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ブランド「カバンサ」の周年イベントの日、ミトスは予定通り仕事を休みにしてもらった。自分のためにミトスは、生成りのトートバッグ一面にブドウの木と白猫の刺しゅうを少しずつ進めていて、その日の午後に完成した。それをテーブルに置いてミトスは、満足気に見つめる。気に入った出来だった。
テーブルの端にあるスケッチブックがミトスの視界に入る。サルファーは返さなくてもいいと言ったが、このまま持っておくのもミトスは忍びなかった。けれど、もう会うのはよくないと思っていた。ミトスはジェーダから聞いたメモで時間を確かめる。周年イベントはもう、始まっている。ディナーがあるので終わるのも遅い。あまりよくないけれど、袋に入れてドアの前に置いておこうとミトスは決めた。刺しゅうしたばかりのトートバッグにスケッチブックを入れ、夕方が来る前にとミトスは急いで出かけた。
バスに乗る前に、文具店で丈夫な封筒を買った。バスに乗ると、封筒にスケッチブックを入れる。封筒を抱えて、先月ぶりの小道を通る。ミトスが違和感を持ったのは、もうすぐ庭が見える時だった。音が聞こえた。生活音ではなかった。ミトスは思わず、足をとめる。そして、道を見る。狭い小道を無理に通ったような車輪の跡がある。先月来た時は、庭に車はなかった。プライトが戻って来た後も、なかった。ミトスは嫌な予感がした。顔を上げると正面に、ユオ・オーピメンが立っていた。手袋をした手には斧を持っていた。オーピメンが走ってきた瞬間、ミトスは我に帰り、脱皮のごとき逃げ出したがすぐに追いつかれた。オーピメンの腕がミトスの首にまわる。ミトスは腕を引き離そうと、必死に掴む。
「離せ!」
ミトスが叫ぶ。オーピメンはミトスの耳元で語り掛ける。
「やはり、ミトス様ですね。本物だ」
「違うっ! 誰だアンタッ」
ミトスは顔を背け、オーピメンの拘束から逃れようとあがいたが、すぐに引き寄せられた。
「違わないです」
オーピメンはミトスを形状ではなく感情で覚えていた。
「本当はスケッチを盗みに来たのですが、本物があるならそっちがいい」
嬉々としてオーピメンが喉を鳴らす。ミトスは足をふり上げ、オーピメンの脛を蹴った。オーピメンは呻き、ミトスから手を離した。拘束から抜けたミトスは、よろめき膝を付いたが、すぐに立ち上がり走り出す。
「火を付けるぞっ!」
逃げるミトスの背中にオーピメンが叫んだ。
「あなたが私から逃げたら、アトリエに火を付ける。家も、絵も全部、全部燃やす。絶対に」
ミトスは走れなくなった。
「こちらへ来てください」
オーピメンは優しい声だった。ミトスは諦め、オーピメンの方を向いた。オーピメンは嬉しそうに言った。
「ほら優しい。やっぱり、ミトス様だ」
空にはまだ、夕暮れが残っていた。ホテルカバンサのホールではブランド「カバンサ」のイベントが終わり、ディナーが始まろうとしていた。
「久しぶり、ヨール」
ベス・シプリンが声をかけた。ヨールは立ち上がり、久しぶりの再会に感動したかのように振る舞った。
「ベス。久しぶりだね。昨夜の舞台を観たよ。素晴らしかった。もう一度観に行くよ」
「ふふっ、ありがとう」
席に座ったベスは、ハンドバッグからハンカチを出す。
「凝ったハンドバッグだね。蓋の裏まで、模様がある」
ヨールが褒めた。ベスは待っていましたと言わんばかりに、ハンドバッグの裏に施されたスズランと、ベスの愛猫である白猫をモデルにしたデザインの刺しゅうをヨールによく見せた。
「刺しゅうか、すごいね」
「ヨールなら気が付いてくれると思った。前はブランドの方で、働いていたものね」
ベスはヨールが細かい所によく気が付くことを知っていた。そしてこれは、ベスの完全なる善意だった。
「最近、贔屓にしている職人にしてもらったの。あえて見えない部分で派手に遊ぶの、いいでしょう。ドレスはいい気分になるけれど、窮屈でもあるからね。遊び心は大切」
「ははっ、君らしいね。どこの職人だい?」
「個人でしているの。ミトス・スイドっていう人」
ベスはハンドバッグから名刺を出すと、テーブルに置く。ベスはタイミングがあれば、営業する気だったので準備していた。
「これ、連絡先。もしよかったら。タルクカフェって所に少し商品が置いているらしいわ」
「ありがとう。貰っておくよ」
ヨールは名刺を手に取った。
「瞳のせいかなぁ。ちょっと猫みたいな雰囲気な女の子でね、落ち着いたいい子。腕もいいし、人柄もいい」
「女の子?」
ヨールが聞き返す。
「女の子」
ベスが頷く。
「しばらくペタに滞在するから、行ってみるよ。ありがとう。他にも少し、挨拶をしてくるから席を外すよ」
ヨールは立ち上がると、ホールを出る。ロビーにある電話から、シラー病院に入院しているジェーダに繋いでもらった。
「死んでないじゃないか」
ヨールは挨拶なしに言った。ジャーダはすぐに最悪な事態になったことを察し、黙っていた。
「ミトスは彩色になった。そうですね」
淡々と尋ねるヨールの背後をサルファーとプライトが通る。ふたりは目線を合わせるが、そのまま通り過ぎる。
「忘れなさい。ミトスはもう、自由です」
ジェーダは電話を切った。そして頭を抱え、すぐにフェナの屋敷にいるアンブリに電話をかけた。
「やはりあの子は、カバンサから隠し切れない」
テーブルの端にあるスケッチブックがミトスの視界に入る。サルファーは返さなくてもいいと言ったが、このまま持っておくのもミトスは忍びなかった。けれど、もう会うのはよくないと思っていた。ミトスはジェーダから聞いたメモで時間を確かめる。周年イベントはもう、始まっている。ディナーがあるので終わるのも遅い。あまりよくないけれど、袋に入れてドアの前に置いておこうとミトスは決めた。刺しゅうしたばかりのトートバッグにスケッチブックを入れ、夕方が来る前にとミトスは急いで出かけた。
バスに乗る前に、文具店で丈夫な封筒を買った。バスに乗ると、封筒にスケッチブックを入れる。封筒を抱えて、先月ぶりの小道を通る。ミトスが違和感を持ったのは、もうすぐ庭が見える時だった。音が聞こえた。生活音ではなかった。ミトスは思わず、足をとめる。そして、道を見る。狭い小道を無理に通ったような車輪の跡がある。先月来た時は、庭に車はなかった。プライトが戻って来た後も、なかった。ミトスは嫌な予感がした。顔を上げると正面に、ユオ・オーピメンが立っていた。手袋をした手には斧を持っていた。オーピメンが走ってきた瞬間、ミトスは我に帰り、脱皮のごとき逃げ出したがすぐに追いつかれた。オーピメンの腕がミトスの首にまわる。ミトスは腕を引き離そうと、必死に掴む。
「離せ!」
ミトスが叫ぶ。オーピメンはミトスの耳元で語り掛ける。
「やはり、ミトス様ですね。本物だ」
「違うっ! 誰だアンタッ」
ミトスは顔を背け、オーピメンの拘束から逃れようとあがいたが、すぐに引き寄せられた。
「違わないです」
オーピメンはミトスを形状ではなく感情で覚えていた。
「本当はスケッチを盗みに来たのですが、本物があるならそっちがいい」
嬉々としてオーピメンが喉を鳴らす。ミトスは足をふり上げ、オーピメンの脛を蹴った。オーピメンは呻き、ミトスから手を離した。拘束から抜けたミトスは、よろめき膝を付いたが、すぐに立ち上がり走り出す。
「火を付けるぞっ!」
逃げるミトスの背中にオーピメンが叫んだ。
「あなたが私から逃げたら、アトリエに火を付ける。家も、絵も全部、全部燃やす。絶対に」
ミトスは走れなくなった。
「こちらへ来てください」
オーピメンは優しい声だった。ミトスは諦め、オーピメンの方を向いた。オーピメンは嬉しそうに言った。
「ほら優しい。やっぱり、ミトス様だ」
空にはまだ、夕暮れが残っていた。ホテルカバンサのホールではブランド「カバンサ」のイベントが終わり、ディナーが始まろうとしていた。
「久しぶり、ヨール」
ベス・シプリンが声をかけた。ヨールは立ち上がり、久しぶりの再会に感動したかのように振る舞った。
「ベス。久しぶりだね。昨夜の舞台を観たよ。素晴らしかった。もう一度観に行くよ」
「ふふっ、ありがとう」
席に座ったベスは、ハンドバッグからハンカチを出す。
「凝ったハンドバッグだね。蓋の裏まで、模様がある」
ヨールが褒めた。ベスは待っていましたと言わんばかりに、ハンドバッグの裏に施されたスズランと、ベスの愛猫である白猫をモデルにしたデザインの刺しゅうをヨールによく見せた。
「刺しゅうか、すごいね」
「ヨールなら気が付いてくれると思った。前はブランドの方で、働いていたものね」
ベスはヨールが細かい所によく気が付くことを知っていた。そしてこれは、ベスの完全なる善意だった。
「最近、贔屓にしている職人にしてもらったの。あえて見えない部分で派手に遊ぶの、いいでしょう。ドレスはいい気分になるけれど、窮屈でもあるからね。遊び心は大切」
「ははっ、君らしいね。どこの職人だい?」
「個人でしているの。ミトス・スイドっていう人」
ベスはハンドバッグから名刺を出すと、テーブルに置く。ベスはタイミングがあれば、営業する気だったので準備していた。
「これ、連絡先。もしよかったら。タルクカフェって所に少し商品が置いているらしいわ」
「ありがとう。貰っておくよ」
ヨールは名刺を手に取った。
「瞳のせいかなぁ。ちょっと猫みたいな雰囲気な女の子でね、落ち着いたいい子。腕もいいし、人柄もいい」
「女の子?」
ヨールが聞き返す。
「女の子」
ベスが頷く。
「しばらくペタに滞在するから、行ってみるよ。ありがとう。他にも少し、挨拶をしてくるから席を外すよ」
ヨールは立ち上がると、ホールを出る。ロビーにある電話から、シラー病院に入院しているジェーダに繋いでもらった。
「死んでないじゃないか」
ヨールは挨拶なしに言った。ジャーダはすぐに最悪な事態になったことを察し、黙っていた。
「ミトスは彩色になった。そうですね」
淡々と尋ねるヨールの背後をサルファーとプライトが通る。ふたりは目線を合わせるが、そのまま通り過ぎる。
「忘れなさい。ミトスはもう、自由です」
ジェーダは電話を切った。そして頭を抱え、すぐにフェナの屋敷にいるアンブリに電話をかけた。
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