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第3章

第17話 感情

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 ハイリやカシム達と離れてしまったミルは、前を歩き続けるヴィルヘルムの背中を見つめる。
 大きく鍛えられた背中からは、ミル程度の実力では、全く隙を感じられなかった。
 もし、この場でミルが逃げ出しても、数秒で先程の様に体を地面に叩き付けられる事は、試さなくてもミルは確信している。あの時の足払いでさえ、今思い返せば、怪我をしない様に手加減されていた。
 おそらく間違いない、とヴィルヘルムの大きな背中から、下半身を眺めてミルは考える。
 ヴィルヘルムとの体格差で、加減されずに足をはらわれていたら、無傷で歩けるとは思えない。
 
「……っ」

 視界を覆う様な草木が少なくなった場所で、ヴィルヘルムが立ち止まる。
 周囲に意識を向けて敵の気配を探ったヴィルヘルムは、安全を確認してミルの方を振り返った。その表情は、先程自分の名前を呼んだ時よりも和らいでいる様に見えた気がしたが、鼻筋に皺がより目付きも鋭い。
 獣人の冒険者達が見せる戦闘を前にした時の威嚇や感情の昂りを抑える表情に似ていた。

「……先に言っておく」
「何?」

 ヴィルヘルムの声は、普段と変わらないものだ。
 
「俺は、お前が雪に矢を向けた事を許してはいない」
「それは、私も同じ」

 突然ヴィルヘルムから言われた言葉に乗った怒りに、一瞬気圧された。
 だが、直ぐにミルは怯える感情を押し込めて言い返した。

「私は、仲間を護る為なら何度だって弓を構える」
「そうか」

 足音を立てながら、ヴィルヘルムはミルには歩み寄る。
 本能的な恐怖か、トラウマの様な死の光景が思い出した所為なのか、ミルの足から力が抜けて行く。

「お前が敵となった暁には――」
「っ」
「本気で俺は、お前を殺す」

 久しく感じていなかった知性を宿した人からの純粋な怒りと殺意に、耐えきれなくなったミルは腰を抜かした。

「……」

 立ち上がろうとしても、身体はいう事を聞かない。

 頭に浮かぶのは、自分の体がいう事を効かない「何で?」という言葉の羅列。思考が纏まらない。
 あの時も、あの時も、あの時も、あの時も――と、過去の光景トラウマが蘇る。そして――

「あっ!!」

 ――夢から覚めた。

「はぁっ、はぁ、」

 叩き付ける様な雨が降る早朝に、ミルの体からは冷や汗が流れていた。
 肌着が濡れるだけの汗を流していた事にも驚いたが、暫くみていなかった悪夢が、次々と夢の中に現れた事の方がミルにとっては驚愕する事だった。

「大丈夫ですかぁ?」

 扉が開いて水の入ったコップと軽食が乗ったトレイを手に持ったハイリが入って来た。
 ミルは、隣のベッドで寝ていたハイリが消えていた事に気付かなかった。

「何だか、ずっとうなされていたので」
「……」

 ハイリは、返答のないミルに向けて首を傾げる。

「どうしましたぁ?」
「どうしましたぁ?ではありません!」

 突然焦った様な声を出すミルに、ハイリは再び首を傾げる。

「何度も言ってますが、私の事などよりも、御身の安全を1番にお考え下さい!」
「考えてますよぉ」
「いいえ、貴方様は甘い!」

 大声を出さなくても、ミルが叱責している事にハイリは気付いている。それでも、表情やのんびりとした口調を変えようとはしない。

「いつ何処で命を狙われるか、分からないのですよ!もし、あいつらが命を狙って来たら――っ」

「私では護れない」と口にしようとして、ハイリに言葉を止められる。

「今はまだ、早朝ですよぉ。幾ら角部屋で、隣がカシムさんでも、静かに。分かりましたぁ?」
「は、はい……」
「それと、話し方戻ってますよぉ?」
「……」

 普段と変わらない素のハイリに弱いミルは、バツが悪そうに表情を歪める。

「ミル、ヴィルヘルムさんと何かあったのですか?」
「っ」

 ミルは、素のハイリにも弱いが、コチラの彼女にも滅法弱い。
 頭と体が、逆らう事を許さないのだ。

「……笑われた。あと、謝られた……」
「ミル、もっと詳しく話してくれますか?」

 軽食を置いて、向かい合う様にベッドに座ったハイリは、微笑みながらミルの言葉を待っていた。それを見て、ミルは嫌そうに話し出す。


 ◼︎◼︎◼︎◼︎


「冗談だ」

 ヴィルヘルムが苦笑を浮かべて、威圧感を緩める。
 先程まで周囲に満ちていた怒りも幻の様に、霧散していた。

「お前の本音が知りたくて、試させて貰った」

 試された、と聞いて、再びヴィルヘルムの目を覗く。
 だが、その目は、全く笑ってはいなかった。
 自分の仲間の敵となるなら容赦しない、そんな感情がヴィルヘルムの目には込められている。

「だが、怯えさせ過ぎてしまったな。すまなかった」

 頭を軽く下げて謝るヴィルヘルムを見て、ミルは自分に向けて激しい怒りを感じた。
 自分の『護る』という覚悟は、あの程度の恐怖に屈してしまう物だったのか、と。
 恐怖に屈して腰を抜かし、過去の光景トラウマを呼び起こして、今もこうして立ち上がれない。

「情け無い」
「ん?」

 ミルは、今も震える自分の足を力強く叩いた。

「立てっ、立てっ!」

 必死に動く事に怯える体を叱咤して、歯を食い縛る。
 無様でも、滑稽だと笑われても良い。
 恐怖に負けて、地面に座ったままの自分よりかはましだ。

「私、嫌だ」

 目に涙を溜めながら、震える体で立ち上がる。

「弱いままなんて、嫌だ!」

 ミルは、ヴィルヘルムに震えた声で叫んだ。

「何がお前をそうさせる?」
「私、何も出来なかった。護るべき人に、護られた。励まされた。だから、次は私が護る」

 険しい表情のままのミルとヴィルヘルムは睨み合う。そして、ヴィルヘルムがミル達には見せた事のない晴れやかな笑みを浮かべた。

「そうか。では、その為にお前に何が必要だ?」
「強さ」
「お前の言う、強さとは何だ?」

 ヴィルヘルムの問いに、ミルは返答を悩む。

「では、今のお前の強みと弱みはなんだ?」
「え?」

 再びミルは直ぐに返答を返す事が出来なかった。
 
「お前は、自分の事を何も分かっていないな」
「そんな事ない。私は、弓が得意。でも、接近戦が苦手」
「他には?」
「あとは……」

 考え始めて直ぐに答えの出ないミルを見て、少し呆れた様にヴィルヘルムは息を吐く。

「強くなりたいのなら、まずは今の自分を客観的に判断するんだ。その後は、自分の限界を把握しろ」
「限界?」
「そうだ。自分に何が出来て、出来ないのか。それを知れば、咄嗟の判断に迷う事はない。それに、自ずと必要な事も分かる筈だ」

 迷いなく紡がれるヴィルヘルムの言葉。
 彼には迷いがない。
 いや、ミルにはそう見えている。
 ヴィルヘルムが、この言葉を紡ぐ為にどれ程の体験をしたのか、どれほどの苦難から立ち上がったのか。ミルには決して分からない。
 だが、ヴィルヘルムの言葉が上っ面だけの軽い物ではない事は感じる事が出来た。

「勿論、それだけで強くはなれない。だから、常に考え続けろ。お前が、仲間の為に出来る最善の答えを」


 ◼︎◼︎◼︎◼︎


 他人には話したくなかった話をして、ミルの顔は赤くなっていた。

「良い話じゃないですかぁ」
「……」

 確かに、全くの悪い話ではなかった為、ミルは黙る。

「あの人、厳しい。鬼。凄く恐い」
「そうなんですねぇ」
「うん。魔物に襲われた時、ギリギリまで助けてくれない。ずっと、怒ってばっかり」
「そ、そう」
「また死ぬかと思った」
「……」

 ヴィルヘルムとの訓練(?)の事を話すミルは、いつもより饒舌だ。それは、ミルがヴィルヘルムの事を『厳しい』『鬼』『恐い』と表現してはいるが、恐れてはいないのだとハイリは感じた。

 自分より格上の存在に、嗤われる事なく、自分の意志を認められる。それは、同じ道を歩む者にとって、言葉に出来ない喜びがある。

「ミルは、ヴィルヘルムさんと一緒に頑張れそうですか?」
 
 ミルは、妖精国の若いエルフの中でも秀でた弓の才能を持つ戦士の1人だった。そんな彼女は、妖精国滅亡のその日から、自信を失ってしまった。
 護るべき故郷を護れなかった喪失感が、ミルの心を蝕んだ。
 口数は徐々に減って、突然怯え始める事もある。
 先程の様に悪夢に魘される事も決して少なくはない。

 そんなミルが、ヴィルヘルムと共に依頼を熟せるか、ハイリは友人として心配だった。

「ん……」

 ミルは、少し考える。

「大丈夫」

 だが、決断を下したミルの表情は、少しだけ自信に満ちていた頃の面影があった。

「ハイリも大丈夫?」

 突然質問を返されて、ハイリは返答に戸惑う。
 だが、必死に笑顔を作り「ええ」と頷く。
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