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「ちょっと待て」

 朝である。

 昨日夕食を食べた食事処で朝食を食べていると、盛大に眉を顰めたクラスが、アイリスを伴ってそこまで来ていた。アイリスは目を見張りつつも、「おはようございます」と言う。

 クラスはリリオの座る席、その隣に座ると、じっとりとした目付きで睨みつけてきた。

「……どーーーしてお前がまだココにいるんだよ」
「僕もここに泊まったからですが?」

 何を当たり前のことを? と首を傾げてみせれば、クラスは半分白目を剥いた。
 そこまで嫌そうにしなくても……とリリオは若干傷つく。

「……ちょうど宿を探していたところだったんです。師父様に宿を紹介していただけてよかった。ここはいいところですね」

 やや狭いが、それでも聖騎士詰所の仮眠室よりは遥かに快適だ。素朴な造りも好感が持てる。価格もそこまで高くなく、中心街で平民に人気な宿屋だけある。

「別に紹介したつもりはねーよ!」
「でも、これから一緒に行動するんですから、一緒の宿に泊まった方が効率的でしょう」
「ハア????」

 クラスが素っ頓狂な声を上げた。「お前何? まさかついてくる気でいるのかよ?」

「え、そういう話でしたよね?」
「ちげーよ! なんでそうなるんだよ!」
「え! なら何故僕に昨日、あんな大切な話をしたんです?」

 アイリスが公都を発つのだ。ならば、公城にいるかもしれない【黑妖《ノワール》】や公都そのものに起こっている異変について、リリオも共に調べるという話になるのかと思っていた。でなければ、世継ぎの公子が死んだという重要な機密をリリオに話した理由がわからない。

「……それは」やや言葉に詰まった様子のクラスが、視線を彷徨わせた。「これまでの言動で、お前がビックリする程のいい子ちゃんだとわかったから……お前なら漏らさないだろ、見聞きしたことを外には……」
「漏らしませんけど……というか、いい子ちゃんとはなんですか昨日から! いくら師父様といえど失礼じゃないですか?」
「うるせーな! つかこんなとこで師父様とか呼ぶな変な目で見られんだろうが!」
「うッ」

 それはそうである。……まだ早朝なので食事処に来ている宿泊客は少ないが、それでもまばらながらに朝食を摂っている客たちは、怪訝そうにこちらを見ている。

「とにかく!」声を潜め、しかしはっきりと言う。「あそこまで話を聞いたんです。僕もお供しますからね!」
「お前……」
「僕の仕事は【黑妖】増加の原因を探ることです。師父様も公子の死の真相と、公都の異変について調べるつもりでいるんでしょう? 僕らの目指すべき方向は同じです。なら、人手はあった方がいいはず。落ちこぼれとはいえ、悪漢からくらいはアイリス様を守れますよ僕でも」

 師父様はそれもできないでしょう、と言外に含ませれば、クラスが苦々しい表情になる。
 あと一押し、と思っていると、アイリスが「まあ」と華やいだ声を上げた。「リリオ様が一緒に来て下さるんですか?」

「はい。師父様がいいと仰ってくれたら、ですが」

 リリオは笑顔で頷きそう答える。素晴らしきタイミング。そして何より、朝からアイリスはとびきり可愛い。
 アイリスは懇願するように、クラスをじっと見つめた。「おじい様……」

「…………あーっ、もう、わかったよ! 好きにしろ!」

 孫娘同然に可愛がっているアイリスのおねだりの視線に逆らえなかったらしい――弟馬鹿あらため爺馬鹿の名医が叫ぶ。そしてその爺馬鹿の名医は、鋭い目付きでリリオを睨めつけ、びし、と音を立てそうな勢いで人差し指を突き付けた。

「ただし! 足引っ張りやがったら置いてくからな!」
「お役に立ってみせますよ」
「……どーだかな」

 フン、とクラスが短く鼻を鳴らした。
 冷めたような翠の瞳に射竦められる。


「――お前がいつまでも『自分は落ちこぼれだから仕方ない』ってことに胡坐をかいて、自分の頭でなんも考えないままでいるんなら、いてもらったってむしろ邪魔なだけだぜ」



  *



「さっきのは一体どういう意味なんだ……」

 リリオは今晩の火を起こすために使うための薪を荷馬車の横に投げ置きながら、宿を出発する前に投げ掛けられた言葉を思い出して憤慨していた。

 ――僕が自分の頭で考えていない? どうしてそんなことを言うのだろう。

 クラスは、リリオを落ちこぼれとは一度も言わないし、蔑まない。聖騎士のくせに水魔法使いだなんて、弟に後れをとる情けない兄、と蔑まれることには慣れていたが、クラスは一度もリリオをそうやって見下すことはなかった。……だからこそ、彼の言いたいことがさっぱりわからない。

 聖騎士長を疑うような言動を見せたり、聖騎士を軽んじたり……一体、彼の真意はどこにあるのか。

(それに、なんだって? 僕が『自分が落ちこぼれ』であることに胡坐をかいている?)

 まさか。だって、リリオはずっと努力をしてきた。
 弟に後れを取っていることを受け入れながら、それでもここまで来た。そして、自分を見出してくれた聖騎士長のような存在になろうと、今も――。

「ご、ごめんなさい……」荷馬車の幌を押し上げ、中から顔を覗かせたアイリスが眉を下げた。「あの、おじい様は圧倒的に言葉が足りないだけで、悪気がおありなわけではなくて」
「あ、いえ、そんな。アイリス様が謝ることではないですよ」

 しゅんと肩を落として言うアイリスに慌ててそう言う。しかし、彼女は肩身が狭そうに視線を彷徨わせた。

「あの、それに……様、なんておやめください。聖騎士様に恭しくされてしまうと、なんだか申し訳なくなってしまって。よければ、私のことは、アイリスと」
「えっ」

 驚き、目を見張った。

 ――アイリスは公爵令嬢だ。
 生まれの都合上、リリオは上級貴族の女性とも言葉を交わすことがあるが、一定以上の身分の娘になると、人を見下すような言動を取る者がどっと増える。それは傅かれるのに慣れてしまうからであり、生まれ持つ人間性にはあまり関係がない。

 ……けれどもアイリスは、伝説の名医とはいえ身分が異なるクラスを庇った。
 さらに、自分が公女であることを鼻にかけているふうでもない。
 公爵家に生まれたのであれば、傅かれることには慣れているだろうに――自然に、身分の低いリリオやクラスを立てる。クラスの代わりに謝罪までして。

(傅かれるのに慣れているというか、むしろ……)

 公女の身分でありながら、頭を下げるのに慣れているような――。
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