上 下
5 / 21

1-4

しおりを挟む
 少年が何かを言いかけたその時、「貴様ァ!」と、怒気に満ち溢れた声が響いた。怒りのあまり掠れた声に振り向けば、金貸しの男は頬を真っ赤にさせてこちらを睨んでいた。

「こっ、こ、こんなことをして……許されると思っているのか⁉ 愚弄しおって、この貧民風情がッ」
「先に罪を犯したと決まってもいない少年に度が過ぎる暴力を振るおうとしたのはそちらです。僕はそれを止めただけで、それに、この方にも怪我はさせていません」
「こ……後悔させてやる、私に楯突いたことを後悔させてやるぞ!」
「ご勝手に。その時はあなたのしたことを憲兵に報告します。あなたが私刑を実行しようとしていたことは、ここにいる皆が証人だ」

 そうですね? 

 呼びかければ、ほんの少しの間があったのち――「そうだ!」と声を上げた男がいた。酒場でリリオの隣だった客だった。

 そこから先は波が押し寄せるようだった。


「私も見たわ」「何様のつもりだ」「身なりで罪を決めるな」「たとえスリだったとしても腕を折るなんてやりすぎだ」「金持ちだから偉いのか」「子どもをなんだと思って」「貴族の名前を使ってやりたい放題しやがって」


 次々と上がる声に、金貸しの男がぎり、と歯を軋ませたのがわかった。そしてそのまま、逃げ帰るべく身を翻す。

 その様子を見送ってから――リリオは少年に笑いかけた。「もう大丈夫だからな」

「……さっきまで日和見してたクセに。まったく、都合のいい奴らだぜ」
「ん? 何か言ったか?」
「べつに」

 リリオが少年の腕をとって立ち上がらせると、少年は不貞腐れたような顔で言った。
 捻られた腕が痛むのだろうかと眉を下げれば、「大丈夫だから」と少年は肩を竦める。「こんなのここじゃ日常茶飯事《いつものこと》だしな」

「いつもの……」
「貧乏人はどこでも割を食う。……ま、中央の聖騎士様にはわかんねーだろうけどな」
「それは……、ん?」

 ちょっと待て。
  ……何故この少年がリリオの出身と、しかもその正体まで知っているのか?

 ハッとして少年を見下ろせば、彼はいつの間にか銀の徽章と黒革の鞘に金の箔押しがされた短剣を手にしていた。銀の徽章は聖騎士の証、短剣の紋章はリリオがレックス伯爵家の縁者であることを表す身分証である。

 まさか、と思った。

(――スリ取ったのか。この一瞬で)

 落ちこぼれとはいえ、仮にも訓練を積んだ聖騎士であるはずの自分から?

「エルメルは治安がいい都市だけど」色を失くしたリリオをよそに、少年はさも困りましたという顔をして自分の懐をまさぐる。「最近は【黑妖《ノワール》】のおかげで治安は最悪だよ」

 こんなふうに、スリも出るしな。
 そう言って彼は、上等な革製の財布をリリオの眼前に差し出した――稚くも整ったかんばせにニヤ、と悪どい笑みを浮かべて。

「ま、まさか……」

 掠れた声でリリオが零すと、「ああ!」と少年が、わざとらしく嘆いてみせた。

「まさか皇都の聖騎士様ともあろう者がスリの手助けをしちゃうなんて。世も末だなあ!」
「な、き、君は……」
「あーあ。こんなん中央の聖騎士長閣下に知られたらどうなるのかなあ?」

 ここまで言われて、いよいよリリオは蒼白になった。

「な、なんで……! 君、財布なんて、さっきまでどこにも持ってなかっただろう!」

 ふん、と少年は鼻を鳴らした。横目でリリオを見遣り、ほらよと言って短剣と徽章を投げ渡してくる。

「――ゆるい靴を履いて、その中に入れてたんだよ。ギチギチになってりゃ多少動こうが硬貨の音もしない。擦れたり揺れたりぶつかったりする隙間もねーわけだからな。奴は服に忍ばせてると思ってたから靴ん中までは調べなかった」
「そんな……」
「頭使えよ間抜け。さてはお前ろくに皇都を出たことねーだろ」
「ぐっ……」

 言い当てられて押し黙る。

 ……実際、リリオは一度も皇都から出たことはない。騎士養成機関での研修がせいぜいだ。そもそも、皇都を出て見分を広めるくらいなら、鍛錬をしなければならない実力しかなかった。

 しかしそれを、まさかこんな幼い少年に見抜かれ、挙句騙されるとは――。

「おーおー、沈んでんなあ」

 きゃらきゃらと笑う少年が、ふと「そだ」と言ってリリオを見た。

「なあお坊ちゃん、このことを黙ってて欲しいなら、俺の人探しに協力して、」

「――君。一緒に憲兵の詰所に行こう」

「……はっ?」

 素っ頓狂な声を上げた少年が、ぽかんとしてリリオを見た。リリオは構わず続ける。

「今ならまだ間に合う。ちゃんと謝って財布を返せば罪にはならないかもしれない。僕も一緒について行くから」
「お、おいお前、自分が何言ってんのかわかってんの? そんなことしたら、お前もガキに騙されてスリの片棒担いだことが露見すんだぞ?」
「君に騙されたのは畢竟、僕が間抜けだからだ。聖騎士長様にはお叱りを受けるかもしれないが、それも僕が至らないせいだから」
「うっそだろオイ……きっもお前……」

 なんだと、とむっとして少年を見れば、彼は信じられないものを見る目をしている。

「なんだ、その目は」
「や……お前俺みたいなのに騙されて怒んねぇの?」
「騙されたのは僕が間抜けだったせいだ。ただ、『きっも』に関しては怒ってるぞ? どうしてそんなこと言うんだ。普通に傷ついたぞ僕は」
「普通お貴族様ってのは平民にナメられたらキレんだろ。それなのに……」
「……そういう貴族もいるかもしれないが、少なくともそうはなりたくないと思ってる。それに僕はこの皇国の誇り高き聖騎士だ。子どもを怒鳴りつけたり虐げたりしたくない」
「オッエ……さっきから聞いててわかってたけど、マジモンのいい子ちゃんだなお前」

 聞き捨てならないなと眉を逆立てれば、少年はハイハイ、とひらひら手を振った。

「わかったよ。行きゃいいんだろ、そこでちゃーんと財布を返しますよ。でもその前に」
「その前に?」
「――人探しに協力しろ。俺のま……姉貴がちょっと前から行方不明でね。見た目がいいからこの街の男どもに食い物にされてるかもと思うと気が気じゃない」

 姉貴は俺と違って要領が悪くてね、と少年はおどけたように笑う。……しかしその目には確かな心配が見て取れた。

 ……エルメルは、常こそ治安のいい都市だ。しかし、最近はそうではないという。妙齢の女性がふらふらとしているのは、確かに心配だ。

 リリオはほんの僅かな逡巡ののち、「わかった」と頷いた。

「協力する。君のお姉さんが危ない目に遭ってると大変だ。……改めて、僕はリリオ・レックス。新人聖騎士だ」
「俺はクラス。姉貴の名前は……イリスだ、よろしくなお坊ちゃん」
「リリオだ!」

 まったく、とリリオは腰に手を当てる。

「手伝うには手伝うが、その後はちゃんと詰所に行くんだぞ。いいな?」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」
「のばすな!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヒューマンテイム ~人間を奴隷化するスキルを使って、俺は王妃の体を手に入れる~

三浦裕
ファンタジー
【ヒューマンテイム】 人間を洗脳し、意のままに操るスキル。 非常に希少なスキルで、使い手は史上3人程度しか存在しない。 「ヒューマンテイムの力を使えば、俺はどんな人間だって意のままに操れる。あの美しい王妃に、ベッドで腰を振らせる事だって」 禁断のスキル【ヒューマンテイム】の力に目覚めた少年リュートは、その力を立身出世のために悪用する。 商人を操って富を得たり、 領主を操って権力を手にしたり、 貴族の女を操って、次々子を産ませたり。 リュートの最終目標は『王妃の胎に子種を仕込み、自らの子孫を王にする事』 王家に近づくためには、出世を重ねて国の英雄にまで上り詰める必要がある。 邪悪なスキルで王家乗っ取りを目指すリュートの、ダーク成り上がり譚!

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

父が再婚してから酷い目に遭いましたが、最終的に皆罪人にして差し上げました

四季
恋愛
母親が亡くなり、父親に新しい妻が来てからというもの、私はいじめられ続けた。 だが、ただいじめられただけで終わる私ではない……!

ごめんみんな先に異世界行ってるよ1年後また会おう

味噌汁食べれる
ファンタジー
主人公佐藤 翔太はクラスみんなより1年も早く異世界に、行ってしまう。みんなよりも1年早く異世界に行ってしまうそして転移場所は、世界樹で最強スキルを実でゲット?スキルを奪いながら最強へ、そして勇者召喚、それは、クラスのみんなだった。クラスのみんなが頑張っているときに、主人公は、自由気ままに生きていく

異世界帰りの勇者は現代社会に戦いを挑む

大沢 雅紀
ファンタジー
ブラック企業に勤めている山田太郎は、自らの境遇に腐ることなく働いて金をためていた。しかし、やっと挙げた結婚式で裏切られてしまう。失意の太郎だったが、異世界に勇者として召喚されてしまった。 一年後、魔王を倒した太郎は、異世界で身に着けた力とアイテムをもって帰還する。そして自らを嵌めたクラスメイトと、彼らを育んた日本に対して戦いを挑むのだった。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

魔王がやって来たので

もち雪
ファンタジー
ある日、僕の元に現れた魔王ヤーグは、魔王としては変わり者、魔王の部下は、女の子フィーナ!←好きです。だから僕は、異世界にも行きます。 異世界へ行っても、僕は冒険行かずに、魔法学校へ行ったり、フィッシュアンドチップスを食べてたりちょっとアレな執事のルイスの提案で大豆畑を作ってます。(それで生活が楽になる事やまったり感もなくただ作ってます。もうルイスの趣味に付き合うのはもう慣れました。遠い目) ※本編始まる前に、前日譚があり主人公が別の人物です。 そんな話ですが、よろしくお願いします!

処理中です...