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過去編

スイド家の人々と、とりまく未来

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「ばあちゃん! モルダばあちゃん! 」
 タルク家のドアをだんだんとダイオが叩く。モルダがドアを開ける。
「イーリスだね」
「破水した! 早く来てくれ! 」
「あいよ」
 モルダは玄関に準備していたのか、三秒で外に出た。そしてダイオを置いてスイド家に走る。ダイオは周りを見渡す。
「どこで見てんだ、クソ! 」

「女の子だったら、うらがえす?」
 ターコイが呆然と呟いた。ベリルも驚く。スタウロは頷いた。玄関を挟んだ隣の部屋からイーリスの踏ん張る声とモルダの励ます声が聞こえる。アタカマとコーネスはソファに座り黙っていた。
「イーリスが決めた。イーリスをさらった奴らは普通じゃない。あいつらに連れて行かれるぐらいなら」
「けれど、うらがえした子は十八歳までしか生きられませんよ。一度引っくり返せば元にはほぼ戻せない」
 アタカマが言えばダイオがまた胸ぐらを掴み、ソファから立たせた。
「お前は元から引っくり返すために来たんじゃねぇのかよ! 今さらそんなこと言いやがって! 」
「やめろ、ダイオ。カーネスさんのせいじゃない」
 ダイオは舌打ちをしてカーネスから手を離した。
「お前が来てから今日がむちゃくちゃだよ! 」
「申し訳ない」
 素直に謝るアタカマも気に食わず、ダイオはまた舌打ちをした。それからスイド家の日々とは沈黙と共に祈った。産まれてくる子が男の子であるようにと。
 産声が聞こえた。
 スタウロがリビングを飛び出す。そして飛び入った。モルダが振り返る腕の中には赤子がいた。
「おめでとさん。めんこい女の子だ」
 イーリスの目尻から涙が流れ、顔が歪む。スタウロは唇を噛み締める。
「なんだね、女じゃだめなのかい? 」
 モルダが不機嫌そうにした。
「違うんだよ、モルダばあちゃん」
 ダイオが弁解しようとすると、「カーネスさん」とイーリスが呼んだ。目元は腕で覆っていた。
「うらがえしてください。私が心変わりしなうちに」
 アタカマはスタウロを見る。スタウロは頷いた。ターコイとベリルを振り返る。ターコイは目をつぶり俯いた。ベリルは泣くしか出来なかった。アタカマは赤子を抱くモルダに近寄る。
「誰だい? この男は? 」
 モルダがダイオに尋ねる。
「気に食わない男さ」
 ダイオは鼻を鳴らす。
「失礼」
 モルダの腕からアタカマは赤子を抱きすくう。
「ちょっとあんた、なんで父親でもないのに最初に抱いてるんだよ」
「赤子なので私が一度向こうに行かないと」
「どこに行くんだね? 」
「時間は止まりますので、あなた達はすぐ終わったように感じます」
「何の話だね」
「失礼しました。返します」
 アタカマはモルダの腕に赤子を返した。アタカマは部屋から出ていく。ダイオは赤子を見る。男の子になっていた。
「ありゃ、ついてるね」
 モルダが驚く。
「見間違ったのかい? あたし」
 誰も答えない。
「モルダさん、抱かしてください」
 イーリスが頼んだ。モルダは処置を終わらすと、イーリスの顔の傍に「うらがえした」イーリスの子ではない赤子を置いた。イーリスは涙がぽろぽろと止まらなかった。
「あなたは私の子よ」
 イーリスは優しく囁いた。
「産まれてきてくれてありがとう」
 ダイオは思わず部屋を飛び出す。そして、しゃがみ込んで泣いた。
「なんなんだよ。なんでなんだよ。意味わかんねぇよ。ただ生まれて、生きて、愛して生まれただけじゃねぇか。それの何が悪いんだよ。なにが悪いんだよ! 」
 そう震えて泣くダイオをコーネスはじっと眺めていた。右手にはメモを握らされていた。

【三日ほど、この家で過ごさせてやってください。そしてこっそり裏口から出してやってください。この子もきっとインデッセの人間に狙われるので。申し訳ない。 アタカマ・カーネス】


「うらがえしさんですね」
 フェミモル村を出て、フェナの中心地でアタカマは声をかけられた。振り向かない。相手は分かっている。
「ベリルの子をうらがえしてはないよ。男の子だったからね」
 嘘を吐いた。この嘘はあの子が死ぬまで見つからないだろうか、とアタカマは考えた。
「優しい夫婦です。我が子を殺す選択をしないでしょう」
 ただ優しいだけじゃない。強い夫婦だ。それをアタカマが口にすることはなかった。
「インデッセから連れ出した子はどうしました? 」
「離れたよ。私と一緒だったらあなた達に殺されてしまうかもしれませんからね」
「それはいい判断でしたね。けれどもう我らの宝を奪われる可能性はなくしたいので、安らかに眠ってください」
 背中にちくりとした痛みを感じた。アタカマは振り返る。そこには行き交う人々しかいなかった。息苦しくなり、心臓を押え壁つたいに路地裏に入ると膝から崩れ落ちた。
 毒針か。
 アタカマは笑みを零す。金のために幾人もひっくり返し、殺してきた。余命もまっとうできなくて当然だろう。コーネスを思い出す。六歳のあの子に生きる力になると「うらがえし」の話をした。あの子はどうするだろうか。「うらがえし」のこと教えずあのまま、アキノの所に置いておいた方が良かったかと、アベンチュレに向かう列車の中で思ったが、インデッセの人間は予想以上に「うらがえし」のことをしっていて、スイド家のことも知っている。だからきっとコーネスを連れ出してよかったのだと、アタカマは無責任にも思うことにした。
影でしぶとく生きろ、コーネス。
アタカマは瞼を閉じる。彼が死んだことを最初に知ったのは行き交う人々ではなく、離れたスイド家で左手から痣が消えたのに気が付いたコーネスだった。
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