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城人編

非常階段

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「サルファー、スフェンが帰って来たわよ! 」
 母親の声にサルファーは読んでいた本を閉じると二階の部屋を出て一階へと駆け下りた。そこには、母と祖母に囲まれた兄のスフェンがいた。スフェンは弟に気が付くと優しい兄の顔をした。
「サルファー! お前もしかして背伸びたか? 」
「少しね」
 照れたように言えばスフェンはサルファーに手招きをした。サルファーは嬉しそうに近づけばスフェンはサルファーの頭を両手でくしゃくしゃに撫ぜた。
「寂しかったか? 」
「そんなことないよ」
「あら、サルファーお兄ちゃんが早く帰って来ないかなっていつも言っていたじゃない」
「お母さん! 」
 サルファーが恥ずかしさに怒れば家族は大笑いした。
「俺はサルファーに沢山話したいことある。兄ちゃんの話聞いてくれるか? 」
「……いいよ」
「ありがとな」
 スフェンはお土産があるとトランクを開けた。スフェンの背中にサルファーは兄の友人の事を聞いた。
「ルバも孤児院に帰って来ているの? 」
 スフェンは手を止めた。そしてゆっくりと振り返る。その兄の顔には先ほどまでの優しさが消えていた。冷えた、ぞっとする表情だった。
「帰って来ているかもな。けどサルファー。もうあいつとは会ってはいけないよ」
「え、ど、どうして」
「あいつは悪い奴だ」
 悪い奴。兄が親友のことをそんな風に言うことがサルファーは信じられなかった。
「あいつはアルガー先生に反抗して学校を辞めたんだ」
「ルバ君が学校を辞めたの? 」
 母親も驚き口に手を当てた。
「そうだよ。あいつは先生に反発したんだ。アルガー先生はとても素晴らしい先生なのに」
 兄の口からルバの名前が出なかった。あいつとしか言わないスフェンにサルファーは今まで感じた事のない不安と恐怖を感じた。
「所詮、親がいない子だからね。仕方ないさ」
 今までルバが良い子だと言っていた祖母の言葉にサルファーは言葉を失った。
「まあ、そうよね」
 母親も同意する。サルファーは縋る気持ちでスフェンを見上げる。スフェンはサルファーの頭に優しく手を置いた。
「孤児院育ちが全員そうとは限らないよ。おばあちゃん、母さん。けどもう会わない方がいいんだよ、サルファー。お前の為にも。兄さんと約束だ」
 見下ろすスフェンの瞳を見て、オレンジの髪を太陽で輝かせ笑うルバの顔がサルファーの頭の中に蘇る。ルバは優しく、面白く、頼りになる兄のようなものだった。そのルバを兄の一言で邪険にする家族。サルファーは言い返さなければならないとスフェンの顔を見上げた。けれど兄の壊れない笑みに自分がルバを庇うことを許されないような気がした。サルファーは抵抗を込めてゆっくりと頷いた。


 カルセドニー工場の事件から十日経った。カルセドニーとロドを逮捕した日の夜、取引が行われるという場所に四局が行ったけれど、取引相手は来なかった。カルセドニー達が四局に捕まったことが漏れたみたいだな、とハクエン局長が言った。結局、取引相手が誰だったのかは不明なままだ。この一件をハクエン局長は、一局長、二局長、八局長に報告した。そして王に意向を確認した。局長達の助言もあり、押収した銃の部品は取引相手を捕まえるまで証拠として、地下倉庫に厳重に保管して置くことに決まった。事件も世間的にはカルセドニー社長が借金のためにありもしないプロジェクトをでっちあげ、国から補助金を騙し取ろうとしたという、無理なものになった。新しい社長が就任したそうだがこれからあの工場が、ウェルネルがどうなるかシズは分からない。
「あ、そうそう。君達、長期休暇いつ取る? 」
 カラミンが椅子をくるりと回転させると藪から棒に言った。
「長期休暇なんて取れるんですか? 」
 シズが聞き返す。
「いくら四局員だって年から年中働けるわけないでしょ?本当にカンダはアンポンタンだねぇ」
「てめぇが説明不足なんだよ」
 オドーがカラミンを椅子事蹴り飛ばすと、カラミンは叫びながら滑っていく。
「見回りとか門番があるから、他の局みたいに一度に全員休むって訳にはいかないからな。好きな月に一週間休暇が貰えるんだ」
 オドーがシズとカザンに説明してくれている間に、カラミンは椅子を引きずりながら戻って来た。
「俺は十二月がいいからそれ以外にしてくれない? 」
「お前たまには後輩から選ばせてやれよ」
 オドーが呆れたようにカラミンを睨んだがどこ吹く風だった。
「では、僕は来月でいいです」
カザンが素っ気なく希望を言った。
「カザンが九月ね。カンダはどうする? 」
 別にいつでもいいとシズは思った。
「じゃあ十月で」
「そんな適当に決めていいのか? 少し考えてもいいんだぞ」
 カラミンとは反対のいい先輩オドーは心配してくれた。教育係がオドーのアシス達が、シズは羨ましい。
「私はいつでもいいんで」
「僕もいつでも結構なので」
 シズはカザンの横顔をちらりと見る。これと言って大きなものではないが、カザンの様子がちょっと前と比べて変な気がした。見回りや門番をしていても時々上の空のようなことがある。
「そろそろ見回りの時間じゃない? 」
 カラミンが壁の時計を見て言った。カザンが立ち上がってエンジジャケットをはおり歩いていく。シズはアシスを振り向いた。
「なあ、最近カザンちょっと変じゃないか?」
「そう?よく分からないけど、失恋したんじゃない?」
「それはなくないか? リョークじゃあるまいし」
「おい、聞こえてんぞ! カンダ! 」
 アシスの向こうにいたリョークが怒る。それから逃げるように、シズはエンジジャケットを掴むとカザンの後を追った。



 国民局の四階非常階段。カラミンは腕時計を眺めていると背後で扉が開く音がした。
「お、先客がいた」
 カラミンとオドーの同期、二局のシナバ・タンサだった。タンサは煙草を咥えるとカラミンの横に来た。カラミンの視界にタンサの赤毛がちらついた。
「サボり魔め」
「ただの休憩ですー。それにお前に言われたくない」
「喫煙者は休憩が沢山必要なんだよ」
 タンサは煙草に火を付けた。口から離すと煙を天に吐き出した。
「カルセドニー工場の件、聞いたぞ」
「さすが二局のエース。お前の耳にまで入るとはね」
 カルセドニー工場の事件の真相は城人でもごく一部しか知らない。ウェルネルにも他言しないようにと口止めをした。ウェルネルはとても仕事仲間達に言えやしないと、苦しげに言った。その顔をカラミンは思い出した。
「カルセドニーの取引相手、手がかりないのか? 」
「ぜーんぜん。仲介をしたユオ。オーピメンとかいう男の身元も不明。多分偽名だろうけど」
「だろうな。でも、相手国内だといいな。他国の奴だったら国際問題になって大ごとになるぞ。うちの国は利用されたことになるぜ」
「国内だったらもみ消せる。あの保管された銃の部品と一緒にね」
 タンサはカラミンの瞳に狂気を感じた。カラミンという男は適当でへらへらしている表面の裏に、冷たく残酷な心を持っているようだった。そんな事本人に言う訳ではなく、タンサは煙草を咥えた。
「まあ、四局であるカラミンさんがしっかり調べますよー」
 カラミンは再び時間の狂った腕時計を眺めた。
「……まだトイサキレウさんのことこそこそ調べてるのか? 」
 カラミンはヘラついた笑みをタンサに向けた。タンサは眉間に皺を寄せるとカラミンの顔に煙を吹きかけた。カラミンは咳き込む。
「何するんだよ」
「あんまり危ない事やっていると九局が叩きにくるぞ。ばれないようにな」
「はーい」

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