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城人編

カザンの休暇(やむをえない正当)

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「そんな絶望的な顔するなって」
 不安が顔に出ていたのか、アポギは安心しろと笑った。
「明日の夜、チャロの宿に泊まるはずだ。それを逃すともう会えないかもしれない」
 チャロ。ペタの隣街。列車に乗ればすぐに行ける。
「どこの宿ですか? 」
「そこまで教えられない。俺がサルファーに速達出すからよ。今からだせば、チャロに明日の朝には着く。スフェンの弟がお前に会いたいって言ってるって。お前チャロでどっかの宿予約しろ。そこに行くように書くから」
「あ、お願いします」
 カザンは頭を下げた。
「へい、おまち。フーメンです」
 カザンの前にフーメンが置かれる。
「……ここ奢ります」
「マジで? もうけ」


 カザンはアポギと店を出ると、郵便屋に行った。そこでカザンに手紙を書いて貰うと速達で出した。
「いろいろお世話になりました」
 カザンはお礼を言った。
「いいよ。俺もなんか嬉しい。あいつのこと気にしてる奴が俺以外にもいるんだなって思うと安心した」
 アポギは屈託のない笑顔を見せた。そして、すこし不安そうな顔した。
「あいつと会うとさ、時々怖いことがあるんだよ」
「怖い? 」
 アポギはああ、と頷いた。
「遠くを怖い目つきで睨んでいることがある。それに、」
 アポギは言い淀む。
「それに?」
 カザンは続きを促した。
「一回聞いたんだ。殺したい奴がいるって。そのために俺は生きてるって」
 カザンは目を見開いた。
「死んだ全員の敵がとりたいって」
 死んだ全員。それはすぐに九十七期生の悲劇に繋がった。
「心当たりあるか? 」
「……いいえ」
 アルガー。口とは裏腹にカザンはその名前が脳裏によぎった。全ての原因はやはりアルガー塾にある。
「もしあいつがお前と会ってくれたらさ、とびっきり喜んでやって。そしたら絶対あいつ嬉しがると思うから」
「上手に喜べる気はしませんが」
「だははっ! 確かにお前可愛い顔してるわりに堅物そうだもんな」
 カザンはむっとしたが、その顔を見てまたアポギは笑った。そして急ぐからと郵便屋の前で別れた。カザンはアポギの背中が小さくなるまで見送ると踵を返し、絵描きのところへ戻った。
「お、もう取りにこないかと思ったぞ」
「自分の顔が他人のところにあるなんて心配ですから」
 カザンは自分が四局であることをアポギには秘密にするように絵描きにお願いした。オレンジ頭の用心棒を捕まえるために騙したんじゃないという言い訳も付けた。
「ほうけ。まあ覚えてたらな」
 絵描きの返事は頼りなかった。けれどまあ仕方ないとカザンは諦めた。
「じゃあ僕はこれで」
「カザンさん! 」
 カザンが振り向いたと同時に足元に衝撃を感じた。見下ろせばシリマがいた。カザンは周りを見る。するとウェルネルが立っていた。ウェルネル数秒置いてカザンだということに気が付き、口を開けた。そしてお辞儀をした。それにカザンも返す。
「坊や、こっちにおいで。サービスで何か絵を描いてやろう」
「ほんと? じゃあ犬! 犬がいい! 」
 絵描きに呼ばれシリマはカザンから離れると木箱に座った。
「私服なので最初分かりませんでした」
 ウェルネルが微笑む。カザンはそうですよね、とぎこちなく返す。
「あれから……」
 カザンは言葉を濁す。大丈夫ですか?どうですか?どの言葉をかけてもウェルネルには残酷な言葉な気がした。
「なんとかって感じです。技術面の不正ではなかったので鉄道会社も他の会社も契約を続けてくれています」
「そうですか」
「以前より従業員も団結しています。皆で頑張ろう、今を乗り切ろうって」
 カザンは誇らしげなウェルネルの横顔を眺めた。
「あれの事は誰にも話していません。安心してください」
 あれとは銃の部品を製造していたことだ。やはりそこを避けて会話をするのは不自然だった。
「すいません」
「あなたが悪い訳ではありません。あなた達は正しい仕事をしただけです。謝らないでください」
 カザンは無言の返事を返すしかなかった。
「けど、時々考えます。いったい誰が悪かったんだろうって」
「誰って」
 カザンは言葉を濁す。
「そりゃあヨンキョクさんからすれば社長とロドさんがって思うでしょう。確かに二人はいけない許されないものに手を出した。けどそれをさせた奥の奥を考えるんです。始まりはなんだったのかって。人を悪にさせる根源はなんだろうって」
「……正当らしいですよ」
 カザンが呟いた。
「正当? 」
 ウェルネルが聞き返す。
「本に書いてあったことです。真っ当を主張して受け入れられない。そこでやむをえないからと正当を通すために少し真っ当ではない力を使う。その、やむをえない正当の誘惑から抜け出せなくなり加速すると人は暴走するそうです。そして向こうが悪でこっちが正だったはずなのにいつのまにか逆になってしまうことがあるそうです」
「そうか。ならあの二人はやむをえない正当に溺れたんだね」
「かもしれません。すいません、僕みたいなガキが生意気に話してしまって」
「ううん。じゃあその、やむをえない正当の誘惑に負けないようにするにはどうしたらいいのかな」
「人を保つ事だそうです」
「人を保つ? 」
「どんなに理不尽でも許せなくても心が折れそうでも、人である限り人であることを誇りに思わなければならない。人の心を持っていなくてはならない、という事だそうです」
「理不尽でも、許せなくても……」
 ウェルネルの頬を涙が伝う。ウェルネルは慌ててそれを拭くと手で目元を押さえた。
「俺、今回のこと理不尽だって思いました」
「はい」
「今も自分があれを作っていた感触を思い出してどうしようもない苛立ちに襲われます」
「はい」
「社長とロドさんを死ぬほど恨みそうになります」
「はい」
「それでも、それでも、ヨンキョクさんから見て俺はまだ人の心を保ってますか? 」
 赤く腫れた目でウェルネルはカザンに尋ねた。カザンはシリマを見つめた。
「保っています。強く優しい人の心を。あなたは立派な父親に僕には見えます」
 ウェルネルは袖で涙を拭うと笑う我が子を見守った。
「もう一人の城人さんに謝っといてください。あの日八つ当たりであの人の手を払ってしまった」
「気にしないでいいです。あの人馬鹿なんでもう忘れてますよ」
「ヨンキョクさん、酷いね」
 ウェルネルの笑顔は我が子とよく似ていた。

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