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ミトスはすぐに着替えると、ジルと散歩に出た。ミトスは出かける前にジェーダに声をかけ、三十分程で戻ると伝えて置いた。屋敷を出ると、背後で車が走る音がした。見ると、ヨールが車から出て、屋敷に入って行く。
「いいタイミングで散歩に出ましたね」
ジルがイタズラっぽく言った。ミトスは何も言わず、笑っておいた。
「長靴を履いて来て正解でしたね」
のんびり歩きながら、屋敷の裏の森をミトスとジルはのんびり歩いた。カバンサの敷地の端がどこにあるか、ミトスはもちろん、ジルも知らない。カバンサの敷地はひとつの村のようなものだとカバンサの使用人は皆、言っている。だから、あまり遠くには行けない。けれど、この広い敷地のおかげでミトスは閉鎖的な気持ちにはならなかった。けれどそれは、外を知らない、無知のおかげでもある皮肉だった。
「あ、ドングリがまだありますね」
ジルがスカートの裾が地面につかないように気を付けて、しゃがんだ。顎下あたりで、内側にカールされたボルドー色の髪を耳にかけ、落ちたドングリに顔を近づける。ミトスもしゃがみ、どんぐりをつついた。
「ドングリの刺しゅうもいいかもな」
ミトスが呟く。
「あ、可愛いですよ。ぜひ」
ジルがドングリを手に取る。その時だった。ミトスが最初に感じたのは、耳鳴りだった。それから心臓の音が耳の奥から響いた。ミトスは胸を押えると、ぬかるんだ地面に膝を付いた。
「ミトス様?」
異変をすぐに察したジルはドングリを投げ捨てて、ミトスの背中に手を置く。ミトスの身体は急激に熱くなり、呼吸も苦しくなった。ミトスは、ジルに力を振り絞って伝えた。
「人を、呼んで……、来て」
ミトスはうずくまった。泥だらけになる。身体が熱くて仕方がなかった。
「すぐに!」
ジルは屋敷に向かって走り出す。誰か、誰か、と叫んでいる。ミトスの思考は「アツイ」で占められる。我慢できなかった。その時、耳が川の流れる音にしがみついた。水の中に飛び込めば。あまりの暑さに、ミトスの思考は正常ではなかった。コートを最初に脱ぎ捨て、歩き出した。歩きにくい長靴もすぐに邪魔になり、脱ぎ捨てた。雨のせいで濁り、流れが速い川の中にミトスはためらいもなく飛び込んでしまった。
黒いウサギが血を流して死んでいた。黒ウサギの名前はビオラだった。ミトスが名付けた。屋敷に閉じ込めたミトスにと、ペリドがシラーという友人から貰って来て、与えた黒ウサギだった。ミトスは黒ウサギを一生懸命、世話をした。ある時、部屋の小屋に黒ウサギは見えなかった。逃げ出したと思い、ミトスはすぐに捜しに行った。
「ミトス」
ヨールが呼んだ。ヨールはミトスの手を引いた。黒ウサギは屋敷の外で死んでいた。ちょうど、バルコニーの下で死んでいた。
「ミトス、ごめん。私もウサギに触りたかったんだ。小屋の扉を開けたら逃げ出してしまって。バルコニーの扉が開いていたんだ。そしたら、そこから落ちた」
ミトスはずっと、黒ウサギを見ていた。
「私を許してくれる?」
ミトスはヨールの手を強く握った。そのままずっと、黒ウサギを見ていた。それはミトスが六歳、ヨールが十四歳の時だった。
「俺は医者のトムソンだ」
ミトスが目覚めたのは病院のベッドの上だった。身体は重く、自分の意思で動かなかった。唇を開こうとしても、声が出ない。瞬きだけで精一杯だった。目覚めたミトスを覗きこんだ黒髪短髪の眼鏡の男が自己紹介をしたが、ミトスは頭が働かなかった。
「今は、落ち着いているがまたすぐに痛みが来るだろう」
ミトスはそれが自分のことだと考えなかった。またすぐに眠った。それから毎日痛みに目覚め、うなされ、眠りを繰り返した。川から助けられて、一週間を過ぎて、ミトスはやっと座れるようになった。
「川の様子を見に行った近所のジジイ達が、川岸の岩に引っかかったアンタを見つけてな。保護してウチに連れて来た。運が良かった」
トムソンが説明する。ミトスは何も理解してなかったが、頷いた。トムソンの白衣のコーヒーの染みを見ていた。トムソンはじっとミトスを見て言った。
「言うより触った方が早い。自分のチンコ触ってみろ」
ミトスは真顔のままだった。
「ズボンに手、突っ込んで触ってみなさい。さっき水を飲んだ時、コップはしっかり掴めていた。手、動くだろう」
トムソンは真面目に言った。ミトスはトムソンをじっと見る。トムソンは頷く。ミトスは恐る恐るズボンの中に手をいれて、触れた。首を絞められたような声を上げた。
「小さくなっているだろう?」
トムソンの言葉に、ミトスは震えながら頷いた。ズボンから手を出す。看護師のアンが濡れたタオルを差し出してくれ、ミトスはそれで手を拭いた。
「今は変化の途中だ」
「変化……?」
ミトスはトムソンに掠れた声で聞き返した。
「君の身体は男から女に変わる。彩色だ。めずらしいことではない。たまにある。聞いたことあるだろう? シズという物語の主人公も彩色の設定だ。戯曲としても有名なヤツ」
勿論、ミトスは知っていた。シズは身体が男から女になった主人公であった。
「これから半年かけて、君の身体は変わる。痛みを覚悟しておいて。できるだけ和らぐように俺たちも善処する」
ミトスは頷くことしかできなかった。
「いいタイミングで散歩に出ましたね」
ジルがイタズラっぽく言った。ミトスは何も言わず、笑っておいた。
「長靴を履いて来て正解でしたね」
のんびり歩きながら、屋敷の裏の森をミトスとジルはのんびり歩いた。カバンサの敷地の端がどこにあるか、ミトスはもちろん、ジルも知らない。カバンサの敷地はひとつの村のようなものだとカバンサの使用人は皆、言っている。だから、あまり遠くには行けない。けれど、この広い敷地のおかげでミトスは閉鎖的な気持ちにはならなかった。けれどそれは、外を知らない、無知のおかげでもある皮肉だった。
「あ、ドングリがまだありますね」
ジルがスカートの裾が地面につかないように気を付けて、しゃがんだ。顎下あたりで、内側にカールされたボルドー色の髪を耳にかけ、落ちたドングリに顔を近づける。ミトスもしゃがみ、どんぐりをつついた。
「ドングリの刺しゅうもいいかもな」
ミトスが呟く。
「あ、可愛いですよ。ぜひ」
ジルがドングリを手に取る。その時だった。ミトスが最初に感じたのは、耳鳴りだった。それから心臓の音が耳の奥から響いた。ミトスは胸を押えると、ぬかるんだ地面に膝を付いた。
「ミトス様?」
異変をすぐに察したジルはドングリを投げ捨てて、ミトスの背中に手を置く。ミトスの身体は急激に熱くなり、呼吸も苦しくなった。ミトスは、ジルに力を振り絞って伝えた。
「人を、呼んで……、来て」
ミトスはうずくまった。泥だらけになる。身体が熱くて仕方がなかった。
「すぐに!」
ジルは屋敷に向かって走り出す。誰か、誰か、と叫んでいる。ミトスの思考は「アツイ」で占められる。我慢できなかった。その時、耳が川の流れる音にしがみついた。水の中に飛び込めば。あまりの暑さに、ミトスの思考は正常ではなかった。コートを最初に脱ぎ捨て、歩き出した。歩きにくい長靴もすぐに邪魔になり、脱ぎ捨てた。雨のせいで濁り、流れが速い川の中にミトスはためらいもなく飛び込んでしまった。
黒いウサギが血を流して死んでいた。黒ウサギの名前はビオラだった。ミトスが名付けた。屋敷に閉じ込めたミトスにと、ペリドがシラーという友人から貰って来て、与えた黒ウサギだった。ミトスは黒ウサギを一生懸命、世話をした。ある時、部屋の小屋に黒ウサギは見えなかった。逃げ出したと思い、ミトスはすぐに捜しに行った。
「ミトス」
ヨールが呼んだ。ヨールはミトスの手を引いた。黒ウサギは屋敷の外で死んでいた。ちょうど、バルコニーの下で死んでいた。
「ミトス、ごめん。私もウサギに触りたかったんだ。小屋の扉を開けたら逃げ出してしまって。バルコニーの扉が開いていたんだ。そしたら、そこから落ちた」
ミトスはずっと、黒ウサギを見ていた。
「私を許してくれる?」
ミトスはヨールの手を強く握った。そのままずっと、黒ウサギを見ていた。それはミトスが六歳、ヨールが十四歳の時だった。
「俺は医者のトムソンだ」
ミトスが目覚めたのは病院のベッドの上だった。身体は重く、自分の意思で動かなかった。唇を開こうとしても、声が出ない。瞬きだけで精一杯だった。目覚めたミトスを覗きこんだ黒髪短髪の眼鏡の男が自己紹介をしたが、ミトスは頭が働かなかった。
「今は、落ち着いているがまたすぐに痛みが来るだろう」
ミトスはそれが自分のことだと考えなかった。またすぐに眠った。それから毎日痛みに目覚め、うなされ、眠りを繰り返した。川から助けられて、一週間を過ぎて、ミトスはやっと座れるようになった。
「川の様子を見に行った近所のジジイ達が、川岸の岩に引っかかったアンタを見つけてな。保護してウチに連れて来た。運が良かった」
トムソンが説明する。ミトスは何も理解してなかったが、頷いた。トムソンの白衣のコーヒーの染みを見ていた。トムソンはじっとミトスを見て言った。
「言うより触った方が早い。自分のチンコ触ってみろ」
ミトスは真顔のままだった。
「ズボンに手、突っ込んで触ってみなさい。さっき水を飲んだ時、コップはしっかり掴めていた。手、動くだろう」
トムソンは真面目に言った。ミトスはトムソンをじっと見る。トムソンは頷く。ミトスは恐る恐るズボンの中に手をいれて、触れた。首を絞められたような声を上げた。
「小さくなっているだろう?」
トムソンの言葉に、ミトスは震えながら頷いた。ズボンから手を出す。看護師のアンが濡れたタオルを差し出してくれ、ミトスはそれで手を拭いた。
「今は変化の途中だ」
「変化……?」
ミトスはトムソンに掠れた声で聞き返した。
「君の身体は男から女に変わる。彩色だ。めずらしいことではない。たまにある。聞いたことあるだろう? シズという物語の主人公も彩色の設定だ。戯曲としても有名なヤツ」
勿論、ミトスは知っていた。シズは身体が男から女になった主人公であった。
「これから半年かけて、君の身体は変わる。痛みを覚悟しておいて。できるだけ和らぐように俺たちも善処する」
ミトスは頷くことしかできなかった。
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