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天界 編

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カミーユが願い出た内容に、黒虎はその黄玉の瞳を瞬かせたがすぐに呆れたように笑みをこぼす。
「特に何もせずともここにいればいい」
「そういうわけにはいかないだろう」
カミーユが食い下がる。
「俺にできることはあまりないかもしれないけど、これでも体は鍛えてて丈夫だし、いろんな本も読んで勉強もしたから、何かで役立つかもしれないし。とにかくここで雇ってもらえないか」

身を正して真摯に頼みごとをするカミーユに、黒虎はやわらかく微笑む。

…ここに連れられてきてから、黒虎のこんな顔を時折見るようになった。
人間界ではいつも、冷めた笑いか渇いた笑いか小ばかにしたような笑いしかしなかったのに。

カミーユは黒虎のこんな笑みに少し動揺してしまう。
…心を通わせることができてからのレアンドロから向けられた笑みを思い出してしまうから。

もうコンスティアンの王宮には戻れない。
人間界での目標も失い、戻っても特に行きたい場所もやりたいこともなくなってしまった。

でも、とにかく命ある限り生きていかなくては。生きるためには働いて稼がなければならない。

16歳になった春に辺境村から出稼ぎで王宮に入って早三年。二年間は出稼ぎの報酬として故郷の辺境村に金品が支払われていたが、それも一年前からなくなっている。
出稼ぎとしての務めは果たした。
コンスティアンの王宮に帰らなくても故郷には迷惑が掛からないことにカミーユは安堵する。
だから今は自身の身の振り方、自身が生きるすべだけを考えればいいことに安堵しているのだ。
もう衛兵養成所にも戻れない。
養成所に入る資金は出稼ぎ期間終了後、王宮にいる間貰っていた“手当“で賄ったのだ。
そんなものはいらないと何度も突っぱねたのだが「これは譲れない」とまだ宰相位だったランベルトに押し切られ、しぶしぶ受け取っていた手当だ。衛兵養成所に入るまでは一度も手を付けていなかった。
陛下を裏切った今、養成所に戻る資格もない。それに、衛兵を目指すいちばんの理由を自らってしまったのだ。

「ここにカミーユの労働に対価を払うような職はない」
「人手…じゃなくて従属の手は足りているってこと?」
「もともとここには仕事などない」
「え、でも、黒虎の身の回りのこととか、まつりごとの手伝いとか」

灰虎さんから、黒虎は天界の王で、ここは王の住む城だと聞かされた時は目が点になった。
なんで天界の王が、人間界の一国でしかないコンスティアンで契約獣なんてやっているのか灰虎さんに訊ねると「暇つぶしかなんとなくか気紛れでしょう」と返ってきた。しかも契約といっても主従関係ではなく、人間に天界の王を従わせるような力など存在しないとはっきりきっぱり言い切られた。

黒虎の魔法に全く酔わないのも、魔法を発動するのが速いのも、俺に魔力耐性を簡単に植え付けることができたのも、絶大で絶対な力とそれを制御する力を持っているからだったのだ。
天界の王だから。

「俺は自身で何でもできるし、政など必要としない」
「ええ?だって黒虎は王様でしょ?政は大事でしょ」
「人間界のようにちまちま小競り合いなどせずとも、この世に住む者たちは自分の力も俺の力もわかっている。だから無駄な争いなどないし、皆賢いから自然と秩序は保たれる。愚かなものは淘汰される。または俺が淘汰する」
そこまで聞いてなんとなく納得したが、カミーユは困ってしまう。
職がないとなると、稼げない。ということは生きていけない。
「…働けるようなところはこの世界にはないってことか」
「まあそうだな」
「じゃあ、人間界に戻るから送って行ってくれ」
「断る」
間髪入れず否と即答されてカミーユは声を大にした。
「だってここにいても稼げないんじゃ生きていけないだろ」
「ここなら働かなくとも生きていける」
「そんなわけないだろ」
「とにかく、人間界には連れて行かない」
「じゃあどうするんだよ。働けないし暇つぶしになるようなことも部屋にはないじゃないか。気が狂っちゃうよ!」
カミーユの言葉に、黒虎が何か考え込む様子をちらりと見せた。
「確かに。ここにいるだけでは魂がくすんでしまうな」
魂云々はわからないけど、カミーユはそうだそうだと首肯した。
「身体に異変がないなら、外へ出かけよう。体調はどうだ」
「元気いっぱい」
黄玉の目で紺青の瞳をじっと覗かれる。
「…腹が痛いのか」
意図していないのに片手が下腹を抑えていた。
「たいしたことない。ちょっと冷えたみたいで」
ここで認めたら外出がなくなってしまう。
カミーユは早口で言い訳をしたが、下腹にあてていた手を掴まれ、代わりに黒虎のもう片手がカミーユの下腹に添えられた。
じわと温かい熱のようなものが黒虎の手を通して腹の中に染みていくような感じに少し驚くが、黒虎は天界の王天界の王と脳に言い聞かせる。
見上げると黒虎の表情が少し陰った気がした。
「黒虎?」
「外出は無しだ」
「ええ?たいしたことないって。大丈夫だよ」
「駄目だ。温める。湯あみをするぞ」
人間界にいた時は運ばれる際は肩に担がれていたのに、なぜか背中に回された腕が脇下を掴みもう片腕で膝裏を掬われる。
「歩けるって」
文句一言いっただけで浴室に飛んでいて、ふたりともすでに全裸で広い浴槽に浸かっていた。
「……なんで黒虎も一緒に浸かっているんだよ」
「カミーユと湯あみをしたことがなかったなと思ったからな」
大きな浴槽には、大量の湯が大きな蛇口からどぼどぼと流れ込んでいて、傾斜がついている場所に重力に沿って溢れた湯が流れ、下へ落ちている。
「湯がもったいない」
「循環させている。浄化してからまた浴槽に溜まる仕組みだ」
すごい。人間界にはない発想だ。
広い浴槽なのに、黒虎は足を大きく開いた間にカミーユを座らせ、腹を撫でてくる。
湯の温かさだけではない、多分黒虎の魔力の熱に、カミーユの冷えた腹が内からも外からも温まっていくのを感じた。
肩越しに黒虎を振り返る。
「…黒虎って優しかったんだな」
「カミーユは特別だ」



カミーユの下腹を撫でながら黒虎がぽつりと呟く。
「カミーユにはこれから特別な役をやってもらうからな。そのために優しく扱っている」

特別な役。

なんのことだかよくわからなかったが、黒虎が零した言葉の音には利害関係だけではない温かいものを感じ、戸惑うカミーユだった。





天界に来てからいったい何日くらい過ぎたんだろう。
かなり経ったはずだが、籠には時を知らせる時計もないし、天界には季節がないのかいつも同じような感じで、日付感覚が麻痺してくる。
衛兵養成所に連絡をしていないけれど、どうなっているのか。
カミーユが王宮からいなくなったことはエドが報告をしているはずだから、ランベルト最高位宰相が何とかしてくれたとは思うけれど。
もう暖かくなっているから、遠征練習が始まっているだろう。イシクは相変わらず複数人と付き合っているんだろうな。ネストレは休みのたびに飲みに行っているかな。ネロは。……ネロの失恋のショックは癒えたかな。結構ちゃっかりしているから、もう新しい恋人がいるかもしれないな。

籠と言われている部屋の大きな窓からはまばゆい日差し(太陽の光なのかもわからないけど)が差し込んでいる。とても暖かい。その暖かい日差しを受けながらカミーユはぼおっと考える。

天界に来てからすぐ、じくじくした痛みというかかゆいというか腹の調子がよくなかったのだが、今ではすっかり良くなった。はずなのに、なんだか体全体が重いというか、だるい症状が続いている。

養成所に入ってから朝から夕方まで身体を動かすことが当たり前になっていたのに、今ではほとんど外にも出ていないし、運動不足なのかもしれない。
そう思って、たびたび外に出て走ったり木に登ったりと運動をしているのだが、全体の倦怠感が抜けない。
天界にいるからなんだろうなとカミーユは自身を納得させていた。天界に合わない体質の人間は多いらしい。今までそんなに天界に人間がいたことがあるんだと聞くと「ずっと昔な」と黒虎の口から返ってきた。

「腹の調子はどうだ」
いつの間にか現れ隣に座っている黒虎が、カミーユの黄金色の髪をひとつまみしながら聞いてきた。
最近は突然現れても驚かなくなった。……気配を感じるようになってきているからだ。

諜者になれるかな。

「すっかり治った。でも全体に倦怠感がある」
「無理をするな」
「してないけど、やることなくて暇だよ」
黒虎はカミーユの髪を指に巻き付ける。
「この世は退屈だ」
「だから人間界に遊びに来てたのか」
「そうだな」

『暇つぶしかなんとなくか気紛れでしょう』と言っていた灰虎さんの回答は正解だったということだ。

「カミーユをからかうのが割りと楽しかった」
「最近はまったくからかったりしないな」
「そうだな」
「なんでいつも髪をいじるんだ」
「肌触りがよい」
天界に来てから髪の伸びが異様に速くなった。肩にかからないほどの長さだったのに、今は背中の真ん中ほどにまで伸びている。
「黒虎の方がさらさらだぞ」
「カミーユの髪がよい」
髪を弄ぶ黒虎の表情がやわらかくて、カミーユはその黄玉の瞳を見つめる。視線を感じた黒虎と目が合った。

黒虎が人間のような感情を持つかはわからないけれど、大切にされているのだとカミーユは感じていた。
“特別な役”のカミーユを。

どちらからともなく顔が近づき、唇が重なる。唇を開けば黒虎の舌が侵入してきて、歯並びを確かめられた。もっと口を開いて舌同士を絡め合う。
静かで穏やかな日の差し込む籠の中、滑らかな毛皮に倒されながら黒虎の身体を受け止める。濃厚に交わる舌を外した黒虎が一度身体を引き、カミーユと目を合わせた。

「カミーユの中に入りたい」
「…獣化しないなら、いいよ」

カミーユの答えに、黒虎の顔に安堵と喜びを見たような気がして、カミーユもやわらかい笑みを返していた。

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