出されたときには心肺停止。病院に運ばれて蘇生措置を受けたが、父の心臓は動き出さなかった。
学校を早退して処置室に駆けつけた四葉は、死亡時刻を読み上げる医師の声と真っ白な父の顔色を、昨日のことのように覚えている。
自我を失わずに済んだのは、そばに男泣きする組員がいてくれたからだ。実際の家族ではないが、家族より強い絆が極道一家にはある。
極道の娘だったからこそ、四葉は独りにならなくて済んだ。
父を失って一家を絶やしたくないと強く感じた四葉は、四十九日にあたる今日、膳を囲む席で宣言した。
――私が、黒羽組の新しい組長になる!
「って言ったら、助(すけ)さんも賀来(かく)さんも大慌てなんだもんな。二人とも、黒羽組が自然消滅すると思ってたなんて、ちょっと酷いよね。お銀?」
すり寄ってきた灰色毛の猫を撫でると「ぎー」と可愛くない声で鳴かれた。飼い猫にまで舐められる身で、これから極道をやっていけるだろうか。
高校だってちゃんと卒業しなければならないし、進学だって考えなければならない。
そういえば明日の宿題もやらなければならなかった。
「私の人生、前途多難だなぁ……」
気分が重くなって畳に横たわると、襖が勢いよく開けられた。
「お嬢っ! 大変だぁっ!」
バシンと襖を開けたのは、組員の助だった。
重量級の体型にスキンヘッド。色付きのサングラスを常に装着していて、極道っぽさにおいては右に出る者のいない中年男性だ。いかつい外見に反して、コテコテの秋田弁を話すギャップもポイントで、子どもには好かれるタイプである。
「なあに助さん。他の組からカチコミでも来た?」
「んなことあっだら、お嬢を真っ先に避難させでます! いや、強さから言っだら、あいつからも避難させた方がいいかもしんねっすけども――」
「人を怪物みたいに言ってんじゃねえよ」
キンと冷たい声がした。それと同時に、開け放たれた戸から真冬みたいにひんやりした空気が吹いてくる。
あれ? と思って四葉が視線を上げると、助の後ろに立っていた長身の青年と目があう。
切れ長の涼しげな目元は柳のよう。襟足を伸ばした黒髪は、目を覆い隠すように長い。
薄い胸板が今風の美貌は、視界に入れると背筋が凍りそうに浮世離れしていた。
「由岐(ゆき)、くん?」
桧木内川の堤に二㎞もつづく桜並木のそばにある、四百年もの歴史がある武家屋敷に住んでいる極道一家である。
武家屋敷とは武家が所有していた邸宅のこと。
角館の武家屋敷は、かつて角館城があった古城山から侍町へと南北に続く通り沿いにあって、今では重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
その一角、黒ずんだ茅葺屋根の古びた屋敷が黒羽組の根城だ。
武士の住まいだっただけあって、華美に飾ることもなく潔いほどに武骨な見た目の屋敷である。。
古いといっても屋敷は広く、特徴的な畳敷きの座敷をはじめ、桜と紅葉が植えられた日本庭園には東屋と池があり、威圧感ある白漆喰の蔵には甲冑や兜、古文書や雛人形、貴重な刺繍の着物が山と収められていた。
城下町を守る自警団が起源の黒羽組は、不況のご時世でも犯罪には手を染めず、昔ながらの用心棒として住民を見守りながら、人情に厚く、取り立ては柔く、正義を貫いて細々とやってきた。
「だから、こんなに貧乏なんだよ。我が家は……」
濡れ縁に足を下ろして、洗いざらしの髪を夜風になびかせた少女、黒羽四葉(くろばよつば)は、キノコみたいな形の石灯籠に向けて溜め息をついた。
パジャマの膝にのせた一家の帳簿は、三年ほど前から赤字が目立つ。
一家の収入源は黒羽組の領地――極道用語で『シマ』と呼ぶ角館の店から集金するみかじめ料だ。要するに用心棒代である。しかし、高齢化にともなって個人商店や居酒屋が少なくなった現在、昔ながらのビジネスモデルは崩壊していた。
組が存続できたのは、四葉の父・花太郎が薬剤師として働いていたからだ。
一般的なサラリーマンより少しだけわりの良いお給料は、父と四葉、他に二人しかいない組員の生活費ぐらいなら賄えた。
貯金は出来なかったが生活には支障なく、四葉は金銭的な苦労なく地元の公立高校に通っている。都会だと公立の学校は荒れているらしいけれど、地方では基本的に県立や市立に進学するのが普通なのだ。
ここで人並みに勉強するのが自分の人生だと思ってきた。
だが、父はもう頼れない。頼れなくなった。
我に返ったら急に線香の匂いを感じた。
四葉は、帳簿を持ち上げて煙のくゆる仏間に戻る。
金泊が剥げた年代物の仏壇には、代々の黒羽組の組長の遺影がある。
その一番左に、下がり眉の気が弱そうな男性の写真が並んでいた。
享年三十八才の四葉の父、花太郎だ。
死亡原因は、凍結した道路で起きたスリップ事故だった。
例年より温かな日が続いた一月の初め。路肩に寄せてあった雪から溶け出した水は、冷え込んだ朝にスケートリンクのような氷になった。
恐怖のブラックアイスバーンは、雪道の運転に慣れていた父にさえ牙を向いた。
田畑に水を引く小川に落ちて、車から助け出されたときには心肺停止。病院に運ばれて蘇生措置を受けたが、父の心臓は動き出さなかった。
学校を早退して処置室に駆けつけた四葉は、死亡時刻を読み上げる医師の声と真っ白な父の顔色を、昨日のことのように覚えている。
自我を失わずに済んだのは、そばに男泣きする組員がいてくれたからだ。実際の家族ではないが、家族より強い絆が極道一家にはある。
極道の娘だったからこそ、四葉は独りにならなくて済んだ。
父を失って一家を絶やしたくないと強く感じた四葉は、四十九日にあたる今日、膳を囲む席で宣言した。
――私が、黒羽組の新しい組長になる!
「って言ったら、助(すけ)さんも賀来(かく)さんも大慌てなんだもんな。二人とも、黒羽組が自然消滅すると思ってたなんて、ちょっと酷いよね。お銀?」
すり寄ってきた灰色毛の猫を撫でると「ぎー」と可愛くない声で鳴かれた。飼い猫にまで舐められる身で、これから極道をやっていけるだろうか。
高校だってちゃんと卒業しなければならないし、進学だって考えなければならない。
そういえば明日の宿題もやらなければならなかった。
「私の人生、前途多難だなぁ……」
気分が重くなって畳に横たわると、襖が勢いよく開けられた。
「お嬢っ! 大変だぁっ!」
バシンと襖を開けたのは、組員の助だった。
重量級の体型にスキンヘッド。色付きのサングラスを常に装着していて、極道っぽさにおいては右に出る者のいない中年男性だ。いかつい外見に反して、コテコテの秋田弁を話すギャップもポイントで、子どもには好かれるタイプである。
「なあに助さん。他の組からカチコミでも来た?」
「んなことあっだら、お嬢を真っ先に避難させでます! いや、強さから言っだら、あいつからも避難させた方がいいかもしんねっすけども――」
「人を怪物みたいに言ってんじゃねえよ」
キンと冷たい声がした。それと同時に、開け放たれた戸から真冬みたいにひんやりした空気が吹いてくる。
あれ? と思って四葉が視線を上げると、助の後ろに立っていた長身の青年と目があう。
切れ長の涼しげな目元は柳のよう。襟足を伸ばした黒髪は、目を覆い隠すように長い。
薄い胸板が今風の美貌は、視界に入れると背筋が凍りそうに浮世離れしていた。
「由岐(ゆき)、くん?」
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