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レイナに医者を呼んでいる間に、バライトがミトスを家まで送ることになった。
「ミトス」
客室を出ると、サルファーがいた。
「アンタ、帰ったんじゃなかったのか」
「気になったからね、待っていた。あと、これ」
サルファーがトートバッグをミトスに渡す。受け取ったミトスはブドウの木と白ネコの刺しゅうを指先で撫でる。
「ちょっと汚れていたけど、拭いたら取れたよ」
「ありがとうございます」
中身も揃っていた。
「この子、家に帰すんですか」
「ああ」
「じゃあ、僕も。カフェの夫婦に挨拶をしておきたい。ミトスがいなくなった時に、会ったから」
サルファーが言った。
「沢山、ご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」
深々とミトスが謝った。
「いいよ。元気そうでなにより」
なんてことないようにサルファーが返し、ミトスは遠慮気味に頷いた。
車はホテルの裏に止めていた。ミトスとサルファーは後部座席に乗り込む。バライトはすぐにエンジンをかけなかった。
「ミトスさん、あなたひとり暮らしですよね。誰か一緒に住める人はいませんか」
バライトが尋ねる。ミトスは困った顔をする。
「いません。仕事もありますし」
うーん、とバライトが唸り、指先でハンドルを叩く。
「ジェーダさんの話を私も気にしていない訳ではない。ヨールはアンタを迎えに来ると言ったのでしょう。警察でアンタを保護するべきなのかもしれないが、それはできない。アンタを保護する根拠が、弱い。組織の人間を動かすのは難しい」
「いい訳ですか?」
サルファーは軽い口調で嫌味を言った。バライトは吐息まじりに笑う。
「私はヨールがペリドと似ていると思ったことはありません」
ミトスがきっぱり言った。バライトは少し驚き、聞き返した。
「では、ジェーダさんの言ったことは杞憂だと?」
ミトスは首を横に振った。
「彼がオーピメンを殺したのは事実です。ヨールに私が助けられたのも事実です。けれど、殺す必要はなかった。そういう状況だったと思います」
「アンタは、ずっと冷静だね」
バライトはずっと思っていたことを口にした。
「私もそう思います」
ミトスは同意した。自分の中のもう一人が、心を支えている。
「ヨールが私の存在に、心を乱す理由が分かりません。嫌悪か、血縁による劣等感なのか、自暴自棄になっているのか」
恋の話ですよ。サルファーの頭にヨールの嬉しそうな声が蘇る。
「しばらく、遠くに行くのはどうだい? 僕が付き合うよ」
サルファーは考えるより先に提案していた。ミトスは、隣のサルファーを見る。
「今回のことは僕も責任を感じている。知らなかったとはいえ、オーピメンにミトスの存在を知らせたきっかけを作ったのは僕だ」
「え、でも」
渋るミトスにサルファーはかぶせる。
「どっちにしろ、アトリエが元に戻るまで休む予定になっているから」
サルファーは今、予定を決めた。あとでプライトが怒る。
「ここから遠くて、いい場所がある。アンタにも場所を伝えておくから、ヨールの居場所が分かったらすぐに連絡をくれ」
サルファーは運転席の方に身を乗り出し、バライトに念を押した。ふたりは目を合わす。バライトは頷いた。
「ああ。分かった」
バライトはエンジンをかける。ミトスの保護については、バライトは最初からサルファーを当てにしていた。金持ちだから、別荘のひとつぐらい持っているだろうという、都合のいい当てだった。
「待って、私はまだ決めてない」
ミトスがまとまりかけた話を引き戻そうと、焦る。
「手芸店の店主には、今回のことうまいこと言ってあるから。ラリマさんだっけ? そうだ、寄って顔を出そう。バライトさん、アンタが上手いこと説明してよ」
「はいはい」
車はもう、走り出してしまった。
三日後の夜。ペタの中央駅のホームにサルファーとプライトはいた。ホームには北の港町であるセレス行きの寝台列車が止まっている。
サルファーのアトリエに泥棒が入ったことは二日前にニュースになった。アトリエがめちゃくちゃになったこと、それによる精神的苦痛を理由に、サルファーは三か月分の仕事をキャンセルした。プライトは怒ったがすぐに「十年、働き通しだったからここいらで長い休みを取るのも悪くない、先方も状況を理解してくれて、スケジュールを先延ばしにしてくれたしな」という、寛容な態度だった。サルファーは驚いた。
「余裕を持って、三か月にしただけだからな。早く戻れるなら、早く帰って来い」
プライトの願望だった。
「警察とヨール次第さ」
サルファーはそう言いながら、少し離れた場所で待っているミトスを見やる。プライトは一歩、サルファーに寄って声を潜める。
「これは殺人事件だ。あんまり深入りするなよ」
プライトは忠告と心配をする。サルファーは微笑む。
「責任を果たすだけだよ」
サルファーはプライトの肩を叩く。見送りはプライトだけだった。サルファーとミトスは列車に乗る。
「ミトスと僕の部屋は離れている。何かあったらこの番号の部屋に」
サルファーはチケットを見せる。ミトスはすぐに覚えたが、あとでメモをしようと考える。
「朝、一緒に食堂車へ行こう。迎えに行くよ」
「はい」
ミトスはずっとやるせない気分だった。
「旅行だと思いなよ」
サルファーは励ます。それでもミトスは困った笑みを浮かべるだけだった。
「僕とじゃ不安かい?」
サルファーが冗談交じりに言った。
「違う。やっと、ひとりで生活できると思ったのになっていう、残念感。サルファーさんにこんなこと言うのはよくないね」
ラリマと相談して、手芸店は一旦辞めることになった。ラリマは戻って来たら、絶対顔を見せにおいでとミトスに約束させた。
「僕だってひとりで生活できないよ。プライトがいないと。みんなそうだよ。それにこれは君のせいじゃない。君は被害者だ。怒っていい。ずっと怒っていい」
サルファーが言った。ミトスは静かに礼を言った。列車はどんどん夜を走る。
「ミトス」
客室を出ると、サルファーがいた。
「アンタ、帰ったんじゃなかったのか」
「気になったからね、待っていた。あと、これ」
サルファーがトートバッグをミトスに渡す。受け取ったミトスはブドウの木と白ネコの刺しゅうを指先で撫でる。
「ちょっと汚れていたけど、拭いたら取れたよ」
「ありがとうございます」
中身も揃っていた。
「この子、家に帰すんですか」
「ああ」
「じゃあ、僕も。カフェの夫婦に挨拶をしておきたい。ミトスがいなくなった時に、会ったから」
サルファーが言った。
「沢山、ご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」
深々とミトスが謝った。
「いいよ。元気そうでなにより」
なんてことないようにサルファーが返し、ミトスは遠慮気味に頷いた。
車はホテルの裏に止めていた。ミトスとサルファーは後部座席に乗り込む。バライトはすぐにエンジンをかけなかった。
「ミトスさん、あなたひとり暮らしですよね。誰か一緒に住める人はいませんか」
バライトが尋ねる。ミトスは困った顔をする。
「いません。仕事もありますし」
うーん、とバライトが唸り、指先でハンドルを叩く。
「ジェーダさんの話を私も気にしていない訳ではない。ヨールはアンタを迎えに来ると言ったのでしょう。警察でアンタを保護するべきなのかもしれないが、それはできない。アンタを保護する根拠が、弱い。組織の人間を動かすのは難しい」
「いい訳ですか?」
サルファーは軽い口調で嫌味を言った。バライトは吐息まじりに笑う。
「私はヨールがペリドと似ていると思ったことはありません」
ミトスがきっぱり言った。バライトは少し驚き、聞き返した。
「では、ジェーダさんの言ったことは杞憂だと?」
ミトスは首を横に振った。
「彼がオーピメンを殺したのは事実です。ヨールに私が助けられたのも事実です。けれど、殺す必要はなかった。そういう状況だったと思います」
「アンタは、ずっと冷静だね」
バライトはずっと思っていたことを口にした。
「私もそう思います」
ミトスは同意した。自分の中のもう一人が、心を支えている。
「ヨールが私の存在に、心を乱す理由が分かりません。嫌悪か、血縁による劣等感なのか、自暴自棄になっているのか」
恋の話ですよ。サルファーの頭にヨールの嬉しそうな声が蘇る。
「しばらく、遠くに行くのはどうだい? 僕が付き合うよ」
サルファーは考えるより先に提案していた。ミトスは、隣のサルファーを見る。
「今回のことは僕も責任を感じている。知らなかったとはいえ、オーピメンにミトスの存在を知らせたきっかけを作ったのは僕だ」
「え、でも」
渋るミトスにサルファーはかぶせる。
「どっちにしろ、アトリエが元に戻るまで休む予定になっているから」
サルファーは今、予定を決めた。あとでプライトが怒る。
「ここから遠くて、いい場所がある。アンタにも場所を伝えておくから、ヨールの居場所が分かったらすぐに連絡をくれ」
サルファーは運転席の方に身を乗り出し、バライトに念を押した。ふたりは目を合わす。バライトは頷いた。
「ああ。分かった」
バライトはエンジンをかける。ミトスの保護については、バライトは最初からサルファーを当てにしていた。金持ちだから、別荘のひとつぐらい持っているだろうという、都合のいい当てだった。
「待って、私はまだ決めてない」
ミトスがまとまりかけた話を引き戻そうと、焦る。
「手芸店の店主には、今回のことうまいこと言ってあるから。ラリマさんだっけ? そうだ、寄って顔を出そう。バライトさん、アンタが上手いこと説明してよ」
「はいはい」
車はもう、走り出してしまった。
三日後の夜。ペタの中央駅のホームにサルファーとプライトはいた。ホームには北の港町であるセレス行きの寝台列車が止まっている。
サルファーのアトリエに泥棒が入ったことは二日前にニュースになった。アトリエがめちゃくちゃになったこと、それによる精神的苦痛を理由に、サルファーは三か月分の仕事をキャンセルした。プライトは怒ったがすぐに「十年、働き通しだったからここいらで長い休みを取るのも悪くない、先方も状況を理解してくれて、スケジュールを先延ばしにしてくれたしな」という、寛容な態度だった。サルファーは驚いた。
「余裕を持って、三か月にしただけだからな。早く戻れるなら、早く帰って来い」
プライトの願望だった。
「警察とヨール次第さ」
サルファーはそう言いながら、少し離れた場所で待っているミトスを見やる。プライトは一歩、サルファーに寄って声を潜める。
「これは殺人事件だ。あんまり深入りするなよ」
プライトは忠告と心配をする。サルファーは微笑む。
「責任を果たすだけだよ」
サルファーはプライトの肩を叩く。見送りはプライトだけだった。サルファーとミトスは列車に乗る。
「ミトスと僕の部屋は離れている。何かあったらこの番号の部屋に」
サルファーはチケットを見せる。ミトスはすぐに覚えたが、あとでメモをしようと考える。
「朝、一緒に食堂車へ行こう。迎えに行くよ」
「はい」
ミトスはずっとやるせない気分だった。
「旅行だと思いなよ」
サルファーは励ます。それでもミトスは困った笑みを浮かべるだけだった。
「僕とじゃ不安かい?」
サルファーが冗談交じりに言った。
「違う。やっと、ひとりで生活できると思ったのになっていう、残念感。サルファーさんにこんなこと言うのはよくないね」
ラリマと相談して、手芸店は一旦辞めることになった。ラリマは戻って来たら、絶対顔を見せにおいでとミトスに約束させた。
「僕だってひとりで生活できないよ。プライトがいないと。みんなそうだよ。それにこれは君のせいじゃない。君は被害者だ。怒っていい。ずっと怒っていい」
サルファーが言った。ミトスは静かに礼を言った。列車はどんどん夜を走る。
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