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#001

学校の悪魔

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 何かがおかしい。

 腹八分目の昼飯を終えた五限目の地理の時間、いつもならば陽の当たる窓際の席で春の陽気に誘われてうつらうつらと船を漕ぎつつ微睡んでいるにもかかわらず、俺は自信がある教科のテストを解き終わった後のような掴みどころのない感情に苛まれて重い瞼を閉じきる事が出来ずにいた。

 準備をしっかりしたはずなのに、いざ旅行に出かけると何か忘れてるんじゃないか?と反射的に思ってしまうような、分かりやすくいえば、何か残り一ピースが足りてないみたいな、ああいう感覚だ。

 まったく、個数指定のない間違い探しを制限時間なしでやらされてる気分だぜ。

 理由は分からん。ただ、ぼんやりと何かがおかしいのだ。何がかは分からないのだが、何かがおかしいということだけははっきりとわかる。もしかして、今俺が机の上に広げているのは地理じゃなくて数学の教科書か何かか?とも思ったが、そこには土から掘り起こされたばかりのミミズのような字が羅列されているだけの地理のノートしかなかった。

 腕時計に視線を落としてみたりもした。携帯電話に表示された正確な時間からズレてるんじゃないかとな。案の定数分ズレていたが、それを直したところでこのモヤモヤとしたものは晴れてはくれなかった。

 たぶん、そういうこっちゃないんだろうな。

 もっと、「気が付いて当然の事のはずなのに、気が付けてない」って感じなんだ。特に心当たりもない。

「……分からん」

 分からんので、俺はいつの間にか終わっていた授業の後、次の授業までのつかの間の休み時間に、普段昼飯を一緒に食う前の席の枚方にこんな事を聞いてみた。

「おい、お前シャンプーか何か変えたか?」

「なんだ急に。別に変えてねぇーよ」

 枚方はけだるげに身体を反転させ椅子の背もたれを肘置き代わりにするよう横向きに座ると、

「だいたい、男なんてそうそうシャンプーなんて変えたりしないだろ。それに、例えそうだとしても男に気が付かれるのは相当気持ち悪ぃぜ」

「そんな事ないだろ。むしろ、昨日俺が見たアニメでは、気が付かれなかった女子がたしかにカンカンに怒っていたぜ?」

「俺も男だ馬鹿野郎」

 なんだ、女子限定か。

 とまぁ、クラスメートがシャンプーを変えていた訳でもなければ、こんなくだらないやり取りをしたところで、やはりこの脳内電気信号の抵抗は小さくなってはくれなかった。

「であれば、俺の知らないところで何か大変な事態が起こっていて、俺はどこぞの主人公みたく、その危険を無意識にも感じ取ってしまった説が浮上してきたりはしないか?」

「お前は殺気とかを感じ取れるタイプなのかよ」

 女子からの冷たい視線くらいが精一杯だな。

 じゃあ、その説はないか。そもそも、俺は普通中の普通の高校生。毎年普通オブザイヤーを受賞できるほどの普通の常識人間なのだ。つまりはその辺の何処にでもいる人間とおんなじ。手から火の玉も出せないし、見えない速さで移動する事もできやしない。

「でも、俺からすればお前は普通の常識人間には到底見えないけどなぁ。少なくとも、俺の知っている普通の常識人はあんなことはしたりしないと思うぜ?」

 こいつの言う「あんなこと」とはつまるところ去年、俺が一年の時に首を突っ込んでしまった事件のことを指している。

「普通の日常が一番だ、っつうのがお前の持論じゃなかったのかよ」

 言うな。あの時の俺はどうかしていたのだ。

 今ではすっかり俺の中ではかつて右手に宿っていた暗黒龍と並ぶくらいのちょっとした黒歴史となっている例の事件。思い出すだけでむしゃくしゃした気持ちになる。

「高校生になって少しはまともになったと思ったんだがなぁ」

「俺だって分かってる」

 …いや、今はそんな話はどうでもいいんだ。俺も大人になったんだ。

「つうかお前、オカルトとかそういうのって信じないタイプじゃなかったか?」

 確かに、幽霊や化け物なんて非科学的なものは存在しないと思っている派ではあるが、いやでも、確かに何かおかしいんだ。

 俺がそう言うと枚方は鼻息を吐きつついっちょ前に肘杖をついて何かしら思い当たることがなかったかと一つ「うーん」と唸ると、

「あー、あれじゃあないか?あの、なんつーんだっけ?学校の化け物じゃなくてー、えーっと……」



「ー--それってもしかして『学校の悪魔』の事じゃない?」



 と、俺たちが話をしているところにふわりと甘い花の香りを漂わせて、なんとも可憐な美少女が入ってきた。品行方正のうえ成績優秀なことから他の奴らからは「お嬢」と呼ばれていたっけな。

「……宮之阪か」

 宮之阪カエデ。こいつに関しては全国模試で一位を取るくらいとにかく頭が良いということと、お人好しすぎるということくらいしか知らんな。

 一日のうちに、道端でうずくまっていた妊婦を病院に連れていき、コンビニの前に放置されたごみの清掃に付き合い、あげく捨て猫を拾って保護施設に届け、結果定期テスト終了時刻に遅刻してきたのは俺らの学校では有名な話だ。確かそれがきっかけでこれまでこいつに助けられてきた人たちが署名を募って宮之阪は最後には市から表彰されたんじゃなかったけな。

 お人好しで、俺にとっては命の恩人で、そして、自他ともに認めるー――変わり者。

 例の事件の関係者だった為に今でもちょくちょく話す仲だ。逆に、その事件がなければ一生交わることはなかったであろう学校一の人気者、いわゆる「学校のアイドル」でもある。

 そんなお人好しの権化のような宮之阪はクラスの学級委員長らしく胸元に学級日誌とノートを抱えつつ、俺たちにもまるで親友に話しかけるときの様なやわらかい笑みを向けて、

「はい、みんなの学級委員長の宮之阪さんです!」

 と、空いてる方の手でかわいらしく敬礼をした。どうも宮之阪のこういうところに男は皆弱いらしい。俺の目の前のあほ面男なんて口を半開きにしたまま「きゃわぇぇぇえ……」と呆けている。あんまり近づかないでおくれよ、あほがうつったらどうしてくれる。

「うふふ、お馬鹿さんが伝染するならそれは面白いクラスになりそうだね!」

「お前もあほなこと言ってるとこいつみたいなあほ面になっちまうかもしれんぞ」

 とまあ、こんな感じでクラスの誰に対しても平等に接するのが宮之阪というやつだった。そら、血気盛んな男子高校生がそろって勘違いするはずだぜ。

 いつもならばこうして一言二言会話を交わすと、学級委員長としての仕事を果たすべく回収したプリントを先生のもとへ運んだりと忙しそうに去っていくのだが、今日の宮之阪はまだ話したりないのか俺の隣の空席に腰を下ろすと、

「……ところで、さっきの話なんだけど」

 俺は適当な相槌で続きを促す。

「二人は本当にいると思う?」

 こんな話の切り口でいつもより少し高い声音で語り始めた。

 世間でもちょっとしたニュースになってたらしい、うちの学校では知らない人間のほうが珍しいであろう―――

「私もその現場を見たことがある訳じゃないんだけれどね」

 ―――学校の悪魔について。
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