パティシエ探偵

大和 真

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パティシエ探偵 前編

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  「パティシエ探偵」
               大和 真
「いらっしゃいませ田中様。本日は初夏のメロンをふんだんに使った、メロンのドルチェがお勧めです」
「いつも美味しいスイーツを勧めてくれるから嬉しいわ。先日の、びわを使ったデザートあったでしょ。職場を退社される方にプレゼントしたら大喜びしてくれたのよ。びわをゼリーに溶かして、スポンジと何層にも重ねたのが良かったわ」
 東京練馬で、スイーツショップ(うらら)を営む権田健三はオーナー兼パティシエ。権田の母、則子が自宅を改装し、スイーツショップうららをオープンさせたのは、健三がまだ小学校に入る前だった。時は三十数年流れ、メインパティシエは、則子から健三になり、則子は健三の補助的な役割。長く同じ地で商売を続けていると、変な話が舞い込んでくる。先日も常連客の長田から、飼い犬のヨークシャーテリアが逃げたと相談があった。健三は、ある程度の商品の用意をし、則子とアルバイトの海老名さんに店を任せ、長田と犬を捜し歩いた。健三も、長田の愛犬ライトを良く知っていた。超小型犬のヨークシャーテリアの割に大きい身体のライトは、体重が七キロを超えていた。臆病で人懐っこい性格のライトは、健三にも良く懐いて、店に来てくれる時は、外で繋がれ待っているのだった。長田の買い物後に、健三は外に出て、ライトをなでたりしていた。そんなライトが、家の玄関を開けた隙に居なくなった事を、一日前に相談された。健三には、ライトが行きそうなところは察しがついていたのだ。ライトは臆病な性格だが、食欲は旺盛。外に出たものの、どうしていいか分からず先ずは近辺をウロウロした。その後、空腹になり行きついた先は健三には、見当がついていた。午前十時にうららに来てください、と長田に伝えていた。長田が現れ、健三は、後ろをついて来てください、とスタスタ歩き出した。長田は何処に行くのだろうと思う間もなく、うららの裏手に到着すると、そこに長田の愛犬ライトが居た。
 健三の話によると、昨夜ライトが逃げたと聞き、うららの裏手に健三手作りの犬の餌をボウルに入れ、置いていた。鶏のささみ、キャベツ、大根を入れ白米と煮込んだ、健三オリジナルドッグフード。すりおろしたリンゴを上にトッピングしていた。
「ライト、どこ行ってたの?心配したのよ」
 長田は少し涙目で愛犬ライトを抱きしめた。
「健三さん、どうしてここにライトが居ると思ったのですか?」
「長田さん、私にもライトくんがここに居る確証はなかったんですよ。昨日の話を聞いて、一緒にお買い物に来ていただいて、この場所でライトくんと良く遊んだでしょ。犬のおやつを食べ、私か母とライトくんは遊び、満足してました。長田さんのご自宅はここから徒歩6分の距離。偶発的に逃げて、帰り道に迷うか、遊びたい、お腹が空いた時にはライトくんが来るかも知れないと考えたのです。本当に来てくれてて良かった」
 長田は大喜びで、健三にお礼を何度も述べた。
ライトは気にもしない様子で、健三に頭をなでられていた。
 うららの定休日は毎週火曜日。月曜の午後は品出しを調整し、健三の作るスイーツも調整される。月曜日の午後の時間は、健三は新作スイーツを考える事が多い。マンゴーを使ったスイーツはないのか、とこの時期に問い合わせが多いのだが、実は健三はマンゴーが苦手。それもフルーツの中でダントツに苦手なのだった。幼いころにマンゴーの試食があり、初めて食べるマンゴーを楽しみにしていたのだが、保存が悪かったのか、生臭さが強烈だった。大人になり、何度かマンゴーを口にする機会もあったが、トラウマになっているのか、未だに好きになれない。今年の夏には去年から考えていた、梅を使った新作を作る予定にしている。梅を使った和菓子や、ゼリーは世に多いが、健三は完全な洋菓子を作りたい。頭の中では構想が出来上がっているので、原材料の準備は出来た。明日の定休日に試作品を作り、六月初旬から店頭に並べる予定でいた。
 うららの営業時間は午前十時から午後八時まで。片づけを始める午後七時半ごろに若い男女が入店した。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
 健三の知る限りでは初めてのお客だ。男女でなにやらひそひそと話をし、男性と言うのか、高校生ぐらいの男の子が洋菓子ケースを挟んだ正面の健三に話しかけた。
「あの、あの、長田さんの隣に住む野中です。はじめまして。長田のおばさんの犬を見つけてくれた方ですよね?あの、相談があるんですけど良いですか?」
 地域で困ったこと、解決困難な出来事があると、こうして噂を聞きつけ、うららに来店し、健三に相談する人がたまに居る。健三も今日の売り上げにならなくても、今後の売り上げに繋がれば、との思いで相談に乗ることもある。
「私に乗れる相談なのかは聞かないと何とも言えないですけど、お聞きしますよ」
 男の子が話し始めた。男の子の名前は野中誠、高校一年生。夏向きな短髪で白いTシャツからも筋肉のつき方が解る。デニムのズボンを履き、太ももは、はち切れそうにパンパンだった。一緒に来た女の子は彼女だと健三は思っていたのだが、妹の美里。中学校の制服を着て学校指定の白いソックスとスニーカーを履いている。学校帰りで兄と待ち合わせてそのまま来たのだと健三は考えた。話を聞くと中学三年の美里に、ストーカーのような被害かどうかも判別出来ない人間が居ると相談された。
「美里は高校受験で、都内の難関高校を受験する為に勉強を頑張っています。息抜きと母子家庭なので、母さんの助けになればと思って、ネットで色々なものを販売しています。それが、ここ数か月は何を販売しても、同じ人が買うんです。埼玉から電車に乗って、毎回手渡しで品物を取りに来てくれます」
 ここまで聞いて、近くで送料もかからない手渡しで、安く買えて良いじゃないかと思えたが、大宮から練馬まででも600円近く必要だ。さらに説明は続き、
「買ってくれるものは出品するもの全部です。ボールペン、ノート、漫画、参考書、服等とにかく全てを買ってくれるのです」
「お得意様で良いんじゃないの?」
「美里が毎回、近所のスーパーの前で待ち合わせて、その人に商品を渡して、お金をもらうのですが」
 健三は一旦、話を止めてどんな人なのかを聞いた。
「五〇代ぐらいの男の人で、野球帽を深くかぶって、サングラスをして、美里の手をぎゅっと握りこんでお金を渡すんです」
「受け渡しに誠君が行くのはダメなの?」
 黙っていた美里が口を開いた。
「お兄ちゃんと一緒に来てくれるのだったら良い、と森山さんは言ってくれます。あ、買ってくれる人は森山さん、埼玉から一時間弱かけて、電車で来てくれます」
 ここまで話を聞いた健三は、美里ちゃんだけじゃなく、誠君も一緒での手渡しだったら良いと言うことがひっかかった。美里ちゃんへのストーカーなら、一人で持ってきてもらわないと困る。何故、誠君も一緒でも良いのか?
「誠君は森山さんに会ったことはあるの?」
「ないです。僕も一緒でも良いって話は今、初めて聞きました」
 美里は誠を不安にさすと思って言わなかったと説明した。今は出品していないのかを聞くと、森山が怖くて出来ないと美里も誠も声を揃えて言った。商品の受け渡しの曜日は決まっているのか聞くと、決まっていないが、平日だったら夕方以降、土曜日は受け渡しがない、日曜日は昼間、との事だった。
健三はメモを取りながら
「何回買ってくれたの?」
「全部で二十回ぐらいです。最初のころは違う人も買ってくれてたんですけど、途中からは全部森山さんです」
「この事は誰かに相談されましたか?例えばお母さんとか」
「母子家庭で母に心配をかけたくないので何も言ってません。ネット販売していることも僕たち兄弟の秘密です」
 健三は母子家庭だったら、森山さんと言う方は二人の実の父なのでは、と閃いた。
「聞きにくいんだけどお父さんはどうしてるのかな?」
「僕たちが幼いころに両親は離婚をして、三年後に亡くなったと聞きました」
 健三の予想は一瞬で崩れた。娘に会いたい実の父からの応援の買い物だったのだ、と決めて解決した気になった自分が恥ずかしい。「わかりました。って森山さんの事がじゃなくて、野中さんのトラブルの事がです。少し頭を整理して、考えてみます」
「変な頼みごとを聞いてくれてありがとうございます。イチゴのショートケーキ三つ下さい。母も私も甘いものが大好きなんです」
 中学生の美里に気を使ってもらったのが申し訳ない気がした。
「今の季節のイチゴは美味しくないですよ。初夏のメロンか、白桃が甘くておススメです。
イチゴは五月を過ぎたら形だけイチゴで、味はおススメ出来ません」
 健三の説明を聞いて、美里と誠は相談して、白桃をふんだんに乗せたタルトにした。
「権田さん、ありがとうございました」
 こちらこそありがとうございますと言って、健三はスマホでラインの交換をして、二人を見送った。時刻は午後四時。健三も幼稚園の頃から母子家庭で則子と二人で暮らしてきた。誠と美里の気持ちも分かる。中学生の頃の誠は母に気を使い、当時流行っていた服や靴をを買って欲しかったが言えなかった記憶がよみがえった。いつもなら明日は定休日なので、夕方からは品出しの調整の必要もなく、この日は美里と誠の相談事で頭がいっぱいで、仕事に身が入らなかった。
「健三、健三」
 母の則子の呼ぶ声で健三は我に返った気がした。時刻は午後七時を過ぎていた。いつもなら片づけを開始して、明後日の開店の下準備をしている時間。則子も不審に思って健三に声をかけた。
「また何か相談事をされたんだね。好きだね、あんたも」
 一週間前にも妻が職場でハラスメントをされていると田中さんから相談された。話を聞くと奥さんの職場であるクリーニング工場の出来事だった。所属する部署の班長の独身女性が必要以上に仕上げ担当の田中さんに仕事を押し付けるそうだった。大量に押し付けながら班長は機嫌のいい時は、途中で手伝ってくれる事があるそうだ。今までは班長と日替わりでのパートが担当していた。班長の年齢は田中さんの奥さんより三歳上の三十九歳。仕事をし始めた頃はとても優しく接してくれて、丁寧に仕事を教えてくれていた。班長と一緒に仕上げのアイロンを担当し、仕事を教えてもらった。クリーニングにはウェットクリーニング、ドライクリーニング等あるが、仕上げは業務用のアイロンで仕上げる。ジャケット等の立体感のあるものは人体型に着せ、肩や襟を立体的に仕上げる。手仕上げでスチームやバキュームでシルエットを立体的に仕上げる。班長の年齢、勤務年数等を聞き、健三は考えた。行きついた答えは、班長は退職をしようと考えている。それも結婚、出産での寿退社ではないかと考えた。結婚する事での嬉しさが優しさに現れ、子供が出来た事にも喜びがあり、退社して今の仕事を完璧に近い形で受け継いでほしい。そんな時、妊娠初期のつわりが始まり、辛く当たる日も出て来た。さらに仕事を早く覚えてもらわないと自分が仕事を辞める事が出来ないプレッシャーもあったと考えた。健三の推理を田中さんに話すと半信半疑で妻に確認すると帰った。二日後に推理がピタリと当たっていたと報告に来てくれた。きつく言うのは悪いと思いながらも、早く仕事を覚えてもらいたい一心で仕事を教えていたそうだ。その奥さんが班長に、お世話になりましたと書いたプレートを付けてケーキをプレゼントしたいと本日来店してくれた。
 則子が言い出すと止まらなくなるので、健三はハイハイとあしらって片づけを始めた。明日の定休日は新商品の梅を使ったスイーツを開発予定だったが、明日は明日の風が吹くさ、と深く考えずに片づけを始めた。一時間半後には熱い風呂に入り、冷え性の手足を温めた。健三の冷え性は、真夏でも他人が手を触ると驚くほどの冷たさ。幼いころから極度の冷え性なので、今となっては何も思わない。また、ケーキを作る職人は、スポンジを切る、シャンテリークリームをナッペする、フルーツを並べる、クリームでコーティングし、飾りのクリームを絞る。全ての工程で健三の手の冷たさが役に立っている。スポンジもフルーツも冷えた状態が好ましい。シャンテリークリームに至っては、温かさは大敵。絞り袋にクリームを入れ、飾りを絞る時などは手の温かい人が絞ると熱が伝わってシュッと先の尖った綺麗な角が絞れないのだ。パティシエと寿司職人は手が冷たい人の適職だと健三は常々考えていた。身体中を温めた健三は風呂上りに昨年の梅で漬けていた梅ジュースを自分で入れ、一気に飲み干した。この時、梅を使ったスイーツのアイディアが下りて来た。健三は直ぐにメモに書き、床に就いた。
 定休日の朝は起きるまで寝る、と健三は決めていた。この日の目覚めは午前九時半だった。毎朝6時に起き、スイーツの準備、開店の準備をするので週に一度の定休日は、睡眠を楽しむ。目覚めてからも布団でゴロゴロと転がるのも健三にとっては至福の時間だ。
「岡田さんと歌舞伎見に行ってくるよ」
 ドアの外から則子の声が聞こえた。健三は至福の時間を壊された気がしたが、はいはいとだけ返した。則子は数年前から近所の岡田さんと歌舞伎に行くのを楽しみにしていた。歌舞伎座に行く時と新橋との違いを健三は尋ねた事があったが、歌舞伎の知らない用語が出て、うん蓄を語り出して以来、この手の話題は出さないようにしている。のっそりと布団から起き上がり、顔を洗い、歯を磨き、一階のうららの冷蔵庫に売れ残ったスイーツを取りに行った。住居と職場が同じなのは便利なときもある。二階の自分の部屋でゆっくりしているときに、忙しくなって呼ばれるときもあるのでメリットばかりではないが。健三はうららの冷蔵庫を開け、季節のフルーツタルトとパイシュークリームを持って二階に上がった。水出しアイスコーヒーをコップに注ぎ、先にパイシュークリームにかぶりついた。シュー生地をパイ生地で包み、焦げる寸前まで焼き上げ、シャンテリークリームとカスタードクリームを半々で混ぜたクリームを注入したうららの名物パイシュークリームだ。仕上げに粉糖をまぶしたパイシュークリームは健三の自信作だった。もちろん昨日の商品なのでサクサク感は少し失われているが、中のクリームとパイ&シュー生地が相まって美味しい。健三の拘りは、自分自身に美味しいと満足させられる味を追求する事。パイシュークリームの焼く前に生地にまぶした砂糖の焼き上がり後のカリカリが心地良い。水出しコーヒーを飲み、フルーツタルトも一気に食べきった。甘いものが好きな健三は、定休日の朝食兼昼食は、自分の作ったスイーツで済ませる事が多い。商品としての味見、次の日にも味は変わらないかをチェックする為もある。自分で作ったスイーツを自画自賛するのもどうかと思いながらも、満足感と満腹感で満たされた健三は考えた。美里と誠、森山の関係は?森山は何者で何のために商品を買うのか?手渡し希望なのも腑に落ちない。
 食べた食器を洗い、うららの制服に着替え手を消毒し、新商品の梅を使うスーツの試作に取り掛かった。新しい発想で、梅を甘くした物を使わずに梅干しからスイーツに発展させる試作だった。先ずは、カリカリの梅干しを細かく刻み、シャンテリークリームと混ぜて味見をした。
「まずい、これはダメだ」
 健三が一人で呟くほどのダメな味だった。
次に通常の梅干しを細かくちぎってクリームに乗せて味見をした瞬間、これも違う。次にクリームを使わず、スポンジに二種の梅を乗せて食べた。これもダメだった。健三は梅を使ったスイーツを作ろうと思った事を後悔した。先人たちも作ったはずなのに世に出ているのは、梅クッキー、梅ジャムなどで、生菓子に生の梅干しを使った商品が皆無なのも納得出来た。
先ほどの梅干しよりも原価は上がるが、梅肉ペーストでシャンテリークリームと混ぜてみた。
「あ、これは……梅干し自体より良いかも」
健三は混ぜ合わせの配分を多くしたり、少なくしてみたりして味見を繰り返した。結果はどれもぱっとしない味だった。悪く言えば田舎臭い味のクリームでスッキリした味わいにならない。混ぜる量を少量にすれば何の味か分からない。次に梅肉ペーストをスポンジに薄く塗って食べてみた。梅肉の味がスポンジの甘さに勝ちすぎてダメだ。半分ほど食べ残したスポンジをお皿に戻そうとした時に、シャンテリークリームを入れたボウルに落とした。たっぷりクリームと合わさったスポンジを食べてみると、
「もしかして……この合わせ方が正解?」
もう一度食べても、今までのより断然美味しく感じる。美味しく感じると言っても商品にして、お客様に買ってもらうにはまだまだ美味しいとは言えない。次に、梅肉ペーストと合わせたシャンテリークリームをスポンジに塗り、上に通常のシャンテリークリームを乗せて食べた。
「これだ!この味は今までにないスイーツの味だ」
健三は新作の方向性が見えてきたので、水出しコーヒーに氷を入れ一息ついた。気がつくと午後三時を過ぎていた。試作の食べ過ぎでお腹も空いていない。昼食が試作のスイーツになることはこれが初めてではない。秋には芋や栗、かぼちゃに柿に葡萄も数種ある。新作で使いたい食材が多くて毎年、健三は目移りする。
「だたいま。梅を使ったスイーツってのは出来たの?」
 則子が歌舞伎から帰って来た午後五時、冷蔵庫に入れていた試作品を出して味見をしてもらった。
「梅クリームと通常のクリームが合わさってレアチーズのような、ヨーグルトのような味わいだね。悪くはないね」
「だろ。梅干しって発酵食品と思われがちだけど、発酵食品じゃないって事を母さん知ってた?」
「違うの?漬けてるからお漬物と一緒じゃないの?」
「違うんだよ。梅を使ったスイーツを作ろうと思った時に色々と調べたんだ。梅干しって塩分濃度が高いよね。だから保存出来るんだ。発酵食品の保存とはまた別ね」
「あんたは物知りだね」
「それとね、酸っぱさを生むクエン酸が健康や疲労回復にも良いんだよ」
「そんな事より服ぐらい着替えなさいよ」
 健三は量販店で買ったスエットを履き、上もまた量販店で買った半袖シャツにうららの制服を羽織り作業していた。昨夜の寝る時と同じ格好で。
「夕飯にお肉屋さんの肉巻きロール買ってきたよ」
 近所の肉屋の名物総菜で、数種類の野菜を細長く切り、豚バラ肉で巻き、甘辛い醤油タレで味付けした健三の大好物が夕飯になった。
「ありがとう、マヨネーズをたっぷり乗せて食べたら最高なんだよな」
 そう言った瞬間、健三の頭の中に梅クリームを使った新スイーツの形が下りて来た。
「そうか、ロールケーキだ、ロールケーキ生地で梅クリームと通常のクリームを重ねて巻けば良いんだ」
 健三は夕飯も取らずに、一階に降りてロール生地を出し、全体にクリームをナッぺして、センター部分に来るように中心に梅クリームを絞り、外側にシャンテリークリームが覆う形でロールケーキを巻いた。断面は周りのクリームが真っ白、中心がほんのりピンク色の二層になったクリームで⦅の⦆にならないクリームたっぷりのロールケーキが出来上がった。二切れをカットし、二階に持って上がる時に窓の外を見ると、辺りはすっかり夜になっている。試作品を作ることに没頭して、時間を忘れる程だった。健三は世の中にスイーツ男子なる言葉が出来る前からスイーツ男子だった。幼稚園の頃に両親が離婚し、母と二人で暮らす事になって三十数年。うららの歴史と共に始まった健三のスイーツ男子生活だった。幼稚園の頃も、四十路直前の健三も同じ気持ちでスイーツが大好きだ。
「試作品が出来たから食後に食べて。感想も詳しく聞かせて」
 二階に上がった健三は母にカットした試作品を見せた。
「お風呂入れてるよ、先に入って」
 母に促され、試作品をキッチンの冷蔵庫に入れ、熱めの風呂に浸かった。湯船に浸かると手足に血液が循環されるのがジンジンと伝わってくる。この感覚が健三は好きで、熱い風呂を好んだ。湯船で手足のマッサージをしながら、良い新作が出来たと喜んでいたが、美里と誠の相談事をすっかり忘れていたことを思い出した。情報が少ないので、もう少し情報が欲しい事を誠に連絡する事にして、入浴剤入りの湯船で手足のマッサージに専念した。風呂上り直後に誠にラインをした。
 健三は好物の肉巻きロールを旨い、旨いと何度も言いながら平らげた。珍しくご飯もおかわりをするほどだ。朝、昼兼用のスイーツと自分で作った試作スイーツを食べただけだったので、お腹も空いていた健三は夕飯を食べて大満足した。
「昨日の夕方に来た二人は何の相談?」
「あの二人は兄弟で、ネットに出品した商品を同じ人が毎回買ってくれるから心配なんだって」
「ストーカーみたいな人かい?」
「それが商品を手渡しするらしくて、その際は兄弟で持ってきてくれて良いって言ってくれてるらしいよ」
 それから健三の知った野中家の事情を話した。
「お父さんと思ったけど亡くなってるんじゃ違うね。あんた一回顔を見てきたら?」
「それ良いね。出品してもらって、受け渡しの時について行って、森山さんって人を見に行こう」
 健三は立ち上がって、冷蔵庫に入れていた梅クリームのロールケーキを則子の前に置いた。
「ロールケーキにしたんだ。見た目はクリームが二層になって良いんじゃない。生地には粉糖をかけたら良いかもね」
 一口食べた則子は二層のクリームを絶賛した。
「今までに食べたことがないクリームの味だね。ヨーグルト風味を感じさせて、奥底に梅の存在感が見え隠れするのが気に入った」
 健三の試作品を滅多に褒める事がない則子が、試作一回目で高評価をくれたことに健三は喜んだ。
「あとは名前なんだよね。梅ロールって聞いても食欲と購買意欲を掻き立てる名前じゃないよな。良い名前を母さんが考えてよ」
 夕食後に新商品のネーミング会議が始まった。健三も則子もネーミングの大事さは心得ている。数年前にもフルーツをたっぷり乗せたタルトを、七夕前だったので小さい星型チョコを乗せ⦅きらきらフルーツタルト⦆で販売したが、いまいち売れなかった。七月七日を過ぎ⦅フツーツたっぷりタルト⦆に名前を変更するだけで人気商品になった。
「梅なのでプラムロールはどう?」
 健三が言うと、
「プラモデルみたいでダメ」
 即座に却下。スマホで梅を調べると梅には別名春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)と書かれている。春告ロールも何を使ったロールケーキなのかピンと来ない。
「梅ってバラ科なんだって。知ってた?」
 スマホを見ながら則子に伝えると
「そうなんだ。だからってバラロールでもないよね。そのまま梅をどこかに入れた名前が良いんじゃない?」
 梅ペーストのパッケージを見ながら健三は和歌山の梅使用と書いている文言が目に留まった。梅の生産は和歌山県がダントツで全国一位。
「和歌山、和歌山梅、和歌山、梅、和歌山」
 念仏のように独り言を言いながら
「紀州だ。和歌山は紀州だ。紀州梅ロールでどう?」
「響きは悪くないね。紀州は何となく和歌山と結びつくね。そこに梅の文字を入れる事で分かりやすい。和歌山の人には悪いけど少し田舎臭い名前でもあるけど」
「母さん、それが良いんじゃないか。和歌山の梅を使ってると言わなくても伝わる名前だし、むしろ和歌山の人も食べたくなるんじゃない?」
「そうだね。紀州梅ロールで決定だね」
 親子での新商品のネーミング会議なんてこんなものだ。決まるときは直ぐに決まる。二人なので賛成か反対しかないので大抵は長引かない。
 健三の頭の中には紀州梅ロールを試作している時に思いついたもう一つのアイディアが浮かんでいた。忘れないようにメモに書き、食後の水出しコーヒーを飲んでいると、スマホからラインのお知らせの電子音が鳴った。
【出品の件、了解しました。美里に伝えたところ、使っていない文房具のセットがあるので出品しますと言っています】
【分かりました。森山さんが買ってくれた時はお知らせ下さい。受け渡しの時に一緒に行きます】
 誠と美里の話では毎回、森山さんが購入すると言っていたので今回もそうであった時の事を考えた。そもそも健三の顔を森山が知る由もないので変装は要らない。尾行はその時で考える。商品の受け渡しのやり取りを詳細に知りたいので、出来るだけ近づかないとダメだが、元来細身の体系で身長もそれほど高くない健三はあまり目立たない。悪く言えば地味な見た目なのでそれなりに近くに居ても怪しまれることはないと軽く考えた。こうして週に一度の定休日を過ごした。
 定休日明けのうららの朝は忙しい。毎日営業していれば昨日の商品でも次の日に売れるが、一昨日の商品では売れない。もっとも売れ残りがほぼないように定休日前は調整しているのだが。
「ホールケーキの予約の阿部さんのケーキ出来ました」
 健三が則子に伝え、予約表のお誕生日おめでとうプレートに名前を入れ、ローソクの数に間違いがないかをチェックする。お誕生日のお客様の名前やロウソクの数を間違うのはお客様に取ってあってはならない事なので入念にチェックする。
「フルーツタルトは出来てるよね?お客様がお待ちです」
「タルト台は焼き上がったけど、冷却時間が要るのでもう少し時間がかかると伝えて下さい」
 パートの海老名さんは午後からの出勤なので、朝は健三、則子の二人で忙しく過ぎた。
午後から海老名さんが来られて、うららは落ち着きを取り戻した。二人で二階に上がり、遅い目の昼食を食べるのもいつもの流れ。忙しくなった時は海老名さんが呼んでくれるので昼食を食べて健三は自分の部屋で美里が出品しているサイトをパソコンで開いた。星の数ほどある出品物から美里の商品を狙って買うには森山が自分で登録をして、美里の出品を知らせてくれるようにしているのだと分かった。健三も以前に、うららのスイーツをネット販売出来ないかと試したが、出品、梱包、発送等が面倒なのと、自分が手塩にかけて作った商品を顔も見えない人に販売するのが嫌で結局はネット販売を止めた。
 二日後に誠からラインが届いた。
【権田さん、こんにちは。文房具のセットが売れました。予想通り買ってくれたのは森山さんです。受け渡しは明後日の日曜日の午後三時、場所はいつもと同じ駅前のスーパータカヤです。今回は僕も美里と一緒に行く予定です】
【こんにちは。受け渡しは私も行かせてもらいます詳細は当日にお話しします】
 日曜日の二時から支度をすれば間に合う時間帯なので健三は安心した。日曜日は稼ぎ時なので忙しい時間に抜けるのは気が引ける。則子にも小言を沢山言われるので二時まではしっかり仕事をして店を抜ける事に決めた。
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