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平和編

カル・

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 アベンチュレ(シズが誘拐されて三日後の午後三時を過ぎた頃)
「こんにちは」
 カフェから出てきた、第一局長のアンブリにバライトは声をかけた。アンブリはわずかに驚いたが、帽子を軽く上げて挨拶をした。アンブリはベージュのロングコートをはおっており、制服は隠れていた。十一月の外は寒く、バライトもさすがに、アンブリに会うのもあり、ジャケットを着ていた。
「こんにちは。君は今日も甘いコーヒーを? 」
「いえ。あなたに伝えたいことがありまして。歩きながらお話してもよろしいでしょうか? 」
「……構わない」
 アンブリが歩きはじめると、その隣をバライトは歩いた。
「再来週はついに二局四連会議ですね。王様も挨拶なさるでしょうし、一局も忙しいのでは? 」
「もう慣れている。うちより二局の方が忙しいだろう。君の所は常に忙しそうだが? 」
「そうですね。けれど、次の二局四連会議は国民局が忙しくなると思います。そうならないと困るので」
 バライトの言葉の意図がわからず、アンブリは黙ったままバライトを見た。
「本当はうちもこっそりと終わらせたかったのですが、そうもいかなくなりましてね。情けない限りです」
「……蝋燭の話か? 」
「はい。実はインデッセのマッチがうちでも使われていましてね」
 マッチはスパイの隠語。ミトス・スイドのこととして使われていた。アンブリはアベンチュレにスパイが紛れ込んでいたことにさすがに戸惑ったが、歩くのをやめなかった。
「マッチはこっちのポケットの中にあります。けれど、まあ、色々ボヤをやられまして。今夜、御父上に伝えるそうです」
 ふたりは大橋の上を歩く。
「蝋燭に使っていたライターとマッチのことをか? 」
「それはわかりません。ボヤが大火事になるのを防ぐためです。ポケットにマッチを入れている事は話すでしょう。一応、一局長の耳に入れておこうと思いまして」
「……状況は? 」
「現状最悪。けれど運が良かったかもしれません」
 バライトは空を見上げる。
「今夜は三日月らしいですよ」
「それがどうしたんだい? 」
「運が良いという話です」
 バライトは端の柵に腕を置いて、河を眺めるカル・セドニを見つけた。
「ちょっと彼にも話があるのでここで」
「待て。勿体づけずに言いたまえ」
「今夜のうちにあなたの耳にも入るでしょう。外で言えるのはここまでです」
「待ちたまえ」
 アンブリは食い下がる。バライトは一言だけ教えた。
「満月です。今はそれだけでご容赦を。失礼します」
 バライトはセドニの方へ歩いて行く。アンブリは二人を通り過ぎながら、指折り数えて気が付いた。満月の日はちょうど、二局四連会議の日だった。


 セドニは橋の下を覗き込む。よくあいつはここから飛び込めたな、と初めてシズに会った日のことを思い出していた。あの日柵の上で背筋を伸ばし、胸を張って立っていたシズにセドニはやっかいさと同時に儚い美しさを感じていた。スパイに関わっているだろう上司と一緒にいた少女と同じ顔だがまったく違う人間。何も知らず、生意気で馬鹿。その辺の男達よりは随分強い。国にとっての厄介者として、シズを排除しようとすればできたはずだった。それでもセドニはそのうちに目の届くところに置いていて、強くて儚い女を守らなければと思うようになっていた。それを強く感じたのは、オードの川に飛び込んだシズを引き上げにいったときだ。セドニの顔を見上げ、セドニの名前を呼んだときだ。この子が消えないようにしたいと思った。できれば自分の前からも。
「黄昏中? それともサボり? 」
 セドニが川から顔を上げると、隣にバライトがいた。向こう側には後ろ姿だが、去って行くアンブリが見えた。
「ただ、考え事を」
「そう。カルカから聞いたか? 色々と」
 セドニは頷いた。
「簡単にですが。明日、うまく行けば会議を開くと」
「それは心配なく。開くのは開くさ。開いても、閉じれるかはわからないけどな」
 バライトは歯を見せて楽しそうに笑った。セドニは肝の座った男だと感心した。
「あと、俺が聞くのもなんだけど、セドニはこれからどうするの? 」
「これからとは? 」
「プライトの下でやっていくのか? 」
 プライトが悪かったにしても、セドニは上司を裏切ったのだ。セドニは答えを出してはいなかった。だから黙ったままでいた。
「まあ、今はそれどころじゃないか」
 バライトはすぐに話を終わらせ、セドニの肩を叩いた。
「ありがとう。世話かけた」
 セドニは驚きを隠せなかった。まさかバライトが礼を言ってくるとは思わなかった。
「こんな最悪な状況で礼を言われても」
 セドニは正直なことを言ってしまった。
「最悪だが、勝機はある。勝って言うのも変な話だけどな。明日から地獄の十二日間だ。今日のうちにしっかり黄昏て、サボり給え。あはははっ」
 バライトはなぜか高笑いをしながら去って行った。バライトに言われたからではないが、セドニは少し遠回りをしてから、国民局に戻った。
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