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平和編

Hello,

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アベンチュレ国民局・九局資料室。
 外は心地よい秋の午後。アザムは今まで使った書類の片づけと、新しい資料の保存する作業をしていた。ドアがノックされる。
「はい」
「お疲れ」
 資料室にカルカが入ってくる。手には紙袋を持っていた。
「手伝おうか? 」
「いや、色々考えながらやっているので、ひとりで大丈夫です」
「そうか。朝からずっと閉じこもって昼まだだろう?差し入れ」
 カルカはテーブルの開いているスペースに紙袋を置くと、中からカフェラテ二つと、ホットサンドを二つ出した。
「俺も昼食べ損ねたから一緒に食べるな。カフェラテ、砂糖はいってないけどよかったよな? 」
「はい、ありがとうございます」
「ホットサンド、ベーコンチーズとチキンマスタードどっちがいい?」
「カルカさんがお好きな方を」
「いいから選べよ」
「じゃあ、チキンマスタードで」
 受け取ったホットサンドはほんのりとまだ温かい。テーブルを軽く片づけ、ふたりは向き合って三時のランチを食べる。
「今回は本当にお疲れ様。ほぼお前のおかげでどうにかなった作戦だよ」
「ちょっとずるい手を使った気分ですけど」
「自分の家柄をずるいとか言うんじゃない」
 鉄道会社の社長の資金不正利用は、元々は他の九局員が、城人が賄賂などを貰っていないかの疑いで捜査していた。結局、城人は関わっておらず、それをバライトが利用しようと局長会議で提案した。
 それから急ピッチにアザムが動いた。鬱憤が溜まった鉄道会社の社員が通う酒屋に毎日行き、顔見知りになる。そして会話をするようになるとそれとなく、二局四連会議の日にストライキを起こせば国もさすがに思い腰を上げるんじゃないか? と助言をした。それからアザム家の人脈を使い、鉄道会社の社長に接触。これはカルカが、社長が信用する人物の使者になりすましてやった。もちろん、城人とは、ばれないように。ヨンキョクが自分の逮捕に動いている、海外逃亡の手筈を整える。そして二局四連前日、バライトが新聞社に国民局が鉄道会社の社長を匿っているという偽情報を掴ませ、その記事が出ることをアザムが社員たちに流す。そしてストライキデモの時、九局員を数人混ざらせ大ごとになるように盛り上がらせた。ストライキが起こっているのに四局の上二人がいなかったら、不自然なために、ハクエンとセッシサンはアベンチュレに残ったのだった。
「終わって考えてもめちゃくちゃな作戦だと思います」
「俺もそう思う」
 カルカが同意する。
「この一件こそ新聞社に見つかったらやばいですよね」
「やばすぎるよ。結局、真実を隠蔽したんだから」
 カルカは苦笑いをしながら、チーズを伸ばす。チーズを吸い込むと、まあ、と続けた。
「戦争を止めるという目的は達成した。今回はそれが目的だった。それは達成した。乾杯とかはできないけどな」
 九十七期生の悲劇は国の闇となったのだ。その闇が明らかになる日が来ることを考えるとアザムは正直恐ろしかった。それはアザムだけではないだろう。アザムは思考を止めるようにカフェラテを飲んだ。
「俺さ、アザムにずっと聞きたいことがあったんだけど」
「なんですか? 」
 アザムが軽くなったカップを置く。
「どうして、養子に? 子どもの頃に親と離れてその決断をするのは結構なことだろう? 」
 アザムは思わず黙り込んだ。カルカが慌てて手を上げた。
「悪い。踏み込みすぎた、忘れてくれ」
「いや、大丈夫です。誰かに話したいって気持ちもありますから」
 アザムは本当の父を知らない。遊び人の母は美しい人だった。その母に惚れたのがアザムの当主だった。当主は妻に先立たれ、子どもがいなかった。当主はアザムをも可愛がった。アザムはずっと旅の生活をやめたかった。だから母とアザム家の当主が結婚して欲しかった。けれど、母は拒んだ。旅の生活がやめられなかったのだ。アザムは母と初めて喧嘩をした。そしてアザム家に逃げて大泣きしながらここにいたいと、当主にしがみついた。当主は追いかけて来たアザムの母に、養子の話を出した。アザムの母は承諾した。当主は自分のことは愛さなくていい、けれど、近くに来たら息子に会いに来ていいと伝えた。けれどその日以来、母がアザムを訪ねてくることはなかった。
「笑いますよ」
 アザムは母が、どれくらい皺が増えたのだろうと考えた。
「笑わせてくれるなんて素敵じゃないか」
 カルカが似合わない冗談を言った。アザムは少し笑い、ドアを見た。
「毎日同じドアを開けたり、閉めたりするのが憧れだったんです。夢でした。どこにも行きたくなかったんですよ」
 アザムには行く場所ばかりで帰る場所がなかった。それはとても不安だった。
「みんなで旅をしていた頃は忘れ物をしたらもう取りには戻れなかった。忘れ物をするほど持っているものは多くなかったですが。養子になって、塾に通うようになって、ペンを一本失くしたんです。でも家に帰ったら、勉強机の上にあって」
 養父に買ってもらった大事なペンだった。
「失くしたんじゃなくて、忘れ物をしただけか」
「そうです。でも俺にとって忘れたらもう、失くすってことだったから。忘れたらもう二度と見つからないって子供の頃は信じていたので。それで、俺、馬鹿みたいに泣いたんですよ。ペンがあったことに泣いたんです。嬉しいっていうのが一番でしたけど、それだけじゃないんです」
「悲しみもあったのか? 」
「それもちょっと違いますかね。価値観がひっくり返ったショックだったのかもしれないですね。けどやっぱり子どもでしたからね。新しい生活を自分で選びましたけど、寂しかったんだと思います。恥ずかしい話です」
「恥ずかしくないさ。俺なんか大人になっても寂しくてたまらない時があるよ」
「彼女でもつくったらどうですか。バライト局長みたいにならないうちに」
 カルカのカフェラテを飲む手が止まった。
「……今の結構傷ついた」
「すみませんでした」

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