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――どういう間柄かを聞きたがるアノンとシシィ、そして子どもらを巧みに帰らせたヴィルは、中へ三人を招き入れた。フェリペは介護者として残ろうとしたが、子どもに連れていかれてしまって、今はここにはいない。
年の頃はおよそ六十といったところか。松葉杖をついているが動きは矍鑠としている。
彼はリリオらを居間に案内すると、フゥー、と細く息を吐き出しながら椅子に腰掛けた。
「……信じ難いほど変わられんな。まさかあんたがリーゼラに来ているとは……」
「驚いたか? まあ、こっちにも色々あってな。……あと、驚いたのは俺も同じだぜ? いつの間にか旧知のやつから右足がなくなってるんだからな」
「旧知?」
思わずリリオが声を上げると、ああ、とクラスが頷いた。
「さっき、俺はこいつに世話になったって言ったな。だが実際は逆。俺が若い頃のこいつを世話してやってたんだ。恩人という訳だな」
「恩人は否定せんが、勝手なことばかり言わんでください、師父様」
その言葉に、目を丸くした。
(この人、師父様の正体を知ってるのか……!)
それも彼の若い頃に知り合ったのであれば、なるほど『旧知』な訳である。隣を見ればアイリスも驚いているようだったので、彼女も『ヴィル』のことを知らなかったのだろう。
「昔こいつは皇都で衛兵をやってたんだよ。衛兵やめたあとはフロラシオン国内と近隣諸国を回ってたらしい。旅の途中に見かけたことはなかったから、会うのは数十年ぶりだ」
「じゃあ、師父様はヴィルさんが衛兵をしていた時に知り合いに?」
「まぁ、そーゆーこと。数十年前は皇都周辺もまだ治安が悪かったからな。柄の悪い傭兵崩れの野盗とやりあって大量出血してるところに運良く居合わせて助けたのが俺、ってわけ。……ホラ、命の恩人だろ?」
なるほど確かに。
人は血を流し過ぎれば死ぬ。クラスがたまたまその場に居合わせなければ、ヴィルは助からなかったかもしれない怪我を負っていたのだろう。
「あんたが居合わせたのは門の近くでスリ騒ぎを起こして、騒ぎがあった時にちょうど衛兵に尋問を受けてたからだがな」
「「……」」
それは果たして『運良く』と言えるのだろうか……。
アイリスと二人、揃って醒めた視線を送れば、気まずそうにしたクラスが「うっかり手が滑って」と言い訳(にもならないような言い訳)をする。白々しいことこの上なかった。
(礼儀作法だってちゃんとできてるんだから、育ちが悪いわけじゃないはずだろ……どうして手癖が悪くなるんだ……)
ま、今その話はいいだろ! と、焦った声でクラスが話題を変える。
「数年前からリーゼラに落ち着いたって話は聞いてたから、わざわざここまで来たって訳」
「どこで聞きつけてきたんですかな」
「そういうのを教えてくれる奴は、探せばわりといる。……さて」
クラスが翡翠の双眼を鈍く光らせた。
「本題に入ろう。【黑妖】の話だ。ここで何が起きたのか、話してもらえるよな? ヴィル」
「……なるほど、あんたがわざわざリーゼラくんだりまで来たのはわしからそれを聞くため、というわけか」
「そういうことだ」
エルメルに来た災害級を初め、エルメンライヒ公爵領では【黑妖】が異常発生している。リーゼラも例に漏れず、強力な【黑妖】が襲来して多くの命を屠っていった。
異常事態の理由――ヴィルの言う通り、一行はそれを調べにここまで来たのである。
「何が起きたも何も、一年前に災害級と大妖級が数体、リーゼラを襲ってきたんですよ。それも、群れをなして。わしはその襲撃で足を失った」
「俺はその、【黑妖】が大量発生して人を襲っている原因を知りたいんだよ。こんなの、明らかに異常だろ?」
「ンなことはわしらだってわかっとります。原因がわかったらとっくに排除しとりますよ」
「……子どもらが武装していたな」
不意にクラスが声を低めた。「あれはどうしてだ」
ヴィルが、僅かにだが眉を顰める。……あまり聞かれたくなかったことだったようだ。
「……【黑妖】がまた襲ってくるのに備えて、でしょうな。また災害級みたいなものが襲って来たら堪らない。じっとしていられんのですよ。気持ちはわかるでしょう」
「ハ。あんなバケモン、子どもが武装して敵う相手じゃねえことくらい、大人ならわかんだろ。なのに、誰もあいつらを止めてないのは何故だ?」
「言っても聞かないからですな。子どもらにとって【黑妖】は敵う敵わないの問題じゃないのですよ。あの子らの中には親兄弟や親戚を屠られた者もいる。つまりは、仇だ」
「なるほど。『その時』がやってきたら仇討ちをいつできてもいいように、彼らは矢筒を背負って自警団を名乗っている、と」
「左様です」
なら聞くが、とクラスが目を細めた。
「――あいつらが、他者がこの地を踏み入れることにあれほど嫌悪感を示すのは何故だ」
リーゼラに辿り着いた時のことを思い出す。
あの時、もし敵意に気付かければ、リリオは射られて怪我をしていたかもしれない。
ただの怪我ならばクラスが治せる。が、一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。
威嚇のつもりとはいえ、人に矢を射掛けるということはそういうことだ。
「【黑妖】襲来のあと、程なくして憲兵がリーゼラに入り込み、大した説明もなく多くの大人を連れていきよりました。子どもらはそれをその目で見ていた。……余所者、それも、貴族を警戒しとるんですよ。だから、」
「……それだけじゃないのではありませんか」
子どもたちは、恐らく人に向かって矢を射掛けるということの意味をきちんと理解していた。――理解していて、敢えて矢を射った。
リリオたちに向けられたのは紛れもなく本気の敵意であり、ともすれば殺意だった。最悪、殺してしまっても構わない。……今思い返してみれば、あの矢から感じ取ったのはそういう類の感情だった。
「あの子たちは貴族を嫌っているどころか、憎んでいるように見えました。……大量逮捕を行った憲兵が子どもたちに余所者を警戒させる原因となったと仰いましたね。そもそもどうしてリーゼラに憲兵が押し入ることになったんです? あなた方はいったい、何をしたんですか?」
年の頃はおよそ六十といったところか。松葉杖をついているが動きは矍鑠としている。
彼はリリオらを居間に案内すると、フゥー、と細く息を吐き出しながら椅子に腰掛けた。
「……信じ難いほど変わられんな。まさかあんたがリーゼラに来ているとは……」
「驚いたか? まあ、こっちにも色々あってな。……あと、驚いたのは俺も同じだぜ? いつの間にか旧知のやつから右足がなくなってるんだからな」
「旧知?」
思わずリリオが声を上げると、ああ、とクラスが頷いた。
「さっき、俺はこいつに世話になったって言ったな。だが実際は逆。俺が若い頃のこいつを世話してやってたんだ。恩人という訳だな」
「恩人は否定せんが、勝手なことばかり言わんでください、師父様」
その言葉に、目を丸くした。
(この人、師父様の正体を知ってるのか……!)
それも彼の若い頃に知り合ったのであれば、なるほど『旧知』な訳である。隣を見ればアイリスも驚いているようだったので、彼女も『ヴィル』のことを知らなかったのだろう。
「昔こいつは皇都で衛兵をやってたんだよ。衛兵やめたあとはフロラシオン国内と近隣諸国を回ってたらしい。旅の途中に見かけたことはなかったから、会うのは数十年ぶりだ」
「じゃあ、師父様はヴィルさんが衛兵をしていた時に知り合いに?」
「まぁ、そーゆーこと。数十年前は皇都周辺もまだ治安が悪かったからな。柄の悪い傭兵崩れの野盗とやりあって大量出血してるところに運良く居合わせて助けたのが俺、ってわけ。……ホラ、命の恩人だろ?」
なるほど確かに。
人は血を流し過ぎれば死ぬ。クラスがたまたまその場に居合わせなければ、ヴィルは助からなかったかもしれない怪我を負っていたのだろう。
「あんたが居合わせたのは門の近くでスリ騒ぎを起こして、騒ぎがあった時にちょうど衛兵に尋問を受けてたからだがな」
「「……」」
それは果たして『運良く』と言えるのだろうか……。
アイリスと二人、揃って醒めた視線を送れば、気まずそうにしたクラスが「うっかり手が滑って」と言い訳(にもならないような言い訳)をする。白々しいことこの上なかった。
(礼儀作法だってちゃんとできてるんだから、育ちが悪いわけじゃないはずだろ……どうして手癖が悪くなるんだ……)
ま、今その話はいいだろ! と、焦った声でクラスが話題を変える。
「数年前からリーゼラに落ち着いたって話は聞いてたから、わざわざここまで来たって訳」
「どこで聞きつけてきたんですかな」
「そういうのを教えてくれる奴は、探せばわりといる。……さて」
クラスが翡翠の双眼を鈍く光らせた。
「本題に入ろう。【黑妖】の話だ。ここで何が起きたのか、話してもらえるよな? ヴィル」
「……なるほど、あんたがわざわざリーゼラくんだりまで来たのはわしからそれを聞くため、というわけか」
「そういうことだ」
エルメルに来た災害級を初め、エルメンライヒ公爵領では【黑妖】が異常発生している。リーゼラも例に漏れず、強力な【黑妖】が襲来して多くの命を屠っていった。
異常事態の理由――ヴィルの言う通り、一行はそれを調べにここまで来たのである。
「何が起きたも何も、一年前に災害級と大妖級が数体、リーゼラを襲ってきたんですよ。それも、群れをなして。わしはその襲撃で足を失った」
「俺はその、【黑妖】が大量発生して人を襲っている原因を知りたいんだよ。こんなの、明らかに異常だろ?」
「ンなことはわしらだってわかっとります。原因がわかったらとっくに排除しとりますよ」
「……子どもらが武装していたな」
不意にクラスが声を低めた。「あれはどうしてだ」
ヴィルが、僅かにだが眉を顰める。……あまり聞かれたくなかったことだったようだ。
「……【黑妖】がまた襲ってくるのに備えて、でしょうな。また災害級みたいなものが襲って来たら堪らない。じっとしていられんのですよ。気持ちはわかるでしょう」
「ハ。あんなバケモン、子どもが武装して敵う相手じゃねえことくらい、大人ならわかんだろ。なのに、誰もあいつらを止めてないのは何故だ?」
「言っても聞かないからですな。子どもらにとって【黑妖】は敵う敵わないの問題じゃないのですよ。あの子らの中には親兄弟や親戚を屠られた者もいる。つまりは、仇だ」
「なるほど。『その時』がやってきたら仇討ちをいつできてもいいように、彼らは矢筒を背負って自警団を名乗っている、と」
「左様です」
なら聞くが、とクラスが目を細めた。
「――あいつらが、他者がこの地を踏み入れることにあれほど嫌悪感を示すのは何故だ」
リーゼラに辿り着いた時のことを思い出す。
あの時、もし敵意に気付かければ、リリオは射られて怪我をしていたかもしれない。
ただの怪我ならばクラスが治せる。が、一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。
威嚇のつもりとはいえ、人に矢を射掛けるということはそういうことだ。
「【黑妖】襲来のあと、程なくして憲兵がリーゼラに入り込み、大した説明もなく多くの大人を連れていきよりました。子どもらはそれをその目で見ていた。……余所者、それも、貴族を警戒しとるんですよ。だから、」
「……それだけじゃないのではありませんか」
子どもたちは、恐らく人に向かって矢を射掛けるということの意味をきちんと理解していた。――理解していて、敢えて矢を射った。
リリオたちに向けられたのは紛れもなく本気の敵意であり、ともすれば殺意だった。最悪、殺してしまっても構わない。……今思い返してみれば、あの矢から感じ取ったのはそういう類の感情だった。
「あの子たちは貴族を嫌っているどころか、憎んでいるように見えました。……大量逮捕を行った憲兵が子どもたちに余所者を警戒させる原因となったと仰いましたね。そもそもどうしてリーゼラに憲兵が押し入ることになったんです? あなた方はいったい、何をしたんですか?」
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