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第2章

第8話 操演の糸

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 国から逃亡して、3日目の朝。
 緊張していた身体を伸ばし、肺に新鮮な森の空気を行き渡らせる。

「ふー……」

 聖王都を離れてから、人目の少ない道を選び、2日目からは森の中を突き進んでいた為、連日野宿をしていた。その為、ベッドに慣れた体は悲鳴を上げ始め、疲れも蓄積されている。
 立ち上がり服に付いた埃や葉を叩いて落とす。

 地球に帰還した3年間で、再び現代社会の生活に浸ってしまった俺の身体に、いきなり野宿を連日行うのは肉体だけでなく、精神的にも負担がかかっていた。

「おはようございます、主」

 寝袋の様な布の塊から顔を出したのは、白髪赤眼の幼女――白蛇の聖獣であるメデルだ。
 報告に戻った次の日に呼び出すと、何故か人間の姿で現れた。事情を聞くと、アスレティアから姿を変化させるスキルや偽装のスキルを幾つか貰ったのだそうだ。
 本来なら、スキルの譲渡はほぼ不可能な筈だが、容易に行うとは、流石は神である。

「おはよう。何度も言うが、そこまで畏る必要はないぞ?」

 俺の言葉は、拒絶の微笑みで返された。
 寝袋から這い出て、慣れた手つきで片付けを始めるメデルの服装は、小柄な体格に合った軽装。胸当てなどの最低限の装備。その上に、薄緑色のローブを羽織っている。武器は装備していない。肩から下げているのは、アイテムボックスの役割を担う魔法道具だ。
 他者から見れば、金銭に余裕のある旅人と言った所だろう。

「あの、目的地は本当にヴァルフリート王国の辺境都市でよろしいのですか?」
「ああ。ここから10日はかかる国だが、聖王国も無闇に手出しは出来ない筈だ」

 本来なら馬車で20日以上かかる道のりだが、危険地帯と言われている樹海を抜ければ、徒歩でも半分程度の日数で到着出来る。
 平然と10日くらい、と言っているが襲い来る魔物を退けたり、魔力を温存しつつの行群となるので、日にちの誤差は計画の内だ。
 因みにこの世界にも四季に似た環境の変化がある。
 1日は24時間。1ヶ月は30日。1年は12ヶ月だ。これは、過去に召喚された勇者たちの話を参考に決められた、と昔読んだ文献に書いてあった。

「……その前に、1つだけ教えて頂いてもよろしいですか?」

 覚悟を決めた様にメデルが俺を見つめている。
 
「何だ?」
「主の目的は、何ですか?」
「俺が、10年前に召喚されたヴァルフリート王国に行くと聞いて、復讐をするとでも思ったか?」
「……」
 
 無言は肯定を意味している。
 俺は、「復讐」。その言葉が、自身の中で反響する。
 俺を裏切った国の連中を何度も恨んだし、憎んだ。
『憎しみは何も生まない』。そんな言葉は、偽善者か、憎悪を知らない奴の戯言だ。
 俺の内側には、確かに復讐という悍ましい黒い炎が燃えている。

「今は、そのつもりはない」
「本当ですか?」
「ああ」

 安心した様な表情とは対照的に、俺の表情は曇ったままだ。

「他に気にかかる事があるからな」
 
 10年前に、この世界を冒険した記憶の中で、後半、俺の力が全盛期だった頃から討伐されるまでの記憶の所々が欠けていた。
 何度思い出そうとしても、何故か思い出せない。
 その事をメデルに伝える。メデルは聖蛇の中で最も若いらしいが、俺が知らない知識を持っていたり、聖獣特有の感覚を持っている。

「……記憶が欠けている、ですか?送還された際のショックの所為でしょうか?」
「そうかもしれない。でも、この記憶が凄く重要な気がするんだ」

 思いださければいけない。不思議とこの世界に戻って来てから、そう強く感じる様になっていた。

「でも、今は落ち着いて思い出せる程、身の安全が確保出来ていない」

 この世界は弱肉強食だ。
 力を持った強者が、弱者から奪う。それが当然の権利であり、世界の常識である。


「兎に角、今は安全に都市に到着する事が最優先だ」
「はい」

 俺とメデルは、危険地帯である森を進んで行く。


 ■■■■■



 時刻が昼を過ぎて、日が傾き始めた。
 その時、此方に近付いてくる魔力に気付く。
 俺達の痕跡を辿っているのか、此方まで真っ直ぐに進んで来ている。

「主、どうなさいましたか?」
「……多分、敵だ」

 俺の指示で木の影にメデルが隠れる。そして、俺は〝身体強化〟を施し、剣を抜いた。
 逃げる事も考えたが、相手が何者かも分からない状態で逃げ続けるのは、体力の消耗や増援の機会を相手に与える為、得策とは思えない。それなら、此処で迎え撃つべきだ、と判断した。

「魔力が……3つ、か」

 2人分の魔力の中に、もう1種類の魔力が混ざり込んでいる。

「来ます!」

 大樹の間を走り抜けて来る敵の姿を、視界に捉える。
 1人は、赤髪金眼の少女だ。
 おそらく、魔力からして魔族。その為、見た目では年齢が分からない。小柄だが、メデルよりは身長が高い。顔は整っており、女性の特徴的な部分も適度にある。
 もう1人は、獣と人を合わせた様な種族――白虎の獣人だ。獣人の男の体は、纏っている襤褸の上からでも分かる程に鍛え抜かれた筋骨隆々の肉体。まるで全身が1つの武器の様に感じる。

 2人とも目が虚ろで、正気や自己の意思の様な感情を感じない。

「主、あの2人は操られてます」
「そうみたいだな」

 俺が目の前の2人の動きを観察していると、魔族の少女が話し出した。

『よぉ、トウヤ・イチノセだな?』

 声とそこから伝わる魔力だけで分かった。
 今話しているのは、少女を操る術者であり、只者ではない。

「……」
『おいおい無視かよ。…それともぉ?魔人って呼んだ方が良かったか?』
「……人に名前を聞くなら、自分から名乗るべきだろう」

 俺の言葉に、魔族の少女を通して術者の笑い声が響く。

『口が達者みてぇだが……まあ、良い。俺は、執行者第四席《操演》のハーディム』
「執行者……」

 『執行者』。
 確か、聖王国最強の騎士団。人間離れした力を持つ者ばかりで構成された聖王国の切り札。そんな連中が俺を追って来たという事は、俺の正体に気付いたのか。
 いや、ハーディムの言葉から、まだ断定はしていないのだろう。それでも、名前だけでここまで追って来る事は考え難い。つまり、何かしらの情報を奴等は掴んでいるのか。それとも、可能性は全て潰しておくつもりなのかもしれない。

 情報が不足している現状では、空想でしか判断が出来ない。それなら、今は、分からない事より目の前の事に集中する。
 ハーディムは、自らの称号を《操演》と言った。
 『執行者』に与えられる称号は、その者の主要な武器や戦術、能力に関係している。現状を踏まえて考えると、ハーディムは支配系統のスキルの使い手だと推測出来る。

 前提として、ハーディムが真実を語っていれば、だが。

『さて、てめぇが魔人かどうかは、戦えば分かるよな?』
「さっきから魔人、魔人って何を言っているんだ」
『ぎゃはは!口ではいくらでも言えるさ………殺れ』

 ハーディムの言葉と同時に、獣人が槍を構える。体勢が徐々に前のめりとなり、瞬き程の時間で間合いを詰められた。

「ぐっ!」

 ――ガキィィン!
 剣と槍がぶつかり合う高い音が響く。

 だが、獣人族の力を押し返す事が出来ず、逸らすのが精一杯だった。
 獣人族の高い身体能力に、魔力を身体に循環させて〝身体強化〟を施してしている。それに加えて、槍の扱いも一流だ。槍特有の長い間合いと獣人族の高い身体能力を生かし、体術を上手く組み合わせた戦い方をして来る。
 俺は一度距離を取ろうとするが、その間合いを瞬時に詰められ、再度の鍔迫り合いとなった。
 何とか反撃に転じようとした所、獣人が後ろに飛び、魔族の少女から闇属性魔法が放たれる。

「第六階梯魔法〝闇槍ダーク・ランス〟」

 第六階梯の魔法か。
 俺が現在使えるのは、第五階梯までの魔法だ。
 第五階梯は、人間が到達出来る限界だと言われている。第六階梯以上は、魔法に優れた種族や天才と言われる者達の領域だ。

「第二階梯魔法〝強風ハイ・ウィンド〟」

 強風を起こし、素早く後方に飛び攻撃を回避する。

『どうした?その程度かよ』

 少女の口を通し、ハーディムの笑い声が木霊する。

 その後も俺は攻める為の決定打がなく、防戦一方となっていた。
 ここは、正体を晒す事となるかもしれないが、聖剣を抜くしかない。覚悟を決め、聖剣を召喚しようと意識を集中しようとした瞬間、虎の獣人が両手を胸の前で打ち鳴らす。
 まるで、合掌の様な動作を行った瞬間、全身が雷に包まれる。

「っ!」

 獣人族のみが扱える固有スキル『魔装』。その効果は、発言者によって異なる為、見た目のみでは判断が出来ない。

「〝飛雷脚ひらいきゃく〟」

 一瞬、獣人の体を包んでいた雷の魔力が膨れ上がり、先程よりも早い高速移動で距離を詰められ、突きを放つ。

「!?」

 避けきれず、槍の穂先が左腕の皮膚を抉る。更に、攻撃は止む事なく、連続で放たれ、聖剣を召喚する隙がない。

「第六階梯魔法〝暗黒魔球ダーク・スフィア〟」

 体の大きな獣人によって死角となっていた背後で、獣人を巻き込んだ魔法が俺に直撃する。その所為で、反射的に目を閉じてしまった。
 戦闘中に視界を閉じる、という最悪の愚行を犯した事を後悔するより早く、首を掴まれた衝撃に体の血が冷えた様な感覚に襲われる。
 直ぐに砂煙が舞う中で目を開く。
 俺の視界の先には、魔法を諸に受けながら俺の首を掴む獣人の姿が映る。

『〝傀儡隷呪印マリオネット・ダムス〟』
「くっ……」

 獣人の体を使って発動されたハーディムのスキル。
 獣人の手が触れている首からハーディムの魔力が流れ込み、俺の体から力が抜けて行く。
 徐々に、俺の体がハーディムに支配されて行くのが理解出来た。

『ギヒヒ。仕舞いだ』
「……っ!」

 確かに、ハーディムのスキルの力は凄まじい。

 だが、俺には『支配耐性』があり、簡単に支配される様な生半可な精神力はしていない。
 まるで、俺の体を縛って行く様な感覚を無理矢理引き千切る。そして、首を掴んだままの獣人の腕を斬り落とす為に剣を振るう。
 
『っ?!』

 寸前の判断で、獣人は俺から距離を取る。

『何だと!?』

 ハーディムが、自分のスキルが破られた事に対し驚愕する。その所為か、2人の動きが止まった隙に、目眩しの魔法を放つ。

「第三階梯魔法〝黒煙スモッグ〟」

 辺りに黒煙が漂う。ただ姿を隠すだけなら濃霧でも良かったが、黒煙は獣人の鼻を一時的に無力化出来る為、こちらを選択した。

 だが、黒煙は濃霧に比べて魔力操作で留めていたとしても直ぐに散ってしまう。
 一旦大樹の影に体を隠し、背中を幹に預けて肺に溜まっていた二酸化炭素を吐き出す。

 正直、危なかった。
 後数秒でも抵抗レジストが遅れていたら、幾ら耐性を持っていたとしても、ハーディムに自由を奪われていたかもしれない。
 本来、支配系統のスキル、固有スキルは扱いが困難で、使用者の才能に大きく影響される。それはつまり、ハーディムの他者を支配する才能が突出している事に他ならない。

「主、お怪我は?」

 〝黒煙〟で視界と嗅覚が塞がれた中で、メデルは白蛇の姿で俺の元にやって来た。

「擦り傷だ」

 既に、左腕の傷は魔法で完治している。

 だが、あまり悠長な事はしていられない。
 予想以上に追い詰められつつある状況に、敵の動きに意識を向けつつ、思考を繰り返す。
 此処からの逃亡は、ほぼ不可能。直ぐに痕跡を追われて、その間に増援を呼ばれる可能性が高い。
『聖剣』を使いこの場を潜り抜けるのも得策とは言えなくなった。執行者〝第四席〟のハーディムが操る傀儡であの強さ。しかも、おそらく本人は離れた距離から遠隔で指示を送っている状態だ。
 次に、本人か、それ以上の実力者が出てくれば苦戦は必至だろう。だがらといって、降参する訳にはいかない。

「主、私に何か出来ないでしょうか?」

 メデルの言葉に、俺は返答を悩む。
 命を賭けた戦闘の要を他人に頼って良いのか、と。
 
「……俺が、奴等に接近する時間は作れるか?」
「……」

 メデルは、一度口を開くが、声が出なかった。
 最初から、弱い聖蛇メデルに期待など微塵もしていない。
 眷族だろうが、他人だ。
 信じ、命を預ける事なんて出来る訳がない。

「やらせて下さい」
「……出来るのか?」
「……」

 メデルは、「出来る」とは言わなかった。
 ただ、真っ直ぐに俺を見つめている。その目に嘘や迷いは感じられない。

「…………分かった」
 

 
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