たった一度の、キセキ。

雨音

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16 茜くんの隠し事4

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「……え?」
蒼の言っている意味がわからず、目を瞬いた。
茜くんが、なんだって?
「いや……あのさ。母さんに、茜がこの町に来てるんだってこと、話したんだよ。そうしたら母さんが、『それは変だ』って。」
「変……? なんで? どういうこと?」
「母さんいわく、数年前の茜の引っ越しは引っ越しじゃなかったらしいんだよ。――ぶっちゃけると、伯父さんの借金が嵩んでの夜逃げだった。ひなんちに親戚のそういうとこは知られたくないからって、引っ越しってことにしたんだと。」
どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
……茜くん、そんなこと、一言も言ってなかった。
「夜逃げした当初はまだかろうじて連絡がついたらしい。で、そのまま茜の家は一家離散。茜は施設に預けられて、それ以降、うちからも茜の親とも茜とも連絡取れてないらしいんだよ。」
「で、でも! 茜くんは『親とハデにケンカした』って……!」
「ならたぶん、それはウソだ。施設を出て、また実の親と暮らすっていうのは考えにくい。夜逃げするほどの借金がそんなにすぐに返せるわけないし、茜の入ってた児童養護施設はだいたい高校まで面倒を見るってとこだった。だったら、親とケンカして家出しに来たっていうのはおかしいだろ。」
「じゃ、じゃあ……そうだ、いいおうちの養子になったんじゃない?そうすれば、引き取り先の人を親って言っても不思議じゃないでしょ?」
「でも、お前にもおばさんにも『篠崎茜』って名乗ってたんだろ? 養子になったたんだったら、名字だって高確率で変わってるはずじゃないか?」
「ッ、」
反論材料が見つからず、言葉に詰まる。
血の気が引いていく。
「本当は別の名字に変わってたけど、お前には嘘をついて篠崎を名乗ってた……って可能性はある。でも、その理由がわからない。というかそもそも、名字が変わったことを悟られたくないなら、そもそも名字なんて名乗らなければいい。篠崎茜だ、ってちゃんと名乗らなくたって、あの顔だ。ただ『茜です、久しぶり』って言うだけで、お前は茜の名字を自然と『篠崎』だって思うはずだからな。」
「……!」
たしかに、そうだ。
……思い返してみれば、茜くんの言動には「アレ?」と思うところがいくつかあった。
まず、目的。彼の『家出』が、それだけの理由でなされたことではないことは、ノートのあの新聞から察せられる。わざわざ家出にノートを持ってきたということは、やはりそういうことだ。
それに、おそらく彼は、どこかの宿に泊まることを想定していなかった。たぶんだけど、私かお母さんに接触して、私の家に寝泊まりしようと初めから考えていたんじゃないかと思う。……幼なじみの家を当てにするのは理由としてはわかるけど、蒼の家に何も連絡しないというのは、やっぱり不自然だ。普通なら幼なじみの家より従兄の家に泊まるだろう。
――彼は叔父叔母を通じて自分の居場所が親に知られるのが嫌だ、と言っていた。
でも、蒼の言葉が正しいなら、それはおかしい。だって茜くんは、蒼の両親が自分の両親と連絡がつかないことを、わかっていたはずだから。
つまり――彼が私の家に泊まる必要は、ないはずなんだ。
(どうなってるの……⁉)
蒼の話と照らし合わせて考えると、茜くんの言動と現実には矛盾点が多すぎる。
茜くんは、私にウソをついていた?
でも、もしウソをついていたとして――何がウソなの? 彼の言っていること、やっていること、目的も、何もかもがデタラメなら、どこから何を考えていいかもわからない。
「なあ、あいつは誰なんだ? ……顔は間違いなく茜だ。オレたちが似てるってことは、親戚内でもよく言われてたことだ。兄弟みたいだって言われてた……。」
「蒼……。」
「でも、本当にあいつは茜なのか? どうして必要もないのにひなの家に居候なんかしてる?どういう素性でどんな目的があるんだ?」
蒼が、コーヒーの入った紙コップをぎゅっと両手で握りしめた。音を立ててゆがんだ紙コップに、きついシワが刻まれる。
「――あの『茜』は得体が知れなすぎる。」
「……。」
「オレも母さんたちも、茜とその両親について、これ以上のことはわからない。だから……気をつけろよ。いずれにせよ、早く追い出した方がいい。」
そう言うと。
蒼はベンチから立ち上がり、私を見た。
そして、きゅっと眉を寄せてから――くるりと背を向けた。
「……じゃーな。佐古と勉強会、楽しめよな。」
そう残し、蒼は去っていった。
一人残された私は、半ば呆然と、蒼の背中を見送った。



  *



――蒼と別れたあとの帰り道、私はすぐにお母さんにメールをした。
仕事中にたのみごとをして申し訳ないけど、私はお母さん以上に情報収集が上手くて、物事を追求することに長けている人を知らないから。
メールの内容はこうだ。
『お母さん、忙しい時にごめんね。でもどうしても気になることがあってメールしました。
今日、蒼と会って、今茜くんがうちにいるのは変じゃないかと言われました。茜くん、遠いところに引っ越したんじゃなくて、夜逃げだったんだって。それで施設に入ってたんだって。だから親とケンカして家出っていうのは、ウソかもしれない。
私は茜くんが悪い人だとは思えないけど、話してることがデタラメばかりなら、茜くんが何を考えているのかわからなくて少し不安なんだ。だから、ちょっと茜くんのことを調べてくれないかな?』
それから、と打つ。
『〇月〇日に、■■信号前の歩道橋で起きた女子高生の落下事故って知ってる? たぶん、二、三年前のことだと思うんだけど……。』
茜くんの素性。目的。
そして、あのノート。
茜くんはどうして私にウソをついたのか。なぜ私を騙す必要があったのか。――知りたいことが山ほどある。
心臓は嫌な音を立てるばかりだったけど、私は覚悟を決めて送信ボタンを押した。
「これで……、」
すぐに調べてくれるはず。
お母さんのことだ、そう時間もかけずに連絡をくれるだろう。


「あ、おかえり、ひな。そろそろご飯できるぞー。」

家に着くと、時刻は午後七時を回ろうとしているところだった。
玄関を開けるやいなや、ふわりとおみそ汁のいい匂いが漂う。
――しかし、それだけでドッと汗が吹き出た。どくん、と心臓が重い音を響かせる。
「た、ただいま、茜くん。ごめん、遅くなっちゃて、手伝えなくて……。」
「別にそれはいーけど……。あ、ひな、そういえばしらたきは?」
「あ、ごめん、忘れてた……。」
なんだ、と茜くんが眉を下げる。「じゃー、普通の肉じゃがだな。先作っちゃっとけばよかったかな……。」
そうつぶやきながらなべに向かう茜くんの背中をぼんやり見る。
……ああ、スーパーに寄るってことを思い出す心の余裕すらなかったんだ、私。
蒼に言われたことに、自分で思う以上に動揺していたってことを、今ようやく自覚した。
「……茜くん、じゃあ配膳始めちゃってもいい?」
「あ、うん、よろしく。あと大根、すりおろしてくれない?大根おろし、玉子焼きに添えたいからさ。」
「うん、了解。」
――茜くんは、茜くんだ。
それは間違いない。こんなに蒼とそっくりで、しかも私や蒼についてくわしくて、面倒見がいい人が、茜くん以外でないことなんてありえない。
茜くんが私に向けた心配も、私を振った蒼への怒りも、周りを気にしての直樹くんへの警戒も、ニセモノなんかじゃなかった。
だから、茜くんは悪い人なんかじゃない。なにか、言えないことがあるだけなんだ。
私はそう信じてる。
「ひな、なんか顔色悪い? 大丈夫か?」
「……ううん、平気、ありがとう! ちょっとテスト勉強に疲れちゃったかな~。」
「えぇー? 気分転換に外出てきたのにまだ疲れてんの? おいおい、大丈夫か? これ以上サボったらマジで成績落ちるぞ~。」
「ちょっと、茜くん! すりおろしやってるんだから頬つつかないで! 危ないでしょ!」
文句を言うと、はいはい、と茜くんがおどけたように笑った。
……ほら、ふざけてるように見えて、ちゃんと心配してくれる。顔色が悪かったりしたらすぐに気づいて、さりげなく気遣ってくれる。
「じゃ、ご飯とみそ汁運んで食べようぜ!」
「うん!」
ほかほかのご飯とみそ汁、大根おろしを添えた玉子焼きに肉じゃが。
膳を並べて二人で、いただきます、と言う。
この二週間くらい、続けてきた毎日。
――ここ最近の、私の『日常』。
「……肉じゃが、おいしいよ、茜くん。ありがとう。」
「まーね。」
ふふん、と茜くんが得意げに笑う。
私はあたたかくて優しい味わいの肉じゃがを咀嚼しながら、今日は早く寝よう、と思った。
……お母さんから返信が来ているかもしれないスマホを確認するのが、怖かった。
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