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まさかの。
クラスが師父であったと知った時に次ぐ衝撃に、リリオはうっかり卒倒しそうになる。今日はなんとも心臓が止まりそうなことばかり起きる日である。
……第一公女アイリスと言えば、エルメンライヒ公妃が既に鬼籍に入っていることもあり、この公都では最も高貴な女性である。
それを――師父が、連れ回していたと言うのか。それも正体を偽って。
一体、何故?
「あ、の……」それでもなんとか、聞きたいことを聞こうと口を開く。「公女様は、光の加減で黒にも銀にも見える、鋼色の髪をしていると耳にしたことがあるのですが」
「ああ、これは染めているんです。あの……」
――似合っていませんか?
などと可憐な公女にちょっと不安そうに問われ、似合ってないいですと答えられる男が果たしていようか。否、いるはずがない。というか普通に似合っている。
リリオがなんとか「まさか、とてもお似合いです」と絞り出すと、アイリスは
「よかった」と花が綻ぶように笑った。やっぱり可愛い。
「――それで、リリオ様とおじい様はどうしてお知り合いに?」
「えっ? そ、それは」
簡単である。
スリ犯だと間違われて酷い目に遭いそうだった少年を助けたら、本当にスリ犯だったのである。……そうだそういえばこの少年(偽)はスリ犯だったのだったな。
しかし、それをそのまま彼女に伝えていいものか。アイリスは純粋にクラスを慕っているようであるのに――。
「あー。それね。クソムカつく商人の財布をこう、『借りて』やったら捕まって。やべーなと思った時、俺を憐れんで助けて下さったってわけ」
「……」
言った。そのまま言った。人の気遣いを無視して。
――と、言うか。
「クソむかつく、って……完全に私情じゃないですか。そんな身勝手な……」
「身勝手なじゃないスリがあんのかよ」
「開き直らないでいただけます?」
やっぱりこの人が師父様だというのはなんかの間違いなんじゃないのかな。
呆れ果てたリリオが呆れ果てた声でそう言うと、アイリスが椅子を倒して勢いよく立ち上がった。「……スリ? おじい様、スリをなさったんですか!」
「おいおいイリー声がでけーよ」
「でかくもなります! 反省してください!」
「アッ ハイ すいません」
気圧された様子の師父(スリ)をよそに、亜麻色の髪の美少女は、真っ青な顔で壁に寄りかかった。どうして……と蚊の鳴くような声で呟き、ぷるぷると小刻みに震える。
「しかも皇都の聖騎士様にまでご迷惑をおかけして……本当に申し訳ございません……」
「いえ、そんな」深々とお辞儀をする少女に、慌ててリリオは言う。「顔を上げて下さい。この公都で最も高貴なレディにそう深く頭を下げられては、困ってしまいます」
「本当にごめんなさいリリオ様……」
「しょうがねーじゃん。アイツほんっとむかついたんだもん。意味もなく従業員えげつねえ折檻しててさ。胸糞わりい脅し方しやがる、あの糞狸」
――小さくなっている公女の横で、当のスリの態度がでかい。気持ちはわからないでもないけどしょうがないはずがない。
この人は本当にあの伝説の名医なのだろうか――と、リリオがまたも疑いを持ち始めたところで、卓に料理が運ばれてきた。なんとも間の良いことである。
三人は揃って食前の挨拶をし、もそもそと食事を始めた。
……確かにあの商人にはリリオも好感を抱けなかった。
富める者は貧しい者や弱い者に優しくあるべきだ。また特権階級の貴族や聖騎士であればそれは義務である。クラスの正体を知らず、ただの貧民街の子供だと考えていたのなら尚更、罰も苛烈すぎてはならなかったはずだ。……それを、腕を折るなどと。罪があると確定したわけでもないのに。
「この都もたった数か月で随分様変わりしたよな。エルメンライヒ公はあんな悪徳商人があそこまでのさばってるのを見逃すような男じゃなかったはずだ」
まるで人が変わったみてーだ。
そう呟くクラスに、アイリスが言葉もなく俯く。クラスの表情は殆ど変わらないながらもどこか寂しげであり、この都市の様相を憂いているのがよくわかった。
――確かに。
麗しの公都エルメル。しかし今やここは、強力な黑妖が異常なほど出没している都市となっている。音に聞くかの公都とは、まさしく都市《ひと》が変わったようだった。
「で……でも、それは財布をすりとっていい理由にはならないんじゃないですか」
「そりゃそうだな」
「なら」
「でもムカつくやつはムカつくし、ぶん殴りたいやつは殴ることもある。俺は正論に生きてるわけじゃないんでね」
かぶりを振ったクラスに、今度こそ呆れた。
あまりに自由な生き方だ。まるで本当に十二歳のきかん気の子どものようである。
……そういえば伝説では、クラスの出身地や親兄弟といった素性が明らかにされていたものはなかったような気がする。師父ほどの伝説的な名医ともなれば、その生い立ちも伝説に語られていてもおかしくはないような気がするが。
そんなことを考えていると、「なあお前」と声をかけられる。
「確か聖騎士長の命令で公都を調べに来たんだったな。命令に不自然さは感じなかったか? 違和感、疑問、って言い換えてもいいぜ。
何かおかしい、と感じたことは?」
クラスが師父であったと知った時に次ぐ衝撃に、リリオはうっかり卒倒しそうになる。今日はなんとも心臓が止まりそうなことばかり起きる日である。
……第一公女アイリスと言えば、エルメンライヒ公妃が既に鬼籍に入っていることもあり、この公都では最も高貴な女性である。
それを――師父が、連れ回していたと言うのか。それも正体を偽って。
一体、何故?
「あ、の……」それでもなんとか、聞きたいことを聞こうと口を開く。「公女様は、光の加減で黒にも銀にも見える、鋼色の髪をしていると耳にしたことがあるのですが」
「ああ、これは染めているんです。あの……」
――似合っていませんか?
などと可憐な公女にちょっと不安そうに問われ、似合ってないいですと答えられる男が果たしていようか。否、いるはずがない。というか普通に似合っている。
リリオがなんとか「まさか、とてもお似合いです」と絞り出すと、アイリスは
「よかった」と花が綻ぶように笑った。やっぱり可愛い。
「――それで、リリオ様とおじい様はどうしてお知り合いに?」
「えっ? そ、それは」
簡単である。
スリ犯だと間違われて酷い目に遭いそうだった少年を助けたら、本当にスリ犯だったのである。……そうだそういえばこの少年(偽)はスリ犯だったのだったな。
しかし、それをそのまま彼女に伝えていいものか。アイリスは純粋にクラスを慕っているようであるのに――。
「あー。それね。クソムカつく商人の財布をこう、『借りて』やったら捕まって。やべーなと思った時、俺を憐れんで助けて下さったってわけ」
「……」
言った。そのまま言った。人の気遣いを無視して。
――と、言うか。
「クソむかつく、って……完全に私情じゃないですか。そんな身勝手な……」
「身勝手なじゃないスリがあんのかよ」
「開き直らないでいただけます?」
やっぱりこの人が師父様だというのはなんかの間違いなんじゃないのかな。
呆れ果てたリリオが呆れ果てた声でそう言うと、アイリスが椅子を倒して勢いよく立ち上がった。「……スリ? おじい様、スリをなさったんですか!」
「おいおいイリー声がでけーよ」
「でかくもなります! 反省してください!」
「アッ ハイ すいません」
気圧された様子の師父(スリ)をよそに、亜麻色の髪の美少女は、真っ青な顔で壁に寄りかかった。どうして……と蚊の鳴くような声で呟き、ぷるぷると小刻みに震える。
「しかも皇都の聖騎士様にまでご迷惑をおかけして……本当に申し訳ございません……」
「いえ、そんな」深々とお辞儀をする少女に、慌ててリリオは言う。「顔を上げて下さい。この公都で最も高貴なレディにそう深く頭を下げられては、困ってしまいます」
「本当にごめんなさいリリオ様……」
「しょうがねーじゃん。アイツほんっとむかついたんだもん。意味もなく従業員えげつねえ折檻しててさ。胸糞わりい脅し方しやがる、あの糞狸」
――小さくなっている公女の横で、当のスリの態度がでかい。気持ちはわからないでもないけどしょうがないはずがない。
この人は本当にあの伝説の名医なのだろうか――と、リリオがまたも疑いを持ち始めたところで、卓に料理が運ばれてきた。なんとも間の良いことである。
三人は揃って食前の挨拶をし、もそもそと食事を始めた。
……確かにあの商人にはリリオも好感を抱けなかった。
富める者は貧しい者や弱い者に優しくあるべきだ。また特権階級の貴族や聖騎士であればそれは義務である。クラスの正体を知らず、ただの貧民街の子供だと考えていたのなら尚更、罰も苛烈すぎてはならなかったはずだ。……それを、腕を折るなどと。罪があると確定したわけでもないのに。
「この都もたった数か月で随分様変わりしたよな。エルメンライヒ公はあんな悪徳商人があそこまでのさばってるのを見逃すような男じゃなかったはずだ」
まるで人が変わったみてーだ。
そう呟くクラスに、アイリスが言葉もなく俯く。クラスの表情は殆ど変わらないながらもどこか寂しげであり、この都市の様相を憂いているのがよくわかった。
――確かに。
麗しの公都エルメル。しかし今やここは、強力な黑妖が異常なほど出没している都市となっている。音に聞くかの公都とは、まさしく都市《ひと》が変わったようだった。
「で……でも、それは財布をすりとっていい理由にはならないんじゃないですか」
「そりゃそうだな」
「なら」
「でもムカつくやつはムカつくし、ぶん殴りたいやつは殴ることもある。俺は正論に生きてるわけじゃないんでね」
かぶりを振ったクラスに、今度こそ呆れた。
あまりに自由な生き方だ。まるで本当に十二歳のきかん気の子どものようである。
……そういえば伝説では、クラスの出身地や親兄弟といった素性が明らかにされていたものはなかったような気がする。師父ほどの伝説的な名医ともなれば、その生い立ちも伝説に語られていてもおかしくはないような気がするが。
そんなことを考えていると、「なあお前」と声をかけられる。
「確か聖騎士長の命令で公都を調べに来たんだったな。命令に不自然さは感じなかったか? 違和感、疑問、って言い換えてもいいぜ。
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