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「正式には『彩色変化』と呼ぶ。この変化は、身体が変化するという意味の変化だ。まあ、便宜上の言葉だ。認識としては、性別が増える、と考えた方がいい。色が増える、だから彩色と呼ばれる。まあ、この辺りは身体が元気になってから考えた方がいい」
ミトスはトムソンの話を聞きながら『シズ』の物語を思い返していた。シズも女に性別が変わる前は、身体が弱かった。変化の前の虚弱体質は、彩色の特徴でもあった。シズが元気になった身体で、新しい人生を歩み出す。シズは歌が好きで、歌手を目指し、売れっ子になる。スズランのマントが彼女の象徴だった。売れっ子がゆえに、嫉妬や妨害を受けるが、逞しく生きていく。ラストは再起を目指す、潰れかけの劇場で汚れきったスズランのマントを抱きしめながら、希望の歌を歌い続ける。「汚れも穢れも私にとっては新しい色よ」というセリフがジルは大好きだった。ミトスはこのまま行方をくらませば、カバンサの人間は安堵するのではないかと考えていたが、そうするにはジルが可哀想過ぎた。
「トムソン先生。連絡をいれたいんですが……」
「アンタ、カバンサの屋敷に住んでいるんだってね。捜しに来てね、もう連絡はついてるよ」
「……そうですか」
行方不明になるなんて甘い考えだったなとミトスは内心、苦笑した。さすが、カバンサ、情報網が広い。
「もうしっかり話せるようだし、次の痛みが来る前に電話するよ」
トムソンが言った。そしてさっそく明日、カバンサの人間が会いに来ることになった。
「ミトス様!」
病室に入った途端、ジルはミトスのベッドに駆け寄って涙を流した。
「生きていらっしゃって、よかったあぁ」
ジルが泣きじゃくる。ミトスは微笑んだ。
「心配させて悪かった」
ミトスは優しくジルの肩に手を置いた。ジルは涙と鼻を拭うと、立ち上がった。
「彩色になったとお聞きしました。痛みは?」
「今は大丈夫だよ」
安心させるようにミトスは言った。
「ミトス」
病室の入り口に杖をついたジェーダと執事のアンブリが立っていた。ジルはすぐにベッドの脇にあった椅子の背にまわった。ジェーダは杖の音を立てながらゆっくりと歩み寄ると、椅子に座った。
「ご迷惑をおかけします」
先にミトスが口を開いた。
「無事でなにより」
ジェーダは言った。
「ありがとうございます」
ミトスは気まずそうに、言った。ジェーダはアンブリに目をやる。アンブリはジルに目をやる。
「では、また後ほど。ミトス様」
アンブリとジルが病室を出て行く。扉が静かに閉まった。ふたりきりになる。
「だらだら話すのは好きではないので、前置きなしに伝えます。ミトス、ここで彩色変化を終えたら、主都へ行きなさい」
「ペタに?」
ミトスが聞けば、ジェーダは重く頷いた。
「ヨールにはお前が死んだと伝えるつもりです」
ミトスは言葉を探したが、黙るしかなかった。
「すぐには言いません。そうですね。三か月捜して見つからなかったことにして、あなたを死んだことにします。ジルはカバンサの屋敷に置いたままにします。ヨールは勘がいいですからね。いなくなれば、ヨールが怪しむかもしれない」
「分かりました」
ミトスはそう言うしかなかった。
「あなたとわたくしの考えは違っています」
ジェーダが言った。ミトスは話が見えなかった。
「わたくしは、ヨールを懸念しています。あの子はペリドと似ている」
「おじいさまに? そうでしょうか」
ミトスは記憶のペリドとヨールを重ねてみるが、合わさらない。
「お前はそういうところが鈍いからね。ヨールがお前に抱いている憎悪は、愛憎ですよ」
ミトスは釈然としなかった。なんの冗談かと思った。それでもジェーダの表情は真剣だった。
「ペリドだって、犯罪者みたいなものです。欲しいものを手に入れるには手段を選ばない。ヨールはまだ青臭いだけ。吹っ切れた時、いちばんに被害を追うのはミトスでしょう」
それは嫌な予言だった。
「ヨールがお前の生活に存在する限り、お前は自由になれない。いい機会だ。自由になりなさい。勿論、援助はする。ヨールに悟られないぐらいに」
「はあ」
ミトスは曖昧な相槌をした。
「今まで悪かったね。元気になってよかった」
ジェーダは最後にそう言った。ジェーダは一度だって、ミトスを邪険にしたことはなかった。親愛はなかったが、親切だった。なので、ミトスはカバンサを恨んだことは一度もなかった。ジェーダが話を終えた後、ジルとしばらく話す時間もくれてから去って行った。その日の晩から、ミトスはまた彩色変化による痛みに苦しんだ。とぎれとぎれに来る、痛みと共にミトスは冬を越した。
五月。彩色を終えたミトスは列車に乗っていた。鎖骨まで伸びたアプリコットの髪を明るい青色の髪留めで、少し高めの位置でひとつにまとめていた。白のブラウスにレンガ色のハイウエストのパンツ。ジャケットとベルトと靴はネイビーで揃えていた。トランクにはジェーダがトムソン医院まで送ってくれた新しい刺しゅう道具、スキンケアと化粧の一式、アン看護師が近所の服飾店で揃えてくれたブラウス三枚、パンツとスカートが一枚ずつ、下着に寝巻き、トムソン医師から失くさないようにと念押しされた紹介状が入っていた。これからはオパルという医師に定期健診を受けることになっていた。荷物はこれだけだった。ペタに着いたら、買うものが沢山ある。不安がいっぱいだったが、ミトスは楽しみもいっぱいだった。ミトスは二十一歳になった。新しい人生がはじまる。
ミトスはトムソンの話を聞きながら『シズ』の物語を思い返していた。シズも女に性別が変わる前は、身体が弱かった。変化の前の虚弱体質は、彩色の特徴でもあった。シズが元気になった身体で、新しい人生を歩み出す。シズは歌が好きで、歌手を目指し、売れっ子になる。スズランのマントが彼女の象徴だった。売れっ子がゆえに、嫉妬や妨害を受けるが、逞しく生きていく。ラストは再起を目指す、潰れかけの劇場で汚れきったスズランのマントを抱きしめながら、希望の歌を歌い続ける。「汚れも穢れも私にとっては新しい色よ」というセリフがジルは大好きだった。ミトスはこのまま行方をくらませば、カバンサの人間は安堵するのではないかと考えていたが、そうするにはジルが可哀想過ぎた。
「トムソン先生。連絡をいれたいんですが……」
「アンタ、カバンサの屋敷に住んでいるんだってね。捜しに来てね、もう連絡はついてるよ」
「……そうですか」
行方不明になるなんて甘い考えだったなとミトスは内心、苦笑した。さすが、カバンサ、情報網が広い。
「もうしっかり話せるようだし、次の痛みが来る前に電話するよ」
トムソンが言った。そしてさっそく明日、カバンサの人間が会いに来ることになった。
「ミトス様!」
病室に入った途端、ジルはミトスのベッドに駆け寄って涙を流した。
「生きていらっしゃって、よかったあぁ」
ジルが泣きじゃくる。ミトスは微笑んだ。
「心配させて悪かった」
ミトスは優しくジルの肩に手を置いた。ジルは涙と鼻を拭うと、立ち上がった。
「彩色になったとお聞きしました。痛みは?」
「今は大丈夫だよ」
安心させるようにミトスは言った。
「ミトス」
病室の入り口に杖をついたジェーダと執事のアンブリが立っていた。ジルはすぐにベッドの脇にあった椅子の背にまわった。ジェーダは杖の音を立てながらゆっくりと歩み寄ると、椅子に座った。
「ご迷惑をおかけします」
先にミトスが口を開いた。
「無事でなにより」
ジェーダは言った。
「ありがとうございます」
ミトスは気まずそうに、言った。ジェーダはアンブリに目をやる。アンブリはジルに目をやる。
「では、また後ほど。ミトス様」
アンブリとジルが病室を出て行く。扉が静かに閉まった。ふたりきりになる。
「だらだら話すのは好きではないので、前置きなしに伝えます。ミトス、ここで彩色変化を終えたら、主都へ行きなさい」
「ペタに?」
ミトスが聞けば、ジェーダは重く頷いた。
「ヨールにはお前が死んだと伝えるつもりです」
ミトスは言葉を探したが、黙るしかなかった。
「すぐには言いません。そうですね。三か月捜して見つからなかったことにして、あなたを死んだことにします。ジルはカバンサの屋敷に置いたままにします。ヨールは勘がいいですからね。いなくなれば、ヨールが怪しむかもしれない」
「分かりました」
ミトスはそう言うしかなかった。
「あなたとわたくしの考えは違っています」
ジェーダが言った。ミトスは話が見えなかった。
「わたくしは、ヨールを懸念しています。あの子はペリドと似ている」
「おじいさまに? そうでしょうか」
ミトスは記憶のペリドとヨールを重ねてみるが、合わさらない。
「お前はそういうところが鈍いからね。ヨールがお前に抱いている憎悪は、愛憎ですよ」
ミトスは釈然としなかった。なんの冗談かと思った。それでもジェーダの表情は真剣だった。
「ペリドだって、犯罪者みたいなものです。欲しいものを手に入れるには手段を選ばない。ヨールはまだ青臭いだけ。吹っ切れた時、いちばんに被害を追うのはミトスでしょう」
それは嫌な予言だった。
「ヨールがお前の生活に存在する限り、お前は自由になれない。いい機会だ。自由になりなさい。勿論、援助はする。ヨールに悟られないぐらいに」
「はあ」
ミトスは曖昧な相槌をした。
「今まで悪かったね。元気になってよかった」
ジェーダは最後にそう言った。ジェーダは一度だって、ミトスを邪険にしたことはなかった。親愛はなかったが、親切だった。なので、ミトスはカバンサを恨んだことは一度もなかった。ジェーダが話を終えた後、ジルとしばらく話す時間もくれてから去って行った。その日の晩から、ミトスはまた彩色変化による痛みに苦しんだ。とぎれとぎれに来る、痛みと共にミトスは冬を越した。
五月。彩色を終えたミトスは列車に乗っていた。鎖骨まで伸びたアプリコットの髪を明るい青色の髪留めで、少し高めの位置でひとつにまとめていた。白のブラウスにレンガ色のハイウエストのパンツ。ジャケットとベルトと靴はネイビーで揃えていた。トランクにはジェーダがトムソン医院まで送ってくれた新しい刺しゅう道具、スキンケアと化粧の一式、アン看護師が近所の服飾店で揃えてくれたブラウス三枚、パンツとスカートが一枚ずつ、下着に寝巻き、トムソン医師から失くさないようにと念押しされた紹介状が入っていた。これからはオパルという医師に定期健診を受けることになっていた。荷物はこれだけだった。ペタに着いたら、買うものが沢山ある。不安がいっぱいだったが、ミトスは楽しみもいっぱいだった。ミトスは二十一歳になった。新しい人生がはじまる。
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