王子様の家庭教師

雨音

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9話 披露――Unveiling

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「――だから、ここでジュリエットはロミオにこう尋ねるんですよ。『おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの?』」
「……親がつけた名前が『ロミオ』だったからだろ」
 アルベルト殿下が、冷ややかな言葉を冷ややかな声でばっさりと吐き捨てる。
 わたしはむっと眉を寄せると、持っていたペンの先を彼の鼻先に突きつけた。
「そうやって、なんでもかんでも冷めた目で見つめるから、殿下は無表情すぎる鉄仮面って家来の人たちに言われるんじゃないんですか⁉」
「……言われてるのか、オレ。鉄仮面って」
「まあ、あくまで想像ですけどっ」
 おい、と少し不機嫌な声のツッコミを無視しつつ、わたしは紙に書いた英文を読み上げる。
「『That which we call a rose by any other name smell as sweet.』
 意味は、『私たちがバラと呼んでいるものだって、他のどんな名前であっても、甘い香りに変わりはないでしょう』というものです」
 かの劇作家、ウィリアム・シェークスピアの代表作『ロミオとジュリエット』。
 その名場面を英文にしても、アルベルト殿下には特に感慨はないようだ。
「まあ、そうだろうな」
「これはジュリエットが、ロミオがなぜモンタギュー家の人間であるのかを嘆いている場面なんです。ジュリエットはモンタギュー家と敵対するキャピレット家の女の子だから、彼の出身がモンタギュー家でなければ……! と言ってるんです!」
「つまり『バラ』というのはロミオを指しているということか?」
「その通り!」
 わたしはびしっと紙の上の英文をペン先で指し示す。
「ちなみに、この場合、バラは神聖言語で『rose』、甘いは『sweet』、香りは『smell』。そして『call』は『呼ぶ』という動詞です」
「あとづけるな。むしろ本題はそこだろう」
 呆れたような声に、わたしは「あとづけじゃないですよ」と頬をふくらませた。
「何かを覚えたりするには、ストーリーや背景があったほうが覚えやすいんですよ。おまけでもついででもありません」
「おまけともついでとも言った覚えはないが」
「まあそれはともかく」
 ……ここ三日間の授業で、だいぶ慣れてきてくれたのか、無愛想だった殿下ともふつうに話せるようになってきた。
 それに、神聖言語を【デス】を倒すための道具としてしか見ていなかった彼が、こういう小咄をしていくうちに、だんだんと神聖言語を身近に感じてきているような気がする。
 魔法に使えそうな単語じゃなくても、バラは『rose』である……そんな当たり前のことをふつうに受け止められるようになってくれたのは、わたしにとっては大きな進歩だ。
(ジュリエットの言うとおり、呼ぶ名前が違っても、そこにあるものの本質は変わらないもんね)
 英語も日本語も、どちらも同じ『言語』だ。
 どちらでどんな名前を呼んでも、そのもの自体が変わることはない。
「……それにしても、カンナ。よく、こんな物語を知ってたな」
「え?」
 わたしの書いた英文をながめていた殿下が、不意にぽつりとつぶやく。
「……オレは、『ロミオとジュリエット』なんて物語は、知らない。しかも神聖言語で書かれた物語だなんて、なおさらだ」
「……!」
 思わず息を呑む。
 鋭い指摘に、わたしは今更ながらに思い出して蒼白になった。
(そういえばわたし、『記憶喪失』って設定だったっけ……!)
「そもそも、オレたち王族でさえほとんど知らない神聖言語の文法を、どこで習ったんだ? ……やっぱりカンナは本当に、聖人・ランドルフ猊下の血筋なのか?」
「い、いやいや! そんなわけないじゃないですか……!」
 第二部隊の見張りがあるから声をひそめながらも、わたしはあわてて首を振る。
 わたしの出身は日本で、お母さんもお父さんもふつうの人で、平凡なただの一般市民だ。
 ……たしかにひいおばあちゃんは謎だけど、聖人だとか聖女だとか言われてただなんて話は、一度も聞いたことがない。
 しかし殿下は眉をしかめると言い返してくる。
「……なんでそう言いきれる? お前は記憶喪失なんだろ、その可能性も否定できないんじゃないか?」
「うっ……。でっ、ででででも、わたしなんかが、そんな貴族の名家の出身だなんて、そんなことあるわけ……」
「だが、現にオレの目の前で一級魔法を使っただろ? それは血筋が高貴だから、魔法の才能があることの証明になるんじゃないのか」
 そんなこと言ったって、あれがまぐれである可能性は否定できないわけで。
 魔法を使ったのも呪文を唱えたのも、人生で一度きりしかない。
 あのひいおばあちゃんの本……【鍵】にだって、なぜかこの世界にわたしを送ったように、まだ、暴かれていない秘密が隠されているに決まってる。
 ……まあ、確信はないけど。
「まあ、いい。そんなに言うなら、確かめてみればいい」
「……ハイ?」
 言われた意味が分からず、わたしは首をかしげる。
 確かめると、そう言ったのか、この王子様は。
 いったいどうやって、と聞き返す間もなく、アルベルト殿下は無表情で言った。
「……今日は、午後から第一部隊の魔法の訓練がある。お前はこの後すぐユリウスに『家庭教師として訓練に顔を出せ』と命令されるはずだ。……どうせ隊員たちはお前の力を見たがるだろうし、その時にまた魔法を使ってみればいい話だ」
「う、ウソ……」
 そ、それって、騎士団の第一部隊の騎士たちの前で、魔法を披露しろってこと?
 そんな無茶な……!



   *



「へえ、あの子がアルと隊長を救ったっていう天才少女なのか!」
「ほんとに若いな。若いっていうか、子供? アルと同い年なんだろ?」
「へえー。……でも、想像してたよりなんか、ふつうだな」
「まあ、そうだな。俺は『すさまじい美少女だ』なんてウワサを聞いたことがあるが、ふつうにかわいい女の子だな」
「だな」
(……ううっ、ふつうふつううるさいよっ)
 自分がふつうだなんてことは、自分が一番わかってることだ、とわたしはむくれながら目の前の柵をぎゅっと握る。
 王宮にある騎士団の訓練場のすぐそばには、軍部の上官や貴族のご令嬢たちが見物に来るときのためにつくられた席がある。
 わたしが今いるのはそこだ。
 アルとその同僚の騎士たちは、訓練場の中からわたしを見て、こそこそと小声でしゃべっている。こそこそというより、ふつうに聞こえてるけど。
 ろうかでの貴族のお嬢様たちの陰口よりは気分が下がらないけど、悪意がないだけこの人たちの言葉も傷つく。
(どうせ平凡ですよ、わたしなんて……)
「おいそこ、私語を慎め! 素振りを増やすぞ!」
「はいっ」
 隊長さんの檄が飛んで、騎士たちはあわてて剣を抜いて訓練を始める。
 騎士たちはそれぞれに合った武器で戦うことを許されているのか、ところどころで剣だけでなく、弓や鞭などの練習をしている姿も見える。
 たまに光が見えるのは、多分魔法を使っているんだろう。
「どうだ、カンナ。うちの隊は」
「隊長さん」
 見物席にやってきた隊長さんが、わたしに向かって微笑みかけてくれる。
 わたしもあわてて笑顔を返した。
「すごくいい雰囲気の隊ですね。特に、他の隊員の方々がアルベルト殿下を愛称で呼んでいるのに驚きました」
「それはアル自身の希望でね。騎士団にいるときは、王子という身分は関係なく付き合ってほしいって、ここに所属する時に宣言したんだ。……だからこの隊にいる先輩騎士たちは、アルのことを気兼ねなく呼び捨てにしているし、アル自身も先輩にはきちんと敬語を使っている」
「そうなんですか」
 そう言えば、アルも騎士団にいるときは隊長さんを肩書きで呼んでいるけど、王宮ではユリウスと呼び捨てにしていたような気がする。
「アルはいい王になる。きっと」
 たしかに、そういうところのケジメをしっかりつけられるって、すごい。
 ……裕福な国の王子様とは言っても、彼は早くにご両親を亡くしている。
 責任感が強くてまじめで、おまけにしっかりしているけど、大人びすぎているのも、もしかしたらそのせいかもしれない。
「隊長、カンナ嬢。お話し中失礼いたしますっ」
「どうかしたのか」
 突然かけられた声に、思わず肩をこわばらせると、隊長さんが眉を寄せて声をかけてきた騎士さんを見る。
 わたしより三つ四つ年上に見える彼は、胸に手を当てる騎士流の敬礼をしながら、言った。
「アルベルトと隊長をのぞく俺たち第一部隊は、一級魔法を使えるほどの力を持つというカンナ嬢のお力を、まだ知りません!」
(つ、ついに、きちゃった……ッ)
 予想していたこととはいえ、わたしはさっと顔を青くさせる。
 ほんとうにこの大人数の前で、魔法を使って見せなくちゃいけないのか。
「それで?」
「誠に勝手な願いではありますが、俺たちはアルベルト……我らが第一王子殿下の新たな家庭教師になられたカンナ嬢の魔力を、この目で見てみたいのです!」
「……だ、そうだが?」
(ひ、ひえええーっ)
 向けられた隊長さんの笑顔に、わたしは思わず頭を抱えた。
 殿下とよく似た彼の青い瞳は、『やってやれ』と言っている。
 しかもこれ、断れる雰囲気でもなさそうだ。
「……わたし、記憶がないので……うまく魔法を使えるかとか、わかりませんよ?」
「大丈夫だ。あの時の君が出した炎は、俺もアルもこの目ではっきり見ている。君に魔力があるのは疑いようがない」
(心配どころはそこじゃないってば……)
 わたしは【スザク】に二回襲われて無事なのだ。耐性があるのはわかりきっているので、魔力があるのは多分間違いない。
 心配なのは、魔力があっても魔法が使えるかどうか、なんだけど。
「……わかりました。やってみます。……あの、炎を出せばいいんですよね?」
「ああ、そうだ」
 隊長さんがうなずいて、隊の騎士たちがおおっと歓声を上げる。
 アルベルト殿下も、無言・無表情ながらにこちらを見ていて、それが余計に緊張を煽る。
 炎を出したあの時、わたしはなんて言ったっけ。
 そう、確か、
「我誓う、【至高の記憶ハイエスト・メモリー】――」
 言葉をつむいだと同時、わたしの右手から白い光がもれだす。
 どよめく騎士たちを気にせず、わたしは続きを口にした。

「ジェネレート・フレイム」

 ……そして。



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