たった一度の、キセキ。

雨音

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9 私の気持ち、蒼の気持ち上

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――翌日、火曜日の昼休みのことだった。
 昼食を食べ終え、歯を磨き終わった私を囲うようにして、クラスメイトの女の子たちが声をかけてきた。いわく――顔を貸せ、とのこと。
「ちょっとついてきてくれる? 宮野さん。」
「あ、うん……。」
声をかけてきたのは、クラスの女子のリーダー格である久保さんと、佐野さんと、井上さん。
華やかな雰囲気の美人さんたちで、蒼たちのグループと仲がいい、いわゆるカースト上位の女子たち。
ついてきてくれる? と、一応は伺う感じではあったけど、有無を言わせない迫力が彼女らにはあった。
剣呑な雰囲気と、やや尖った声音に、あんまりいい予感はしない。


「あのさ、宮野さん。いったいどういうつもりなわけ?」

 ――そして案の定、私はあんまり楽しいとは言えない状況におちいっていた。
 連れてこられたのは、あまり人気のない北校舎の階段の、踊り場。
照明も古くてあたりも暗く、私たち以外に人の気配もない。三人と自分だけという状況に、心細さがつのる。
少女漫画でよく見るシチュエーションだな、なんてぼんやり考える。ヒロインが、ライバルの女子たちに詰め寄られて、ピンチになったらヒーローが駆けつけてくれるんだよね。
――ああ、なんという皮肉だろう。
既に『ヒーローに』こっぴどく振られている私が、少女漫画のヒロインみたいなポジションにいるだなんて。
「どういうつもり、っていうのは……?」
 けれど、私のヒーロー――蒼は、きっと助けに来てくれない。
 なら私が、一人で全部なんとかしなくちゃ。
「わざわざ言ってあげなきゃわかんないの? 蒼に告白しておいてすぐに年上の男とデートなんてしておいてさあ、しかも直樹にまで粉かけてるって言うじゃん。あたしらはそれがおかしいんじゃないかって言ってるの。」
「はっ? ちょっと待って。こ、粉かけ……って、」
「そりゃあさあ、蒼に振られて、すぐに他の年上の男に乗り換えるんだーっていうのも、あたしたちとしては蒼の友達として? むかついてたけど、それは見逃してたわけじゃん。蒼に振られたやつが他の男と何してようが、まあ、こっちには文句言う筋合いもないわけだし。」
「でもさー、それで直樹をたぶらかすのって違わない? あんたさ、男なら誰でもいいわけ? 蒼にこっぴどく振られてカワイソ~って思ってたけど、ここまでされたらさすがに看過できないんだけど?」
口をはさむ間もなくまくしたてられて、私は青ざめる。
……男なら誰でもいいとか、茜くんに乗り換えるとか、そんなこと、絶対にない。茜くんはただの幼なじみで、私を妹分として特別可愛がってくれてるだけだし、世話を焼いてくれてるのも、居候先の娘だからってだけ。私は今でも蒼のことが好きだ。
 ……でも、佐古くん――直樹くんのことは……。
「しゃ……写真のことは、あれはただ、蒼……篠崎くんの従兄と買い物に行ってただけ。付き合ってるとか、蒼に振られたからすぐに乗り換えるとか、そんなんじゃないよ。」
「はあ? じゃあ、直樹のことはどう説明するわけ? あんたがたぶらかしたんでしょ?」
「たぶらかしてなんかないよ!」
……私だってびっくりしたんだ。彼の気持ちに、全然気づけていなかったから。
それに、佐古くんが私のことを好きかもしれないって気づいてからは、思わせぶりな態度を取った覚えもない。たしかに昨日、きっぱり断れなかったのは、まずかったのかもしれないけど――。
それでも、まだ蒼を諦めきれない私のことを待ってるって言ってくれたのは、直樹くん自身だ。
「それに、どうして直樹くんが私を……ってこと、知ってるの?」
もし彼があらかじめ『宮野雛子のことが好き』と公言していたのなら、彼女たちがここまで怒ることはなかったはずだ。
……ということは、直樹くんは自分の気持ちについて、昨日までは隠していた、ということになる――少なくとも、久保さんたちの前では。
 それなのに、昨日の今日で、どうして彼が私に告白したことが広まってるの?
 ……今この状況って、そういうことだよね?

「――それよ、それ!」

 すると、嫌そうに眉をしかめた久保さんが、私を指さした。
「今まで、『佐古くん』って呼んでたくせに、いきなり『直樹くん』なんて呼ぶようになってさあ。意味わかんないんだけど。」
「あ……。」
 はっとする。……たしかに、それはそうだ。呼び方の変化は、大きな変化だ。
 あの時は『別におかしくない』って言葉に、『そうかも』って思っちゃったけど、周りから見てもやっぱり奇妙だったのかもしれない。
「というかね、あんたが直樹と二人で空き教室にいたってところを目撃した子もいるの。それを、翌日からこれ見よがしに名前呼び? ふざけてるの?」
「しかもさー、直樹に『ひなちゃん』とか呼ばせちゃって。なんなの? 調子に乗らないでくれる?」
「私、別に調子に乗ってなんて……。クラスメイトで友達なんだし、別に名前で呼んでたっていいかなって、それだけだよ。」
「はあ? あんたみたいな地味でぱっとしないやつと、直樹が友達なわけないじゃん。直樹と対等であるつもりでいること自体が、調子に乗ってるって言ってんの。」
「……ッ。」
 たしかに、私が地味でぱっとしないのは事実だ。イケメンで、優しくて明るくて、蒼と同じようにクラスの中心人物の直樹くんと釣り合ってないことも、彼に好意を寄せられるに値するような女子じゃないことだってわかってる。
 ――でも。
「とにかく、これ以上直樹とベタベタしないで。友達面も迷惑だからしないで。あたしらの友達差し置いて直樹と付き合うなんて一番ありえないからね、わかった?」
「……迷惑っていうのは、直樹くんが言ったの?」
「は?」
でも……友達同士だっていうことは、そんなに悪いことかな。
 たとえ、悪いことだったとして、そういう私のあやふやな態度に腹を立てていいのは、それこそ直樹くんだけのはずじゃないか。
「私が直樹くんとどんな関係になったって……それに文句を言える人がいるんだとしたら、直樹くんの彼女だけだと思う。久保さんって、直樹くんの彼女なの?」
「は? あんた、何言って……、」
「私は蒼のことが好きだし、まだ諦めきれてない。……でも、直樹くんと友達として仲良くしたとして、私の態度が思わせぶりだって非難していいのって、直樹くんだけだよね?」
 声は震えていたが、きっぱり言い切った。
 ……ちゃんと、自分が何を言ってるのか、わかってる。
これは、彼女らにとっては、むかつく以外の何物でもない物言いだと思う。間違いなく。
 でも、私には、友達としてこれから仲良くなっていこう、という直樹くんの言葉に応えることが、そんなに悪いことには思えない。
「意味わかんない……。引くんだけど。」
「信じられない。あたしたちが忠告してあげてるの、気づかないの?」
 険しい顔をした久保さんたちが、低い声で口々につぶやく。
 そして、彼女はチッ、と小さく舌打ちをすると、私をにらんだ。
「あんたの言い分、あたしは絶対認めないから。……あたしの方が先に直樹が好きだったのに、あんたにとられるなんて絶対許せない。しかも、蒼に告ったばっかの、フラフラしてる女なんかに……!」
「……、」

「あんたがどういうスタンスでいようと、もしもこれ以上直樹に近づくようなら、あたしにも考えがあるから。」

 そう吐き捨てて、久保さんたちはさっさと階段を上っていった。
 私はその背中を半ば呆然と見送って――、そのまま踊り場の床に座り込んだ。

 
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