ミトスはひとり

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 ミトスのエプロンの刺しゅうは蔦をモチーフに、テントウムシや小鳥、野花などを絡めたデザインだった。サルファーは採点するようにその刺しゅうを隅々まで眺めた。ミトスは感じが悪い人だなと、正直思った。
「君、色彩センスは悪くないよ」
「ありがとうございます。サルファーさん」
 ミトスが名前を知ったことに、サルファーはニコニコした。
「僕のこと知ったんだね」
「先日は、失礼しました。雑誌で知りまして。広場のシズのタペストリー、いいですよね。スズランの花が散ってきそうで」
「舞い降るって言ってよ」
 サルファーは褒め言葉に注文を付ける。あまりのずうずうしさに、ミトスは笑った。
「それは失礼」
「すみません」
 ふたりの間に女性の声が割って入った。男の子を連れた女性が様子を伺うような表情をミトスに向けた。そして、自信なさげに尋ねた。
「あの、タルクカフェで雑貨を見て、ここで働いている方がやられているって店の人に聞いて」
「あ、私です」
 ミトスはすぐさまサルファーに背を向け、女性と向き合った。
「あの、オーダーメイドができるってタルクカフェの方に聞いて。私、この近所に住んでいて、ついでだからって声をかけさせてもらったんですけど、ご連絡先とかって……」
「あ、こちらにお願いします」
 ミトスはエプロンのポケットから名刺を出した。客になるかもしれない女性に、ミトスは丁寧さを心掛けた。女性は礼を言って、去って行った。息子らしき子がふり返って、ミトスに手を振る。ミトスは微笑ましく、手をふり返した。
「僕にもちょうだいよ」
 サルファーが言った。
「え?」
 ミトスが思わず、聞き返す。サルファーは手を出した。
「名刺、ちょうだい」
「え……」
 ふたりの間に沈黙が流れる。サルファーは手を引っ込めない。ミトスはしょうがなく、名刺を渡した。
「ミトス・スイドね。覚えておくよ」
 曖昧にミトスは微笑んだ。
「じゃあね」
 サルファーはやっと、帰って行く。ミトスはほっとした。掃いたゴミをちりとりに取る。
「あ」
 サルファーは声を上げると、ミトスをふり返る。
「こないだは、からかって悪かったよ」
 謝るにしては声が明かった。ミトスは呆れたように笑った。
「気にしないでください」
 サルファーの足取り軽く、アトリエ兼自宅に戻る。
「おかえり。遅かったね」
 一階のアトリエの奥にある事務室にいたプライトが声をかけた。
「ちょっとね」
「まあいい、話があったんだ。納期の調整がしたい」
 サルファーはポケットから出した名刺をコルクボードに刺した。横からプライトが見る。
「刺しゅういたします。ミトス・スイド。なんだい、これ」
 プライトが尋ねる。サルファーは、眉をお茶らけるように動かす。
「冷やかし」



 七月。手芸店でミトスに声をかけた女性もとい、フローラ・スキャから注文が来た。五歳の息子の名前はシリマという。フローラの注文は持っているトートバッグにスミレの刺しゅうをして欲しいというものだった。昔、フローラの亡くなった叔母が持っていたバッグがそのようなもので、ミトスとフローラは記憶とデザインのすり合わせに三日かかった。出来上がったミトスの刺しゅうをフローラは喜び、またお願いしますとトートバッグを大事そうに持って帰った。ミトスは気分が良かった。
「ミトス、レース編みは興味がないのかい? アンタ、向いていると思うよ」
 在庫整理をしていると、ラリマがミトスに言った。ラリマはちょうどレース針を手に持っていた。できることが増えるのは悪くないなとミトスは考える。
「ラリマさん、教えてくれます?」
「この仕事終わったらね。糸と針、選んであげるから買いな」
 容赦ないラリマに、ミトスは思わず声を上げて笑った。在庫整理が終わると、カウンターでミトスはレース編みを教えてもらった。その日は客が少なかった。
「このままレース編み教室で今日は終わりそうだね」
 ラリマは客がいない店内を見渡す。
「そんな日もありますよ。授業料、払いましょうか?」
「今度、可愛い猫でも刺しゅうしてくれ」
「はい」
 穏やかな午後だった。それに割ってはいったのは、アシス・ローズだった。店に飛び込んできたアシスはブロンドの髪が乱れ、息切れもしながらカウンターの前に立った。
「私、アシス・ローズといいます。劇団ヨンの衣装係です」
 ミトスは驚く。劇団ヨンといえば、今週末から「シズ」の舞台がはじまる。アシスは、ミトスをすがるように見る。
「私、タルクカフェに毎朝通っていて、あなたのバラのポーチも持っています」
 アシスはバッグからポーチを出して見せた。
「ああ。ありがとうございます」
「ミトスさん。お願いがあるんです」
 アシスは説明をはじめた。ミトスはさらに驚く。
「三日でスズランのマントを?」
 アシスは申し訳なさそうに頷いた。「シズ」の舞台で使用されるスズランのマントは、一枚ではない。章を重ねるごとに、少しずつ汚れて行くように見せるため五枚あるという。そのいちばん最初の、いちばん綺麗でなければならないスズランのマントが破れてしまったというのがアシスの説明だった。
「熱がこもった役者が鼻血を出してしまって。衣装が汚れると、監督が叫んだんです。その鼻血が付かないようにとマントを引っ張った時に、裾を踏んでしまっていたようで勢いよくビリッと」
「ビリッとね」
 同情めいた口調でラリマは繰り返した。
「でも、あんたらみたいなデカい劇団ならお抱えの職人がいるでしょう?」
 ラリマがもっともなことを言った。
「手術で入院しているんです。ミトスさんが最後のツナなんですぅ」
 大げさじゃないか、とミトスは思ったがアシスは見るからに切羽詰まっていた。
「ミトスの技術だったら、問題ないと思うけどね」
 ラリマは当たり前のように言った。ミトスは驚き、感動した。ラリマがミトスを見やる。
「厳しい仕事だからね。ミトス、やるかどうかは自分で決めな」
「やります」
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