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西の辺境-衛兵養成所 編

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カミーユがレオニダ衛兵養成所で訓練を受けてひと月半が経とうとしていた。

コンスティアンは四季のある国だが、レオニダは地理的に比較的温暖で、真冬といえども雪はめったに降らないそうだ。この日も広い訓練場で基礎体力向上のためのトレーニングを終え、昼休憩に入っていた。

養成所は基本的に休日以外は外出禁止だ。教官はじめ訓練生が皆、施設内の食堂で食事をする。レオニダ衛兵養成所は小規模施設のため訓練生は80人にも満たないが食堂はいつでも混雑している。
調理場の前がカウンターになっていてそこに料理が並べられ、トレイに乗せた皿に好きなものを好きなだけ自分でよそっていく方式だ。料理は無くなれば別のものが出てくる。それが同じものとは限らないので「さっきのが食いたかった」とか「後から来た方がうまそう」とか色々文句が出たりもする。

カミーユはずらりと並んだ卓の空いた椅子に座り早速食べ始めた。すると、向かいの席に座っていた男をさっさと追い出して別の誰かが座ったなと思うなり、その男がカミーユに話しかけて来た。
「カミーユ。今夜こそ飲みに行こうぜ」

明日は週に一度の休日で、今夜から明日の消灯時までは届けさえ出せば外出できる。向かいに座る男は、カミーユをいつもしつこく飲みに誘ってくるのだ。

「ネストレ、休みの日は家に帰るって言ってるだろ」
「たまには帰んなくてもいいだろ」
「約束してるんだよ」
「け。付き合い悪いな」

会話をしながらも、カミーユとネストレの皿の中の料理はどんどん胃の中に収まっていく。
最初の十日くらいはあまりのきつい訓練に食欲減退したが、今は食べないと体がもたない。
山盛りにした皿の料理がどんどんなくなっていく。
おかわりしようかと調理場の方を振り返ろうと首をひねると、いつの間にか隣の席にイシクが座っていた。
イシクのトレイにはいくつかの釦が乗っている。
それに気づいたネストレが悪態をつく。
「相変わらずおモテになることで」
面白くないとばかりにネストレがふれくされる。
カミーユが調理場を見れば幾人かの給仕や調理人がこちらを、いや正確にはイシクをちらちらと見ているのが分かった。
イシクのトレイに乗っている釦は衛兵養成所伝統の“逢引”の合図だ。

衛兵はともすれば王都勤務、さらには稀ながら騎士にも取り立てられるかもしれない職で、市井の女性には相当な人気がある。よって養成所の職は競争率が高いのだそうだ。
レオニダ衛兵養成所に勤務する女性達の今年一番の人気者はイシクのようだ。

「!その水色の!テクラまで?」
ネストレが思わずといったように目をくわっと吊り上げてイシクを睨む。

テクラとはレオニダ養成所内で今年いちばんの美人と評判の清掃係だ。
確かに綺麗だとは思うが、王宮や精霊村で相当の綺麗処を見てきたカミーユは、特に目を惹かれるまでは至っていなかった。
お仕着せは職種ごとに皆同じなのだが釦の色は個々に違うので、釦を見れば誰のものかが一目瞭然というわけだ。

「おまえにやろうか」
イシクがいつものごとく意地悪気に口角をくっと上げネストレを見やる。
「おまえが貰った釦なんか横流しされても嬉しかねーよ」
「部屋が暗かったら気づかないかもしれないぜ」
「てめえ馬鹿にしてんのか」
「やめろよ」
ネストレが身を乗り出してイシクの胸ぐらをつかもうとするのをカミーユが諫める。
ネストレは面白くないといった態度でトレイを持ち立ち上がった。
「カミーユ、次の休みは絶対飲みに行くからな」
「やだよ」
「聞こえねえ」
ネストレはイシクをじろとひと睨みして食器を片付け食堂を出て行った。
カミーユは軽く息を吐くとイシクを横目に見る。
「ネストレに突っかかるのやめろよ」
このひと月半ですっかり打ち解け、カミーユのイシクへの口調は気安いものになっている。
「あいつが勝手に俺のことをライバル視するから」
イシクはさも当然といった態で食べ始める。
カミーユは軽くため息をついた。

ネストレだってイシクに劣らず見栄えのする男だ。筋肉隆々の体躯に目鼻立ちのはっきりした男前なのだが、なぜかネストレは養成所内の女性にあまり人気がないらしい。

話すと幻滅されるタイプなのかもな。

ネストレとイシク、双璧と思われた今年の養成所人気は早々にイシクの一人勝ちになっているようだった。

「行くのか」
不意に発せられたイシクの一言にカミーユの眉間が寄る。
「は?何のこと?」
「ネストレとの外出」
カミーユは思わず笑う。
「行かないよ。休みにはいつも家帰るし」
「そうだな」
イシクはカミーユと会話をしながらも卓上の皿から目を逸らすこともなく、綺麗な所作でありながらどんどん口に運んでいく。あっという間に平らげたイシクがさっと立ち上がった。
「行くときは声をかけろ」
「…は?」
おかわりをしようとカミーユも立ち上がった時だった。
「ネストレと出かける時は俺も一緒に行く」
「……は?」

なんでイシクも?
いや俺がネストレと飲みに行くことはないだろうけど。

そんな疑問を伝えることもないままに、イシクは食器を片付け食堂から出て行ってしまった。

……なんなんだ。結局イシクはネストレと飲みに行きたいのか?

見た目だけではなく、イシクとネストレは今年のレオニダ衛兵養成所訓練生の中で1、2を争う優秀者だ。教官に指名されて見本を示すのはいつだってイシクかネストレだ。

本当は仲良くしたいのにいつも突っかかってしまうから俺をクッションにしたいのか?
素直じゃないなあ。
カミーユは思わす口元を緩ませる。

へらへらしながら皿に料理をよそうカミーユを、何とも言えない目と表情で幾人もの給仕や調理人が見ていたことに、本人は気づいていなかった。



外出届を出したカミーユは夕食を済ませ、養成所の門を潜る。一緒に出てきた養成所仲間と辻馬車乗り場を目指し歩く。
「カミーユの家はカサルだっけ」
「カサルじゃないけど、そっち行きの馬車に乗る」

王都はレオニダから一日で行って帰って来られる距離ではないので、カミーユは誰かに聞かれると「カサルの方」とあいまいな表現を使ってごまかしていた。カサルはレオニダから二つ先のわりと大きな町だ。

「ネロもいつも帰ってるな」
辻馬車乗り場へ一緒に歩くネロはカミーユと同い年で、笑うと綺麗な白い歯並びが目立つ明るい男だ。
「まあね。恋人に会いに」
「え!?」
突然の告白にカミーユは大きな声を出してしまう。
「そんなに驚くことでもないだろ」
「う、ん。そうなんだけど」
「カミーユもそうだと思ってたんだけど違うのか」
「え」

そうだけど肯定したらやたらと根掘り葉掘り聞かれそう。
カミーユは言葉を濁す。

「男ばっかりのトコにいると、変なのに目を付けられる可能性もあるし、それに正直、溜まるじゃんか」

変なの?
“溜まる”は理解できたが変なのというのはピンと来ない。

カミーユの表情で理解したのだろうネロは真面目な顔で話し出した。

「俺とかカミーユとか割とまだ線が細いし、それにカミーユは顔がきれいだろう。そーゆーのは男に狙われることがあるらしいから気をつけろって地元で散々言われてきたんだよ」
ネロの話しにカミーユはまさかと笑う。
「女がダメな男ってそんなにいないだろ」
「馬鹿。女の代わりにされるってことだよ」

おんなのかわり

カミーユの胸がちくっとした。

…いや、俺は代わりじゃない。レアンは俺を女の代わりにしてるわけじゃ。

カミーユは心の中に沸いた疑問に自分で否定する。

「…無理矢理そんなことしたら、追い出されるだろ」
「まあそうだろうけど、襲ったヤツが追い出されても、襲われた方だって残れないだろ。男の矜持ってもんがさあ」

その後も辻馬車乗り場までネロはいろいろと話していたが、カミーユの記憶にはとどまらず流れていくばかりだった。



カサル行きの辻馬車に乗り、隣町に入って二つ目の乗降場でカミーユは馬車を降りる。陽もとうに落ち、外灯も少ない町中を森の方へひとり歩いていく。
ネロの言っていた“女の代わり“のことを考えながらぼうっと歩いていたせいか、後ろから複数の足音が近づいてくるのに気付くのが遅かった。あっという間に男二人に挟まれた。

「なあ。どこ行くの」
「そっちは森しかないよ。俺らと一緒に飲みにいかないか。いい店があっちにあるんだよ」
「いえ。人を待たせてるんで」
「いいじゃないか」
「ちょっとやめろって」

きつめに腕を掴まれ、振りほどいたはずみで男の顔に指先が強めに当たってしまう。
「いてえな」
「あ、悪い」
怪我を負わせたことで軽く動揺して動きが鈍くなったカミーユは、もうひとりの男に頭からすっぽり被っていた外套を外されてしまう。
頬にかすり傷を負わせてしまった男とカミーユの目が合う。男の粘っこい目つきにカミーユの背に軽く悪寒が走った。
「上玉」
「身のこなしが上品だったし、いいもん拾ったぜ」
「いい加減にしろ」
下種な臭いをかぎ取ったカミーユは隙をついて男二人の間をすり抜け、森に向かって走り出した。

「待て!」
「逃がすかよ!」
カミーユは足が速いが外套が邪魔でうまく走れない。はためく外套の裾を追ってくる男のひとりが掴みそうになった時、突然森の方から暴漢ふたりに目掛けて強風が吹きつけた。

*
「ぅあ!」

飛ばされそうなほどの風に暴漢たちが瞑った瞼を開けた時、”上玉“の金髪男の前に大きな岩のような男が立ちはだかっていた。

「俺の連れに何か用か」

口を開いてもいないようなのに頭の中に入ってきたおぞましいほどの音と何だか得体のしれない恐怖に、暴漢ふたりは捨て台詞を吐いて町中に向かって転がるように走り出していた。

*

「ありがとう」
男ふたりの背中が小さくなった頃、カミーユの前に壁になってくれた大男に礼を言う。
レアンドロの契約獣で今は人間に変化へんげしている黒虎が振り向き、呆れたような顔をした。
「カミーユちゃんは男にえらくもてるんだな」
「なにいってんだ。単なる物盗りだろ」
「あれはカミーユちゃんを犯してからどっかに売り飛ばす気だったぞ」

おかす!?

目を剥いたカミーユに黒虎がにやりと笑う。
「カミーユはいいにおいがする。ニンゲンにはそのにおいはわからないようだが本能で感じ取るんだろう。用心しないと簡単にどっかに連れ込まれるぞ」
黒虎の大きな手がカミーユの細い顎を掴む。
「あんな下等生物より、俺と交われ。下種やレアンドロでは与えることなどできない快楽を味わわせてやる」
「あーもう聞き飽きたよそれ」
顔をふいと背けて黒虎の手を顎から外したカミーユは、乱れた外套を整え頭巾をしっかりと被り直した。
「早くレアンのところに帰りたい。行こう」

森の奥、人目につかないところへと足早に向かうカミーユの背中を見ながら、黒虎はやれやれと嘆息しゆっくりと歩き出した。
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