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29 再びロストックへ

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「この世界で王太子妃……いや、いずれは王妃になれたものを。案外あっさり蹴ったものだな」

 移動途中でトーマスお兄様がそう言ってきたので、わたしはやめてよ、と手で制する。

「わたしだって勢いに任せて断っちゃったところがるから思い出させないで。今は捕虜の交換について集中、集中」

 すでに国境を越えてロストック領内に入った。

 ロストックの捕虜たちはおとなしく付いてきているが、どこから敵が襲撃してきてもおかしくない状況だった。

 警戒しながらも先を急ぐ。
 大軍での移動ではないので期日までには十分間に合うのだが、少し遠回りをしなければいけなかった。

 トラブルを避けるため、村や街を避けていた。

 ロストックと公式の取り引きなのだが、各集落にいる男たちはそんなこと知らないだろう。

 この護衛の数では村の自警団相手でも手こずることになる。

 食事時も火を使った物は避け、干し肉や雑穀の黒パンにかじりついた。
 夜営でも交代で見張りを出し、夜襲に備える。

 ここまで警戒しておいたほうがいいとアドバイスしてくれたのはトーマスお兄様だ。

「トラブルを装って一方的に捕虜を奪還させられる可能性もあるからな。この見渡しのいい平野なら近づいてくればすぐ分かるが」
「国同士の約束事をそんな簡単に破るかな」
「場合によるが、ロストック人の倫理観は俺らとはまったく異なると考えていたほうがいい。道理や義より感情や利を優先する」
「じゃあやっぱり、捕虜の交換自体が全部嘘?」
「いや、全部というわけじゃない。ヤツらは同族のことに関してはかなり必死になる。こちら側にいる捕虜はどうにかして安全に確保したいはずだ」
「なるほど。だから殿下の交渉にも早々と応じたと」
「ああ。あとお前を指名したのも同族の仇だからな。この地で必ず逃さずに殺すという意味だろう」
「かなり物騒……。まあ何もなく無事に戻れるなんて思っちゃいないけど。捕虜交換後に一悶着あるってことね」
「そうだな。デッサウ砦の中に誘い込もうとしている点で見え見えだがな。おい、間違ってもそれには応じるなよ。建物の中に閉じこめられれば万が一にも生き延びる術はない」
「……それはわたしだって分かってる。せっかく捕虜を助け出したとしても、帰れなかったら意味がないから」
「分かっているのならいいが。それと気になることがもうひとつ」

 トーマスお兄様は一本指を立て、それごしにわたしの目を見た。

「小説のストーリー改変の矯正力だ。大幅に内容が変わってしまったが、このままで済むとも思えない」
「……考えすぎじゃないかな? ここからどう転んでもヴォルフスブルク公の復活はないだろうし。殿下もこれからは国の防衛に力を入れるって言ってたし」
「ああ。だからこそだ。大きく流れは変わってしまったが、細部だけでもそれに近づけようとするかもしれん。例えば死ぬべきはずだった人物を死ぬようなルートに誘導するとかな」
「げ、それってもしかしたら今のわたしのこと?」
「現時点ではなんともいえんがな。だが交渉といい、ロストック側の条件といい、物事がおかしなふうに流れている」

 言われてみればたしかにそんな気もする。
 大きな流れはもう変えられないから、せめてわたしだけは殺そうとしてる? 

 物語の矯正力ってそんなことするの?
 もしかしたらそこからじわじわとロストック側が侵攻に有利な状況になったりとか……。

 せっかく平和になりかけてるのにそんなの絶対許さない。
 トーマスお兄様やフリッツの行動。死んでいった兵たちの想いを踏みにじることになる。

「それがこの世界の望みでもわたしは負けない。絶対にフリッツを取り戻して生きて帰ってみせる」

 わたしが握り拳を振り上げながら言うとトーマスお兄様はその意気だ、と笑った。

「殿下に対して死をも覚悟するような言い方をしていたからな。それを聞いて安心したよ」
「あれはわたしなりの決意表明っていうか、決心の固さっていうか。処刑ルートをやっとのことで回避できたのに、死ぬつもりなんてあるわけない!」
 
 そうだ。危険な取り引きだけど死んでたまるか。
 わたしはこの世界でなんとしても生き抜いていくって決めたんだから。



 その後も緊張した移動は続いたが、敵の襲撃やトラブルには遭遇せず、無事にデッサウ砦まで辿りついた。

 戦ではロストック軍と激闘を繰り広げた場所だ。
 それほど月日が経ってない内にまた来ることになるとは思っていなかった。

 だが不用意に砦には近づかない。
 少し離れた位置で様子を覗う。もう向こうからもこちらを視認できているはずだ。

 しばらくして単騎が向かってくる。
 ロストックの使者か。ロストックの将バルトルトが砦内で待っていると伝えてきた。

 やはり建物内での交換を要求してきた。
 わたしはロストック側に捕らえられている捕虜の確認が取れていないことと、こちらの安全が確保できてない内はそれに応じられないと伝えた。

「……ならばここで待て。その旨をバルトルト様に伝えてくる」

 使者はそう言って砦へ戻っていく。

「バルトルトが交渉の相手か。ロストックでも話のわかるヤツではあるが」

 トーマスお兄様が兜を目深に被り直しながらそう呟く。
 
 バルトルト……先の戦では強固な陣を築き、アンスバッハ軍の猛攻に耐え切った名将。
 
 でも突然の撤退命令やルイス卿の不手際。それさえなければ勝てたかもしれない相手だった。

 奇襲のときにちらっと顔を見たのを思い出す。
 渋くて精悍な顔つき。それでいて知性的な中年の男。

 裏でヴォルフスブルク公と密約を交わしていたらしい。
 ロストックではめずらしく策や戦略を得意としている。ますます今回の捕虜交換は罠としか思えなくなってきた。



 けっこう長い間待たされる。
 三十分程過ぎた頃だろうか。砦から少数の部隊が出てくるのが見えた。
 
 先頭の騎馬はバルトルト。兵数はこちらに合わせたつもりなのか、五十名程。

 そしてぞろぞろと手枷をはめられた者たちが続く。
 あの中にフリッツが? 遠目からではまだ確認できない。
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