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鬼猫との契約
しおりを挟む真っ直ぐ山の頂上へ向かえば、やがて養父の家がある仙境へ辿りつく。
仙境には、毎日異なる果実がなる木や、酒が湧く泉があったが、その全ては飾りで養父と私が実際に口にすることはなかった。
家に入れば養父の「どこで道草食っていた!」という叫び声を聞くことになるだろう。もう慣れたことだ。これが私にとっての日常なのだから。もう慣れたはずだったのに――。
「書物は見つかったか?」
「いえ、将軍。書物どころか仙術に関わりそうな物は一切……」
家が荒らされている。
壁は破壊され、家具は散らばっている。
そして、見知らぬ男が何十人も何かを探していた。
鳥の姿から人型に戻り、物陰に隠れる。
「見つからぬのなら仕方あるまい。命じられた任務は果たした。早く、あの方へ報告するぞ」
男のうち何人かが持っていた旗には、三本爪の龍が刺繍で施されていた。三本爪は皇帝を象徴する。
すなわち、この男共は皇帝軍……?
(あれが皇帝軍のする事なの――まるで強盗じゃない!)
なにより、ここは仙人の領域である仙境。
只人が無断で立ち入り、荒らすなど許されざる大罪だ。皇帝軍が撤退したことを確認してから、家へと駆け込む。
「お父様。ご無事ですか?」
家中を確認したが、養父の姿はどこにもない。ただ一つ残ったのは、皇帝軍によって破壊された家屋だけだ。
(もしかしてお父様は皇帝軍に攫《さら》われた?)
仙人であろう、あの方がなぜ……。
あまりにも衝撃的な出来事故に、頭が真っ白になる。思わず膝から崩れ落ちそうになると、背後から男性の声がした。
『ヤツなら死んだぜ』
恐る恐る振り向くと、そこには半透明の白猫が、毛繕いをしながらこちらを見ていた。
「貴方は神……それとも仙?」
『そんな立派なモノじゃねぇよ。俺はただの幽鬼だ。適当に鬼猫とでも呼んでくれ』
「どうして幽鬼が、ここにいるの?」
『そりゃあ、見ちまったからなぁ……』
「何を?」
『この家に住む仙人が殺される様子だよォ』
鬼猫の言葉を聞いた途端、言葉を失ってしまう。脈が早まり、息が苦しくなる。
「そんな馬鹿な……遺体だって……」
遺体だって無いではないか。そう言いかけたが、 口を閉ざす。
そういえば養父によれば、仙人は死んだ際に遺体を残さないそうだ。
「百歩譲って、本当にお父様が殺されたとして、何故殺されたのよ。不意打ちでも食らったというの?」
仙人としては、まだ若輩者である養父だが、少なくとも一般人ごときに、殺されるはずが無い。
『ちげぇよ。あの男は、わざと抵抗しなかったぜ。理由は俺には分からねぇが……』
抵抗をしなかった――?
一体、養父の身に何が――?
『そんで、嬢ちゃんよ。親父の敵討ちはしないのかい?』
「敵討ちって……?」
『そのまんまの意味だよ。皇帝軍も指揮したヤツもまとめて皆殺しだ。アハハ』
鬼猫は寝転ぶと、目を閉じながらゲラゲラと笑った。
「皆殺しにする必要はないでしょ。暗殺するべきなのか指揮している人間だけ。だって、彼らは命令されて仕事をしているだけだもの」
『なんだァ。面白くねぇな』
「そもそも皇帝軍を指揮しているのは、皇帝でしょ。皇帝を暗殺するためには宮中に潜入しないといけないわよ?」
鬼猫は、まるで当然のことを話すように、淡々と答える。
『それなら簡単だ。妃として後宮に入ればいいのさ』
荒れ果てた仙境に、にゃあと不気味な猫の声が響いた。
︎❀
確後宮に入ること自体は至って簡単である。妃嬪になる方法は概ね三つ。
一つ目は容姿による選抜。
二つ目は貴族による献上。
そして、三つ目は戦争捕虜か罪人の家族が後宮へ送られる場合。
仙術で顔を偽造して選抜を受ければ、後宮に侵入することは容易い。しかし、これでは一つ問題がある。
後宮の中では、細かい階級制度がある。
正妻である皇后を頂点として、妾という扱いの妃達から雑用係の宮女まで。
役職の数は数え切れないほどだ。
そして、階級によって皇帝に会える確率は大きく異なる。後宮で暮らす女は一万人。
高い階級の女は定期的に皇帝の寝所に呼ばれるが、大半の女は一生、皇帝の顔を拝むことはできないと聞く。
特に三つの方法で、後宮へ入った場合は最悪だ。確実に最下層の身分である奴婢にされる。
念のため、鬼猫に相談する。
『少し目をつぶれ』
毛繕いをしていた鬼猫は、そう答えた。
言われた通りに目をつぶる。
「もう、目を開けていい?」
『いいぞ』
うっすら目を開ける。
すると、そこには漆黒の人影が見えた。目を擦り凝視する。すると、視界に現れたのは見目麗しい容姿をした男。
目、鼻、口。どこを見ても容姿淡麗なのに、残念ながら髪は少しボサボサで、服はヨレていた。
「いや……だれ?」
『俺だ。鬼猫だ』
「嘘でしょ……?」
『嘘じゃねぇよ』
やっぱりコイツはタチの悪い鬼怪なのではないかと、今からでも疑いたくなる。
『曇月、よく聞け』
鬼猫は気味の悪い笑みを浮かべ、私の髪に触れた。まるで、飼っているウサギを可愛がるように。
『俺には人間の運命を、ある程度なら操作する力がある。その力で、お前を助けてやる』
「タダで?」
『まさか、対価はあるぞ。代わりにお前が死んだら、俺の配下として働け。お前の魂を俺によこせ』
「貴方の下僕になれと?」
『そうだ』
「……分かった。いいわよ」
鬼猫の手が頭から離れる。
『そんなアッサリ承諾してくれるのかよ』
「だって……私には、もう復讐以外の生き方は残されていないもの」
❀
『ここで座って待っとけ。そうすれば、あとはどうにかなる』
鬼猫は、道端にある平たい石を指さすと、元のモフモフへ戻った。
半信半疑で言われるがままに石の上で待っていると、張家出身の男が訪ねてきた。
張家は有名な貴族の家系だ。山育ちの私でも、名前ぐらいは聞いたことがある。
「娘よ。賊に襲われたのか?」
そう問いただす男に対し、私は「はい。盗賊に両親を殺され金品を奪われました」と返答。すると男は「ならば私の養子にならないか?」と返した。
なぜ山で出会った孤児を引き取ろうとするのか、私が聞き返すと男は「それはまだ教えられない。教えることが出来る日が来るまで、貴族の娘らしく教養や礼儀作法を学ぶことに励みなさい」とだけ答えた。
❀
「近づかないでよ。卑しい山娘」
パジッという乾いた音と共に、茶器が転がり落ちる。陶器が砕け散る音と共に、右手に痛みが走った。
「茶を持ってこいと仰ったのは、姉上ではありませんか」
「アンタに姉と呼ばれる筋合いは無いわよ!」
「ともかく父上には、茶器を破壊したのは姉上だと伝えますからね」
張家の長女である海霞が、こちらを睨みつける。小柄で可愛らしい容姿とは対照的に彼女の眼光は、誰よりも鋭く気に食わないことがあれば、すぐに口に出すほど気が強い性格であった。
現在、張家には三人の子供がいる。
長男が一人。そして、残り二人が海霞と私である。長男はバカがつくほどの真面目で、官吏の間でも信頼が厚く、一言で表せば『将来有望な青年』である。
彼が短気な海霞と、血を分けた兄妹であるという事実が信じられない。
「それにアンタ、時々誰もいない方ばかり見ているじゃない。本当に気味が悪いわ。まるで幽鬼でも見えているみたい」
(本当に見えているけどね……)
「そうだ。いい事を思いついたわ」
海霞はニヤリと口角を上げる。
「アンタを娼家に送ってしまえば良いのよ。そうすれば、その生意気な態度も直るでしょう?」
右腕が海霞に掴まれそうになる。
同時に背後から鬼猫の叫び声が響く。
何かを言い返そうと口を開いた、その時――。
「なんの騒ぎだ!」
部屋の扉が開く。
その先で仁王立ちをしていたのは、海霞の父であり、張家の主でもある暁嵐《シャオラン》であった。
「いい加減にしろ。海霞」
「お父様、だって……」
「言い訳はいらん。どうしていつもお前はそうなんだ。物覚えは悪いし、楽の才も無い。極めつけには妹を娼家へ送るなどと言う」
「こんな、どこぞの馬の骨が分からぬ娘を、妹と呼びたくはありません」
「お前の考えはどうでもいい。とにかく一族で話し合った結果、陛下へ妃として曇月を献上する事になった」
「そんな……この娘は山で拾った平民ではありませんか!」
「生まれなど、どうでも良い。陛下の妃になるということは、一族の命運を握るということだ。器量も大したことがなく、勉学にも励まないお前に、その大役が務まるものか。私は元より曇月を後宮へ送るつもりで、引き取ったのだ」
海霞が泣き崩れる。
この様子を眺めていた鬼猫は「因果応報だよなぁ」などと呟いていた。
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