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逃亡編

本当のおとぎ話

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「そうだ。最近私は歴史の勉強を始めてな」
「真面目に勉強されているんですね」
「私は常に真面目だぞ! 」
 王子は今絶賛逃亡中。
「ルリ姫を知っているか? 」
 ルリ姫。十二年戦争の授業で出てきたことをシズは覚えていた。
「学生の時授業で。ベグテクタからインデッセに嫁いだお姫様ですよね。それで神様を初めて見つけた人」
「そうだ。そのルリという名前はインデッセに嫁いでからの名前だ」
 王族の姫は結婚すると名前が変わる。
「ルリ姫の結婚する前の名前が、リチ?」
 サファ王子は頷いた。
「リチ姫が見つけた銀の妖精は、」
 シズの言葉に、サファ王子は頷く。
「きっと神の事だ」
 おとぎ話の王子がやっつけたい国がオード。妖精の悪い魔法が、神が火の海にした事と置き換える事ができる。
「けれど授業ではインデッセはベグテクタに急かされ、重たい腰を上げてオードに神を送ったと習いました。そのおとぎ話ではインデッセの独断って事になりますよね」
「大人はすぐに事実を書き換える。教科書が嘘でも不思議じゃない」
 王子はベッドから壁に掛けられた鏡を見た。さっきシズが名前を書いて磨いた鏡だ。
「ありのままを写す鏡なんてない。前に父が教えてくれた。どんなに目を凝らしても間近で鏡を見ても人はできるだけ己の顔の良い部分、悪い部分、どちらかに偏って見るそうだ。偏れば抜け落ちる。いくら忠実に歴史を語り継いでも、抜け落ちる事はある。五分前に聞いた言いつけさえ私は忘れてしまうしな。百年前の事なんかきっと半分くらい抜け落ちているに決まっている」
 十歳にしては達観し過ぎた言葉だった。
「では、そのおとぎ話は真実の歴史だと? 」
「教えてくださったのがインデッセの王の叔母だからな。インデッセにとってはこちらが真実だと思っているのかもしれん。だから私はルリ姫について調べる事にした。歴史の先生私が勉強熱心になったと喜んだ。アペーテは怪しんだがな。失礼な男だ」
 サファ王子は腕を組んで頬を膨らます。
「それで? 」
「まずルリ姫の顔が知りたかった。うちには先祖代々王族の肖像画がある。けれどルリ姫のものはないそうだ」
「百年前ですもんね……」
「百年前の王の肖像画が保管されている。ルリ姫の絵は当時のルリ姫の弟君が燃やしたそうだ。色々言われているが理由が分からん」
 ルリ姫の弟と言えば、戦争を終わらした百年前のベグテクタの王。おとぎ話が事実の歴史だとすればオードの大火はルリの責任があると思われているのかもしれない。教科書ではベグテクタのせいになっているが。恨みで燃やしたのか、とシズは考えた。
「そして私は歴史の教師を唆して、王族の歴史をまとめた普段見る事ができない本を図書館で見させて貰ったのだ」
 十歳児に唆したとか言われた歴史教師をシズは憐れんだ。逃亡王子が教えろとせがんでさぞ嬉しかったのだろう。
「そしたらルリ姫が嫁ぐ前、リチ姫だった頃の集合写真が出てきた。女ばかりのお茶会だった。どうやら王族が集まった時のだ。誰が誰だかは分からん。説明もなかった。けれどその中に」
 サファ王子はシズの顔をじっと見た。
「どうしたんです? 」
「いたんだ」
「なにがです」
「お前にそっくりなドレスを着た女が」
 シズは目を見開いた。同じ顔。コイン?いや百年前だ。しかも女、全く関係ないよシズは自分の考えを否定した。
「その女が誰かは分からん。けれどベグテクタの王族だという事は確かだ。だからカンダ、お前はもしかしたらベグテクタの王族の血を継いているのではないか」
「そんな馬鹿な」
 ベグテクタの王族の血筋が、ヘミモル村のような田舎にいるのは、シズには考えにくかった。
「教科書ではルリ姫はオードの神の大火で死んでいる。おとぎ話ではどこに行ったか分からない事になっている。だからお前のそっくりがルリ姫だとすれば……」
「それは飛躍し過ぎですよ、王子」
「けどそう考えたら楽しくないか? 」
 王子の目はキラキラしている。シズは楽しくない。
「楽しいかもしれませんが、それを他の誰かに喋らない方がいいですよ」
「じゃあ二人だけの秘密だな」
 サファ王子は楽しそうに笑った。すると廊下でサファ王子が呼ぶ声が聞こえた。
「そろそろタイムオーバーみたいですよ」
「ちぇっ」
 サファ王子はベッドから飛び降りた。
「それと王子今日私と会った事は秘密ですよ」
「分かっている。お前との秘密は沢山だ」
 素直に喜ぶ笑顔が可愛い。シズは膝を付いた。
「王子。私はもう城人には戻れないので、あなたと会うのはこれが最後でしょう」
 サファ王子は笑顔を引っ込めた。そして、シズを見つめる。
「異世界から来た事、アベンチュレの城人に話しましたが王子のように信じてはくれませんでした。だからあなたに信じて貰えて今も嬉しいです」
「そんなつまらぬ事で礼をいうな」
 照れくさそうにサファ王子はシズから目をそらした。
「最後に抱きしめていいですか? 」
「え? 」
 シズは王子の返事を待たずに抱きしめた。すぐに離れると王子の顔は真っ赤だった。
「失礼しました」
「か、かまわん! 」
 照れを隠してサファ王子は強がった。達観していても、シズには可愛い子どもだ。
「お前が」
 サファ王子が照れた顔をそらしたまま言った。
「王族なら私の奥さんにしてもよかったな」
「それは残念」
「うむ」
 シズは立ち上がるとドアを開けた。王子を捜しにきた人の姿は見えなかったが、声は聞こえた。
「王子、今のうちに」
 サファ王子は廊下へ出る。そして振り返った。
「カンダ」
「はい」
「この世界はお前にとって悪い世界か? 」
 突然の質問に、シズはなんて答えればいいか咄嗟に判断できなかった。
「ここはお前が望んだ帰りたい世界ではないが、楽しい事もきっとある」
 城の生活に縛られた王子が言うせいか言葉に強さがあった。
「だから、元気でな」
 サファ王子は走る。
「誰か! 誰かおらんのか! ここがどこだか分からん! 」
 サファ王子が人を呼ぶ。シズはドアを閉めた。王子を見つけた城人の声が聞こえた。今日はサファ王子にとって楽しい日だったのだろうか。そうだといい。シズも楽しかった。けれど望んだ世界でない事には変わりがないのだ。望んでいるものがなにかさえもう、シズは分かる気さえしないのだ。
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