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11 傷心

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 無我夢中で走った。
 帰り道とか方角とか関係なしに。

 靴はどこかに脱げてしまったし、林の中を突っ切ったのでドレスもボロボロだ。

 どれほどの時間が経ったのだろう。
 気づいたら大きな河の前にいた。
 ごうごうと流れる濁流を目の前に、わたしはボロボロと涙をこぼした。

 婚約破棄された時もショックだったけど、泣くのは我慢してたのに。
 でも今日の事は無理だ。エアハルト様にあんなふうに言われたし、いい子だと思ったマルティナの態度もわざとだった。

 元婚約者の前で新しい婚約者の発表だなんて残酷すぎる。

 フリッツの最初の忠告通りに行かなければよかったんだ。
 
 言う事聞かなかったわたしが悪い。

 つらい現実世界からせっかく小説の世界に転生できたのに。
 ここでもわたしの居場所はないのか。いい事なんてないのか。

 もう疲れた。おとなしくしてたって、従順にしてたって嫌な目に遭うのなら。
 どうせこのまま生きてたって処刑ルートは避けられないんだ。
 小説のストーリー通りにマルティナが王太子妃になるみたいに。

 あんな残酷な結末を迎えるぐらいならいっそ……。
 わたしは河のほうへ近づく。
 そこへ後ろからガラガラと馬車の車輪の音。

「やっと見つけましたよ。こんなところまで走って来られたのですか。あきれるほどの健脚ですな」

 フリッツの声。わたしを探しにきたのか。
 わたしは振り向かない。泣いているのを見られたくないから。

 フリッツは近くまでくるが、回り込んだり横に来ようとはしない。

「イルゼ様、帰りましょう。傷の男も見失ってしまいました。ヴォルフスブルク公の事はまた次の機会に」

 嘘だ。わたしが飛び出したのを聞いて、追跡を中断して探しまわってたんだ。
 フリッツの邪魔までしてしまった。わたしが我慢してじっとしておけば、少なくとも傷の男は追い詰められたかもしれない。

「いやだ、帰らない。放っておいてくれ」

 駄々っ子みたいだけど、今は本当にそうしてほしい。わたしみたいなのに構わないでくれ。

「仕方ありませんね」

 フリッツはそう言いながら急にわたしを横から抱え上げた。
 お姫様抱っこの状態だ。コイツ、細いのに意外と力強い。稽古じゃわたしより弱いくせに生意気だ。

「離せ、無礼だぞ。わたしは帰らないっ」

 頭を叩いたり頬をつねったりしたが、フリッツは何食わぬ顔で歩いていく。

「僕は離しませんよ。諦めてください」

 フリッツの服装はいつもの平服。髪型も元に戻っていたが、ダンスの時を思い出して、なんだか急に恥ずかしくなる。

 あれよあれよと言う間に客車に押し込まれる。
 もう抵抗する気も失っていた。

 座席に横になって、わたしは目を閉じた。



 城に戻り、その日からわたしは部屋にこもりがちになる。
 前の婚約破棄の時と同じようにヘレナも部屋に入れない。

 食事もロクに取らなかった。
 
 政務や調練はフリッツが代行しているようだ。
 どうしてもわたしの認可がいる書類なんかには目を通して印を押すが、それも直接会ったりしない。

 ドアの下から差し込まれる紙切れのやり取りをしているだけだ。

 現在のロストック軍の動きはおとなしいものだった。
 わたしは婚約破棄されたし、今はなんにもやる気起きない。ボロボロの状態。

 マルティナが婚約したし、ヴォルフスブルク公の狙い通りに事が進んでいるからロストック側も動きを見せないんだろう。

 小説ではロストックとの戦争が激化していくはずだったから、この点は矛盾している。

 戦の原因はこのイルゼが起こしたと言われていた。平和だと自身の活躍する場が無いから。

 連戦連勝を重ね、多くの兵を任されるようになったイルゼは王家への反乱を企てるようになる。

 軍事面ではすでに王家を上回っているから増長したんだろう。
 敵であるロストックと裏で通じ、王都を包囲する計画まで立てていた。

 だけどそれはマルティナとエアハルト様、そして多くの不戦派の味方によって阻止されたんだ。
 
 反逆者として捕らえられたイルゼは呪いの言葉を吐きながら処刑されたんだよね。

 わたしが読んだのはここまで。この先はよく分かんないけど、ロストックとの戦争は続いていく中でふたりは協力して不戦を訴えていくんじゃなかったかな。

 勝手にふたり仲良くハッピーエンドを迎えてればいいさ。
 
 わたしはもうここから出ない。
 閉じこもっておけば処刑されることもないでしょ。

 そうして悪役令嬢イルゼは悪役らしいこともせずにのんびりここでお婆ちゃんになりましたとさ。めでたしめでたし。


 ✳ ✳ ✳
 

 しばらくそういう生活を続けていたある日。
 王宮から登城せよ、との通達が来たと執事がドアの向こうから伝えてきた。

 わたしは病だから、とそれを断る。
 だけどその通達は数日おきに来た。それをことごとく断る。

「イルゼ様。いつまでそうしておられるつもりですか。仮病を使ってばかりだと、王家に疑念を持たれてしまいます」

 ドアの向こうからフリッツの声。
 久しぶりにアイツの声を聞いた気がする。
 
「うるさい。この前は出かけるのに反対してたクセに。どうせ大した用事じゃないだろうし」
「そうとも限りませんよ。最近はヴォルフスブルク公を探る機会はありませんでしたが、何か王宮で起きたのかもしれません」
「わたしには関係ない。ほっといてくれ」

 とは言ったものの、わたしはちょっと心配になる。

 たしかにこのまま知らんぷりしてたら、何かよからぬ事を企んでると思われてしまうかも。
 
 王家に疑われたり警戒されたりするのはマズイ。小説の通りに反逆者扱いでもされたら。
 そんなデタラメを吹き込みそうなヤツだっている事だし。

 でもここですんなり出ていくのも癪に障る。
 しばらくはまだ閉じこもって様子を見よう。

 
 
 そしてまた数日が過ぎる。
 執事が慌てたようにドアをノックしてきた。

「イルゼ様、大変です!」

 なんだろうか。お父様の具合でも悪くなったのだろうか。
 わたしは急いでドアを少しだけ開けた。

 執事は息を切らせながらこう告げた。

「お、王家から使者が参りました。ぜひイルゼ様にお会いしたいと」
「王家から? なんの報せも無しに? そんな事があるのか。本物なのか」
「え、ええ。間違いありません。正式な使者です。再三の登城に応じないので、こちらから出向いたと」

 やばい。意固地になって無視しすぎたからか。もしかしたら国王陛下を怒らせちゃったのかも。

 その使者ってのはわたしを捕らえるために派遣された軍なんじゃないのか。

「使者の数は」
「お供の方を入れて五人です」

 わたしを捕らえるためなら数が少なすぎる。
 どうやら物騒な用件ではないらしい。

「わかった。少し待つよう伝えてくれ」

 どっちにしろ王家からの正式な使者なら、さすがに無視はできない。

 わたしは侍女のヘレナを呼び、急いで身支度を済ませる。

「イルゼ様、心配したんですよ。部屋にずっとこもりきりだったので。ああ、すっかり痩せてしまわれて」

 ボサボサの髪をといてくれながら、ヘレナが泣きそうな声で言った。
 ああ、本当に心配かけてしまったみたいだ。

 この世界にはわたしの事をちゃんと想ってくれてる人たちがいる。
 自棄になったり、いじけてばかりじゃダメだ。
 お父様も病気だし、この領地を守るのはわたしの役目なんだから。

「うん、ごめん。心配かけたけどもう大丈夫。使者との話が終わったらちゃんと食事もするから。用意しておいてくれ」
「それはもちろん! 腕によりをかけてご用意させて頂きます!」

 ヘレナの元気な声にわたしは微笑む。
 使者と会うのも少し不安だったけど、それが和らいだ気がした。
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