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平和編
はじめての再会
しおりを挟むシズは水の中で眠ってしまった気がした。錨のように身体は静かに底へと落ちて行く。瞼がうまく開かない。意識と感覚が繋がらない。それでもシズは必死に左手のナイフを握りしめていた。こんなものでダイアスは死なないのは予測がつく。それでも、勝手に死ねというよりも、建前だけでも自分が殺した方が、マシだとシズは思った。殺すにマシもなにもないが。
シズの傷口に何かが触れた。手ではない。冷たい感触で、吐息のようなものを感じた。途端に身体が軽くなった。自然と瞼が開いた。青暗く、白いガラスの粉みたいな光が漂う空間に現れたのは、水の中で舞う銀髪に、銀色の瞳。陶器より繊細そうな消えそうな肌。神と呼ぶにはふさわしい男がいた。シズは口を開けてしまい、水を飲んでしまうと慌てて口を押えた。銀の男は口をシズの耳元に寄せて囁いた。
「大丈夫だ。息もできるし、喋れるよ」
銀の男はそっと、シズの右手に触れると、口から離した。
「あっ」
シズの声が出た。息もできる。口を押える時、右手が自然に動かせた。肩が痛くなくなっている。シズは戸惑いながら、何回か声を出す。
「傷が……」
「俺の血が混じっている。傷口はふさげる。だが、大量にからだの血を使ったから気を付けろ」
どういうことか理解はできないが、傷口を塞いでくれたらしいとシズは理解した。そして、銀の瞳に心を揺さぶられながらも、シズは確認した。
「お前が、ダイアスか? 」
銀の男はシズの心を確かめるように、きらきらと輝く瞳でシズを捕まえる。
「俺のことを、何も覚えていないのか? 」
銀の輝きが増していく。これは涙なのだろうか。
「長い間待ったんだろうけど、私はあなたが愛した人ではない。同じ魂を持っているだろうが、身体も心も違うんだ」
なんて残酷だとシズは思った。シズはリチでもない。シズは神田静だ。そして、シズ・カンダになった。生まれ変わりだとしても、ダイアスが恋焦がれた女ではない。残酷だ。シズの感情では受け止められない程に、目の前の風景は残酷だった。ナイフを振り上げる。ダイアスの瞳の光が火花のように散り、水の泡になった。呆気にとられ、ナイフが消えた左手を眺めるしかなかった。
「そんなもので俺は死ねない」
「そんなの分かってたさ」
シズは笑うしかない。
「けど、あなたはもうここでは生きられない。また人間に巻き込まれる」
ダイアスは睫毛を伏せ、仰いだ。シズも水面を見上げた。浮遊できるのか不安になるほどに水面は分からず、気配さえも感じない。ダイアスはこんな冷たく狭い場所で、百年以上も眠っていたのだ。
「百年待っても、俺は地上で生きられないのか? 」
それはシズに尋ねているようにも聞こえたし、百年待っても叶わなかった希望の遠さにやりきれなさを感じてるようにも見えた。
「リチは死んで、生まれて、迎えにきてくれるはずだったんだ」
ダイアスはシズにまだ望みを残していた。ずっと待ったのだ、そう簡単に納得できないだろう。
「ごめん、ごめんなぁ」
水中で感じるはずのない涙を、シズは肌に感じた。これは憐れみだ。そして罪悪感だ。ダイアスはシズを引き寄せた。それはシズがリチではないのを確かめるような抱擁だった。
「泣かなくていい。あの愛し合った日が、最後の別れになるような気も、していた気がする」
ダイアスはリチをゆっくりと離した。そして無邪気に笑った。
「ちゃんと綺麗な男の人になれるようになったんだけどな。そっか。リチとはもう、会えなかったのか。悲しいな」
自分の知らない自分の中にリチがいるらしいけれどシズは、ダイアスの瞳の奥の奥にリチがいる気がした。
「俺のことをまだ、神というものだと信じている人間はいるのか?」
ダイアスの質問に、私は正直に頷いた。
「あなたを期待して待っている人がいる。けど、その人の期待には応えないで欲しい」
「また、戦争という奴か? 」
ダイアスはまるで冗談のような口調で言った。シズは頷くのが情けなかったから、俯いた。ダイアスはだいたいわかるよ、と笑った。彼なりにシズを慰めてくれているようだった。
「俺はただの生き物だよ。愛した人は人間だったけど、人間とは違う生き物だ。人間にとっては、永遠と想像してしまうほどに生きる。そのせいかもしれないけれど、人間より多く大きいことができるんだと思う。けど、何百年生きてもどうしようもできないことがあるんだ。それは人間も俺も一緒さ。助けてやれるなら助けてやりたい。もし、お前に願い事があり、お前の願い事が誠実なものならば叶えてやりたいよ。けどできないんだよ。俺は自分が神なのかどうか知らない。けど運命っていうのを思い通りにできるのが神なら、俺は違う。残念ながら」
この世界に神はいなかったわけではない。彼が神ではなかっただけだ。望む人の望むものではなかったということだ。望むものは望むかたちをしていないかもしれないが、きっとどこかに隠れていると信じればいいのかもしれない。
「ティーがいないなら、もうここにいる必要はない」
ダイアスの身体の周りに水の泡がボコボコとできる。それはやがてダイアスを包んだ。そしてその中から銀の龍が現れた。
「俺は生まれたところにでも戻ってみるよ」
「生まれたところ? 」
シズが尋ねる。
「空の彼方。暗闇の底の石ころみたいなところさ。その欠片(かけら)から俺は生まれた」
宇宙だろうかとシズは想像する。
「生きていけるか?」
シズは思わず口に出た。心配してしまったが、嫌味にしか聞こえない。すぐに後悔した。
「俺はどこでも生きていける。お前よりもずっと丈夫さ」
シズはそういうつもりではなかった。
「リチがいなくても生きていくしかない。愛しているからな」
シズの顔より大きいの瞳がまた輝く。
「もういないのに、愛しているのか? 」
「いなくても消えない。忘れるまで愛してる」
ダイアスは鼻の先で私を優しく突くと、鼻の上に私を乗せた。
「しっかりと掴まれ」
どこに、と思ったが、シズは鼻を抱きしめた。
「お前の名前はなんだ? 」
そんなことを聞いてくるとは思わず、驚いたが、すぐに答えた。
「シズといいます」
「シズか。ありがとう、シズ。私を起こしに来てくれて。おかげで目を覚ますことができた。待ちぼうけにならずにすんだよ」
なんて人だろう。たまらずシズは鼻を抱きしめる力を強めた。
「さあ、戻ろう」
そうダイアスが言うと、猛スピードで水面へと上昇し、瞬間というにも早すぎる間に、シズは元いた半地下に転がった。
「カンダ! 」
咳き込んでいると、セドニが静の元に駆け寄ってきた。ダイアスはシズとセドニ、そしてヨール王を一瞥した。
「もうこの星に戻ってくることはない。世話になった」
突風のようにダイアスは地上へのすき間へすり抜けていく。立ち上がり、後を追い、夜空を見上げる。銀の光を散らせながらダイアスは小さく小さくなって、儚くその姿は月光の中に溶けた。
記憶の恋人だけを連れて、宙を旅するのだろう。それを見送るのは悲しくあり、罪深く、彼の幸福を願う、祈りだった。
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