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逃亡編
与えたいもの
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十月二十六日午前。アベンチュレ城・王子執務室。
「そうか」
アンドラ王子は受話器を耳に当て目を伏せた。その様子をアンドラの秘書であるクバン・パイロー第一副局長が不安を顔に出さずに見つめていた。
「バレてしまったものは仕方ない。バライト達と話ができる場を設けよう」
アンドラ王子は自然と微笑んだ。
「ああいう小回りのきく厄介者を味方にするのも悪くないからね。場所と日時はまた連絡する」
アンドラは受話器を置くとパイローを見た。
「パイロー。我々の悪事が九局に見つかってしまったよ」
「近いうちにこうなる事は分かっておりました」
「さすがだな」
楽しそうなアンドラにパイローは呆れたように眼鏡をかけ直した。
「王子も分かっておいででしたでしょう」
「考えはある。パイロー、善は急げだ。明日の夜、バライト達と会う。場所とスケジュール、ごまかしをうまくやってくれ」
「承知致しました」
正午過ぎに、シズはベッドから起き上がった。城人生活の頃にはありえない駄目人間な生活をシズはしている。服を着替え、歯を磨く。髪は手ぐしもする事もなく二〇二号室を出た。
「突風でも吹いたか? 」
診療所の前を通るとドクターがいた。私の頭を見ている。その時初めて指で髪を流すように梳かした。
「これから美容院行くんで整えなくていいかなって」
シズは変な嘘を吐いた。
「適当な嘘吐くな」
嘘だとすぐにバレた。
「これから休診で昼休みだ。昼飯食べて行きなさい。トムソンもいる」
「おっさんも?」
「畑仕事を終えた所だ」
ドクターの畑を手伝っているとか言っていたのをシズは思い出す。
「早く来い! 」
「あ、はい」
シズは足早に診療所の中に入った。
診療所の裏にあるドクターの家の台所に通されると、出てきたのは細かく切った肉と野菜を炒めた奴だった。味はシズの知っている野菜炒めではなかったが、美味だった。ドクターがヤカンからお茶を注ぐ。
「ほれ、お茶」
「すいません」
シズはお茶を受け取る。
「俺が作ったんだぜ」
トムソンが自慢げに言って自作の野菜炒めをかき込んだ。
「炒めただけじゃろーが」
ドクターは鼻で笑う。
「分かってねぇなドクターは、そういうシンプルな料理こそ味付けが命なんだよ」
「うまいっすよ」
シズが言った。
「だろう? それよりお前その頭どうした? 」
「そんなに酷いですか?朝鏡見てないんで」
「お洒落だと言い切ればそう見えないことも……」
「見えるか? 」
ドクターが顔を渋くする。トムソンは一秒黙って謝った。別にどうでもいいが。
「そういえばルー、昨日ばあちゃんのところ来てくれたんだってな」
「ああ、はい」
「ばあちゃん大人しそうに見えてよく喋るだろう」
「なんか、難しい話をいっぱいしてくれました。私馬鹿なんで分からない事もあったけど」
「どんな話をしたんじゃ? 」
ドクターに聞かれ、シズは昨日の話を思い返す。色んな言葉が出てきて何から言うか迷った。
「生きている事に理由も意味もないって」
「ばあさんが言いそうな事だな」
トムソンは笑った。
「自分が何であるかと思う時は自分が何であって欲しいかっていう強い願いもあるって」
「お前さんは自分が何であって欲しいんだ? 」
ドクターに問われた。食べる手を止める。
「おっさんは? 」
何も思いつけなかったからドクターの問いをトムソンに押し付けた。急に振られたトムソンはえっと声を上げた。そして唸った。
「俺は、そうだな。まともになりたい」
トムソンの答えは想像以上に真面目な答えだった。
「じゃあ医者に戻ればいい。医者って職業はその肩書だけでまともに思われる」
ドクターが言った。トムソンは笑う。
「けど俺も今は人の命に意味も理由もそんなに感じていない。それは医者として駄目だろう?ばあちゃん見てると思うんだよ。遊び人だと差別され、遊び人を嫌がった母親に俺のお守を押し付けられた。だからと言って愛がなかったなんて馬鹿な事は言わねぇ。一応医者だった。そこまで頭は悪くない。なんか、色々考えて、結局意味分からなくなってグレた」
トムソンは自嘲した。ドクターは
「命に意味なんかないさ。医者だからこそ、そう思う。けど救いたいとわしは思ってしまう。お前さんらだってそうだろう? 」
シズは眠るように死んでいったハートフィールドが脳裏に浮かんだ。彼の理不尽過ぎる死は意味がないものと考えるには虚し過ぎた。
「意味より前に事実がある。生きているという事実だ。人生は短いのに遥か遠く先まで見せられる。だから悲しさの意味や、怒りの意味、喜びの意味、優しさの意味、自分ではどうしようもできないものの意味や理由まで考えてしまうんだ。あるのは鼓動し呼吸しているという事実だ。それはどんな意味より固いものだ。それにトムソン。ハンニーの意味がない人生をかけてくれなきゃ、お前は生きてこられなかった」
ミトスが人生をかけて自分の命を繋いだ。私の命を繋いだ。
「人間にも命にも人生にも意味はないだろう。それなのに意味がない人間が意味のないものを大事にする。それは摩訶不思議なもんだ。その摩訶不思議なものを人は心と呼ぶ。心というのは自分や誰か何かを守るためにある。守る為に人は強くなり、また弱くなり、時に隠し、狂い、鬼になる。トムソン、お前は今弱くなっているだけさ」
自分も弱くなっているだけなのかと、シズは思う。
「けどばあちゃんは必要以上に我慢してつらい思いをしたんだよ」
「人の本当の思いなんて分かりゃしない」
ミトスの本当の思いは分からない。シズを産んだ親の思いも分からない。シズを産まれてすぐ違う世界にやった理由も分からない。知る由もない。
「与えたい物をお前に与えただけだ」
「そうか」
アンドラ王子は受話器を耳に当て目を伏せた。その様子をアンドラの秘書であるクバン・パイロー第一副局長が不安を顔に出さずに見つめていた。
「バレてしまったものは仕方ない。バライト達と話ができる場を設けよう」
アンドラ王子は自然と微笑んだ。
「ああいう小回りのきく厄介者を味方にするのも悪くないからね。場所と日時はまた連絡する」
アンドラは受話器を置くとパイローを見た。
「パイロー。我々の悪事が九局に見つかってしまったよ」
「近いうちにこうなる事は分かっておりました」
「さすがだな」
楽しそうなアンドラにパイローは呆れたように眼鏡をかけ直した。
「王子も分かっておいででしたでしょう」
「考えはある。パイロー、善は急げだ。明日の夜、バライト達と会う。場所とスケジュール、ごまかしをうまくやってくれ」
「承知致しました」
正午過ぎに、シズはベッドから起き上がった。城人生活の頃にはありえない駄目人間な生活をシズはしている。服を着替え、歯を磨く。髪は手ぐしもする事もなく二〇二号室を出た。
「突風でも吹いたか? 」
診療所の前を通るとドクターがいた。私の頭を見ている。その時初めて指で髪を流すように梳かした。
「これから美容院行くんで整えなくていいかなって」
シズは変な嘘を吐いた。
「適当な嘘吐くな」
嘘だとすぐにバレた。
「これから休診で昼休みだ。昼飯食べて行きなさい。トムソンもいる」
「おっさんも?」
「畑仕事を終えた所だ」
ドクターの畑を手伝っているとか言っていたのをシズは思い出す。
「早く来い! 」
「あ、はい」
シズは足早に診療所の中に入った。
診療所の裏にあるドクターの家の台所に通されると、出てきたのは細かく切った肉と野菜を炒めた奴だった。味はシズの知っている野菜炒めではなかったが、美味だった。ドクターがヤカンからお茶を注ぐ。
「ほれ、お茶」
「すいません」
シズはお茶を受け取る。
「俺が作ったんだぜ」
トムソンが自慢げに言って自作の野菜炒めをかき込んだ。
「炒めただけじゃろーが」
ドクターは鼻で笑う。
「分かってねぇなドクターは、そういうシンプルな料理こそ味付けが命なんだよ」
「うまいっすよ」
シズが言った。
「だろう? それよりお前その頭どうした? 」
「そんなに酷いですか?朝鏡見てないんで」
「お洒落だと言い切ればそう見えないことも……」
「見えるか? 」
ドクターが顔を渋くする。トムソンは一秒黙って謝った。別にどうでもいいが。
「そういえばルー、昨日ばあちゃんのところ来てくれたんだってな」
「ああ、はい」
「ばあちゃん大人しそうに見えてよく喋るだろう」
「なんか、難しい話をいっぱいしてくれました。私馬鹿なんで分からない事もあったけど」
「どんな話をしたんじゃ? 」
ドクターに聞かれ、シズは昨日の話を思い返す。色んな言葉が出てきて何から言うか迷った。
「生きている事に理由も意味もないって」
「ばあさんが言いそうな事だな」
トムソンは笑った。
「自分が何であるかと思う時は自分が何であって欲しいかっていう強い願いもあるって」
「お前さんは自分が何であって欲しいんだ? 」
ドクターに問われた。食べる手を止める。
「おっさんは? 」
何も思いつけなかったからドクターの問いをトムソンに押し付けた。急に振られたトムソンはえっと声を上げた。そして唸った。
「俺は、そうだな。まともになりたい」
トムソンの答えは想像以上に真面目な答えだった。
「じゃあ医者に戻ればいい。医者って職業はその肩書だけでまともに思われる」
ドクターが言った。トムソンは笑う。
「けど俺も今は人の命に意味も理由もそんなに感じていない。それは医者として駄目だろう?ばあちゃん見てると思うんだよ。遊び人だと差別され、遊び人を嫌がった母親に俺のお守を押し付けられた。だからと言って愛がなかったなんて馬鹿な事は言わねぇ。一応医者だった。そこまで頭は悪くない。なんか、色々考えて、結局意味分からなくなってグレた」
トムソンは自嘲した。ドクターは
「命に意味なんかないさ。医者だからこそ、そう思う。けど救いたいとわしは思ってしまう。お前さんらだってそうだろう? 」
シズは眠るように死んでいったハートフィールドが脳裏に浮かんだ。彼の理不尽過ぎる死は意味がないものと考えるには虚し過ぎた。
「意味より前に事実がある。生きているという事実だ。人生は短いのに遥か遠く先まで見せられる。だから悲しさの意味や、怒りの意味、喜びの意味、優しさの意味、自分ではどうしようもできないものの意味や理由まで考えてしまうんだ。あるのは鼓動し呼吸しているという事実だ。それはどんな意味より固いものだ。それにトムソン。ハンニーの意味がない人生をかけてくれなきゃ、お前は生きてこられなかった」
ミトスが人生をかけて自分の命を繋いだ。私の命を繋いだ。
「人間にも命にも人生にも意味はないだろう。それなのに意味がない人間が意味のないものを大事にする。それは摩訶不思議なもんだ。その摩訶不思議なものを人は心と呼ぶ。心というのは自分や誰か何かを守るためにある。守る為に人は強くなり、また弱くなり、時に隠し、狂い、鬼になる。トムソン、お前は今弱くなっているだけさ」
自分も弱くなっているだけなのかと、シズは思う。
「けどばあちゃんは必要以上に我慢してつらい思いをしたんだよ」
「人の本当の思いなんて分かりゃしない」
ミトスの本当の思いは分からない。シズを産んだ親の思いも分からない。シズを産まれてすぐ違う世界にやった理由も分からない。知る由もない。
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