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天界 編

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扉が開いたのを感じてまどろみから覚醒する。
毛皮から体を起こしたカミーユに灰虎が近づいてきた。
「寝ていましたか」
「あー、うん」
「眠れなかったのですか」
疲れた顔を灰色の目でじっと見つめられ、カミーユは認めるしかなくなった。

天界に来てからそれしか口にしていない甘い水。その水の入った水差しを、灰虎がいつも新しいものに替えてくれているのだ。
そしてあまりに退屈なカミーユのために、どこからか本を持ってきてくれる。
天界には本なんてないらしい。
皆すべて覚えてしまうし、生まれた時から全て知っているので必要ないのだそうだ。
真偽のほどは疑わしいのだけれど。
本はどれもカミーユが読める人間界の公共語と言われる文字で書かれている。どこで調達しているのか以前に聞いたところ「私にも人間界につてがあるのですよ」とこれ以上は何も教えないとばかりににっこり微笑まれた。

「黒虎は?」
今日は一度も部屋に来ていない王様の様子を聞いてみる。
「所用ができまして、出かけております」
また“これ以上はお答えしません微笑み”を向けられ、カミーユはふうと息を吐いた。
「お腹の調子はいかがですか」
調達してもらった本を一冊手に取った時、灰虎に訊ねられた。
カミーユが灰虎を振り返る。

知っているんだ。
俺の体の中に“子を成す器官”が有ることを。

灰虎が視線の高さを合わせるように片足を床につき、カミーユを見つめる。
「くろとら様がお話しになっていないようですので、差し出がましいですが私が代わりにお話しいたします」
カミーユは自然と身を正し、灰虎の言葉を待つ。

「ここは“姫籠”と言われる子を成すための部屋です」

籠、籠、と黒虎も従属猫たちも言っていたけど、そんな意味があったとは。

「王が子を成すと決めたお相手を囲う部屋なので“籠”なのです。情欲がより増すよう魔力が張られています」
カミーユの顔が火照ったのを見ても灰虎は構わず続けた。
「くろとら様には未だに御子がひとりもおりません」
「……王妃はいないって言ってたけど…」
「お戯れはありましたが、くろとら様はこれまでひとりも伴侶を迎えておりません」

それには軽く驚いた。
初めて会った時から軽薄だったし、たくさんのそばめがいるものだと思っていたからだ。

「くろとら様はとてもオモテになりますし、打診は引きも切らないのですけれど、以前から性交にあまり関心がなく」
「ええっ?そんなことないでしょ!」
思わず大きな声が出てしまった。
目を丸くした灰虎がふっと微笑む。
「ですので、城の者がかなり驚いていたのですよ。とうとうくろとら様が子作りをすると」
「子づ…!直接的な表現はやめてほしい!」
灰虎はまだくすくすと笑っている。
「ですが、人間のそれも男を連れてくるとは予想外のことで、色々と困ったことも出てきまして」
「まあ、そうだよな。異種どころか男同士だもんな」
世界も違うし。
「カミーユ様が考えているようなことで困っているわけではないのですけれどね」
灰虎は理解できていませんという表情のカミーユをいつもの微笑みで躱す。
「くろとら様がいらっしゃらない間は、お庭に出る際に必ず私かくろとら様の従属たちをお連れください。従属は少なくとも10匹は伴ってくださいね。もしこの約を違えましたら、ご本の差し入れもお庭の散策も無しにしますのでそのおつもりで」



部屋に居てもダラダラしてしまうだけだ。
カミーユは中庭に気分転換もかねて出ようと立ち上がったところで、はたと気づいた。

そういえば猫たちをどうやって呼んだらいいんだろう。
とりあえず呼びかけてみるかと「猫さんたち」とそっと声を出してみると、あっという間にわらわらと湧いて出た。
「ねこ では ない!」
「ねこよばわりとは しつれいな!」
「やはり かとう」
「そんなこといったら くろとらさまに おいだされるぞ」
「だって おれを ねこって」
一斉ににゃあにゃあ喚きだす猫たち。
「ねえ、庭に出たいんだけど、一緒に行ってくれない?」
「なぜ おまえごときと」
「ねこ よばわりを やめたら いって やってもよい」
「いっしょに いって あげても いいよ」
「ぼく いっしょに いきたい」
「にわで かくれんぼ しよう」

耳を傾けると猫によってカミーユに対する態度に違いが出てきていることに気づく。

「じゃあ、俺と一緒に庭に出てもいいよって子だけでいいよ」
「こども あつかいをするな」
「いく いく!」
「かくれんぼしよ!」
「まあ いっしょに いって やってもよいぞ」
「わーい わーい かくれんぼ!」

かくれんぼって天界にもあるんだな。

なんだかんだ言いながら、結局湧いて出た猫のほとんどが庭についてきた。
猫がカミーユの後をぞろぞろ付いてくる。
カルガモみたいだ。


広い広い中庭で、かくれんぼとおにごっこをやらされた。やらされたけれども、体を動かして走って笑って鬱憤が発散できた。猫たちはさすが聖獣。カミーユが散々駆け回ってはあはあと息を上げるそばから、次も次もと容赦ない。

「もう いっかい」
「つぎは かみーゆが おにだ」
「おにさんこちらー」
「てのなるほうへー」
「もうだめだ」
「かみーゆ よわい」
「かみーゆ だらしない」
「もう猫たちだけで遊んでて」
「「「「ねこではない!」」」」

芝生に座り込んだカミーユに、一匹の猫がトレイに乗せた水差しとコップを持ってきて(二足歩行!)、甘い水を注いでくれた。
「ありがとう」
にっこり笑って受け取ると、その猫はカミーユの傍に寝そべった。
身体を動かした後の甘い水は、いつでもおいしいけど、よりおいしく感じた。

鬼ごっこを続ける数匹の猫たちを眺めながら、黒虎の言葉や、灰虎とのやり取りを考える。

黒虎はどうして俺を子作りの相手に選んだのだろう。
わざわざ異世界の、異種の、それも男の俺を。
「たましい」
カミーユは独り言を呟いていた。
すぐ傍で寛いでいた甘い水を運んできてくれた猫が、ふっと顔を上げ、カミーユを見上げる。
「かみーゆの たましいは すんでいて ここちいい」
カミーユの紺青の目が寛ぐ猫の目とぱちりと合った。
「くろとらさまが ひめかごに いれたのは かみーゆだけだ」
それは、どういうことなんだろうな。
「くろとらさまは とても いい おうさまだ。くろとらさまの すべる てんかいは とても よい き で みちている」
「そうなのか」

黒虎自身は退屈でつまらないと思っていたみたいだけど、住む者にとってはいいところなんだろう。

今だに中庭を目いっぱい使って駆け回っている猫たちに視線を戻す。

黒虎と次に顔を合わせる時は答えを出さないといけないだろう。
黒虎はそのために時間を与えてくれているのだとカミーユは理解していた。

男の自分が子を産むなんて考えたこともなかったけれど…。
レアンドロのことが頭をよぎる。
自分が女だったらと思ったことは一度もない。
それでも自分が子を成せたのなら、レアンドロと公私共に伴侶になれたのかもしれないと考えてしまった。
もう戻れないし戻るつもりもない。

ただ、カミーユは、この先どうやって生きていけばいいのか、どこで生きることができるのかを考えずにはいられなかった。

黒虎との子供を成すことは、ここにいていい理由になる。
でもそれでいいのか。
それだけで・・・・・いいのか。


何度考えてもそれだけ・・では納得できない自分がいた。



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