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過去編
百年の恋、もしくは隠された希望
しおりを挟む次の夜、ルリはダイアスをランショに引き渡した。ダイアスは人間の形のままで、相変わらず顔は中途半端な人間のままであった。表情筋を滅多に崩さないランショでもさすがにダイアスの姿には驚きを隠せなかった。一種の恐怖もあった。この方が連れて行きやすいだろうと、ルリはダイアスに元の姿に戻らないように言った。
「皆の前では元の姿に戻るように言ってあります。人前に出すときは怪しまれぬように首に鎖でつなげてください」
ルリはきっぱりと言った。別れの覚悟はもう決まっていた。ランショは静かに重く頷いた。ルリはダイアスの顔を見上げると最後に抱き合った。そしてルリは吐息のように囁いた。
「百年後の満月の夜に」
ダイアスは満月の夜に目覚めた方が力の回復が早いのだとルリに教えていた。ダイアスは瞼を閉じると「ああ」と同じように返した。そして、離れた。ランショの部下達がダイアスを連れて行く。ルリは名残惜しく一歩を踏み出し手を伸ばした。ダイアスは安心させるような無垢な笑顔を見せた。いびつな顔で笑うダイアスを見て、ルリは切なさで胸が張り裂けそうだった。そしてやっと、微笑みを返した。ルリは気持ちを整えると、ランショに向き合う。
「ダイアスは死ぬと掌にのるぐらい小さくなるようです。それと、お願いがあります」
「何でしょう? 」
「ダイアスの亡骸はインデッセの鏡泉に沈めて欲しいのです。けれどこの頼みはオードが難色を示すでしょう。なので、オードにはアベンチュレが海に葬ったことにして、ダイアスの亡骸はラズ王女に託して欲しいのです。そして鏡泉をこの先、千年先も残すようにして欲しいのです。この人間な残酷な所業に巻き込まれた、ダイアスへの弔いとして……」
ランショは少し考えたが、首を縦に振った。
「できるかぎりそう致しましょう」
「ありがとう」
ふたりが落ち合う、水の場所。それは鏡泉しか思いつかなかった。インデッセの城の敷地内など、簡単には入れない。それでもルリが必ず分かる明確な場所、百年先も潰されずに残っている可能性がある場所として考えると、鏡泉一択だった。その一択はいちかばちかだった。百年先に再び出会おうとしているのだから、いちかばちかどころの話ではないなとルリはどこかおかしかった。
ランショはもう立ち去らなければならなかった。
「ルリ王妃、カルサ王になにか言伝があれば」
ランショの親切にルリは考えていたことを頼んだ。
「私の肖像画をすべて燃やしてください。私の姿が分かるものすべて、です。私はもう、王族には戻りません。ルリ王妃はあの大火で死にました。私の顔をできるだけ世間から忘れさせたい。この先に残るのも、困るので。あと、」
ルリは三つ付け加えた。
「食事はしっかりすること。毎日寝ること。からだには気を付けること。念を押しといてください」
ランショは思わず笑った。
「ええ。しかと承りました」
「お願いします」
「もう行かねばなりません。それではさようなら、ルリ王妃」
「さようなら」
それから数日後、神はアベンチュレの日海(ひかい)の海岸で見つかり、オード兵が大砲で数発打ち抜き、神を殺した。戦争は終わった。
オードはインデッセにラズとレイナを返した。そしてラズは女王となった。しかしオードに助けられた身であるがゆえにこの先、オードに強く出られないのは暗黙の了解だった。暗黙の契約と言った方がいいかもしれない。ペンタゴンもそれをひしひしと感じていた。
アベンチュレ王都マッカで、講和会議が開かれた。守る事で国と世界を守れる条約をつくる、そうしてできたのは四ヵ国条約というたった三か条しかないシンプルな条約だった。
神を創らない。戦機・武器・兵力を持たない。信頼を持ち合う。
ラズはインデッセがベグテクタに罪をなしりつけた形で戦争の共犯にしたことを公にしようとしたが、カルサが首を振った。
インデッセの本意がどうであれ、ベグテクタは共犯になることを拒むことをしなかった。その時点で同罪だ。そしてそれを今言えば、逆にベグテクタの印象がさらに悪くなる、と断った。ラズはジル達から託された思いを繋げる事ができず、罪悪感にしめつけられるが、ひっそりとこの事実どうにかして後世に残していこうと決めた。それを童話のようにしようとレイナが提案するのは、もう少し後のお話。
そしてもうひとつひっそりとラズはオマリから缶を受け取った。中身はダイアスの亡骸であった。ラズはそれをルリが望んだ通り、レイナが見守る中そっと鏡泉の底に沈めたのだった。
ルリがいる遊び人一行は、ベグテクタからアベンチュレに入っていた。ルリがダイアスと別れて三か月が経とうとしていた。ルリはつわりが酷く、歩くのもままならなかった。妊娠はグーマとチルルにすぐに分かってしまった。ルリに合わせて旅をしてくれていたが、戦後の混乱で遊び人が同じところに長期滞在するのは難しかった。そして、グーマがある日決断した。
「ヘマ、お前さんをこのまま無理をさせて歩かせることはできん。このままでは、子が流れる。わしらはどこの奴の子かは知らんが、あんたが意地でも産んでやるという必死さはもう伝わりきっておる。この辺りで腰を落ち着けなさい」
ルリはグーマの宣告に茫然としたが、拒めなかった。アンダが泣き喚いてルリと離れるのを嫌がったが、チルルが宥めた。
「遊び人と分かれば周りの目があるだろう。わしらがさったあと、隣のヘミモル村の方へ向かいなさい。小麦畑で有名なところで人手が足りんかったら誰かがお前さんの面倒をみてくれるかもしれん。家を失くした未亡人でも装いなさい。このルルで今夜お別れだ」
最後の食事をして、甘えてくるアンダと最後眠った。アンダが吐息をたてて眠った頃、テントの外から声をかけられた。
「夜にレディの寝床へすいません。エピドーです。最後に少しルリさんとお話したいことがあります。お時間ください」
ルリは特に変に思うことはなく外へ出た。話し声でアンダが起きないようにテントから少し離れたところに二人は座った。ルリがお腹を撫でる。静かな夜だった。
「すいません、身重なからだで」
「いいえ。それで、どうしたんです? 」
エピドーは視線をルリのお腹に落とす。
「本当に産むんですか? 神の子を」
ルリは耳を疑った。
「え? 」
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