契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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後日談

二度目の新婚生活

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 復縁しても、私たちの生活は特に何も変わらなかった。

 エリオンは近衛の客員騎士から枢機官に抜擢され、収入は倍増したらしいが、偉い立場エリートになればおのずと出費が増える。彼から「枢機官の妻なのに、良い暮らしをさせてやれなくてすまない」と謝られたが、気にしてはいない。使用人時代の半年間も充分すぎるほど良い暮らしをさせてもらっていたし、それに。

 ──エリオン様と一緒にいられる。

 復縁前はどうなるのかと少し不安だったが、実際にしてみると幸せそのものだった。新たに借りた、まだまだ新築のきれいなお屋敷でエリオンが作ったご馳走を食べる。ただ、それだけの毎日。掃除や洗濯も専門業者が来てやってくれるので私がするべき仕事はエリオンが持ち帰った書類整理の手伝いをするぐらいだ。楽、楽すぎる。

 ちなみに復縁してから今日で三ヶ月になるが、まだ閨の事は何もしていない。毎晩手を繋いで同じベッドで眠るが、それだけだ。



「──え? 復縁してから、まだキスすらしてないの?」

 私の惚気話を聞いていたヘレナは、レモネードが入ったカップをもちながらパチパチ瞬きする。

「うん」
「いやー、おかしいでしょー。アレクシア達って別にセックスレスが原因で別れたわけじゃないんでしょ?」


 前の結婚の時は半年間、褥を共にはしていなかった。……まあ、色々事情があったとはいえ、別れる数日前にたくさんするという、何ともバランスの悪い性生活をしていたが。

「だってエリオン様が生活が安定するまでは、『そう言う事は出来ない』って言うんですもの」

 客員騎士から枢機官になったエリオンはそこそこ忙しそうだ。休みの日も買い出しや食事作りをする以外はずっと勉強漬けで、法学や経営学関係の難しい本を読んでいる。将来は内政関連のポストに就きたいらしい。社会的に立派な立場の人間になり、エヴニール家やうちの実家の両親に認めて貰える人間になりたいのだと、エリオンは熱く語っていた。


「別に避妊薬があるんだし、ヤルことぐらいヤッても」
「……エリオン様にはエリオン様のお考えがあるのよ」

 そうは言いつつも不満はある。復縁する時、エリオンは家族を増やしていきたいと言っていたのに、どうして未だに私のことを抱いてくれないのか。せめてキスぐらいしてくれてもいいのに。

 ──気にしているのかも……。

 離縁前のあの数日間、私たちがした交合はお世辞にも愛のあるものとは言い難い。むしろ、私はエリオンから一方的に貪られるだけだった。
 行為を思い出すと身体が落ち着かなくなる。急いで頭を振った。

「アレクシアからえっちしたいって言った?」
「もちろん言ったわ」

 私が閨のことをしたいと言ったら、エリオンは少し困った顔をして、「生活がもっと落ち着いたら」とやんわり断ってきたのだ。
 エリオンは勉強が忙しくて、私と閨の事をする気になれないのかもしれない。理由は分かるが、毎晩彼の隣で寝ている私は少しイライラしている。抱き潰されたあの数日間がまるで嘘のようだ。

「アレクシア、レスを解消する良い方法があるよ?」
「なあに?」
「耳、かして」

 食事時のカフェテリア。この店は、飲み物以外は軽くつまめる物しか置いていないからか客の姿はまばらだ。それでもヘレナは私に耳打ちした。


「……襲う? 私から?」



 ◆



 夜。私はいつも通りベッドの上でエリオンと手を繋ぎ、瞼を閉じた。閉じただけで、眠れはしないが。
 エリオンの手の力が抜けたところで、名残り惜しく感じながらもするりと離した。

「はぁ……」

 ふと隣を見ると、エリオンは健やかな寝息を立てている。彼は寝る前に薬湯を飲んでいるからか、寝付きが良い。薬湯は季節性頭痛に効くもので、催眠効果があるらしい。
 瞼を閉じたエリオンの顔を見つめていると、胸の奥が疼く。なんて綺麗な顔なのだろう。切れ長の瞼をふちどる黒いまつ毛は頬に影を作るほど長く、高い鼻梁もやや薄めの唇も腹が立つほど整っている。彼は西国の反乱を止めるため出征したが、美しい顔には傷ひとつ付いていない。

 ヘレナはこの綺麗な顔に自分からキスをしろと言う。寝ている時にちゅっと口づければアラ不思議、エリオンはメロメロ、瞬く間にセックスレスは解消されるらしい。そんなバカな。
 そんなわけないと思うが、でもレス状態は解消したい。せっかく周囲を説得し、復縁出来たのだ。肉体的にもエリオンと仲良くしたい。もう清らかな関係がかれこれ合計一年半近く続いているのだ。

 このままずっと閨の事が出来なかったらと思うと悲しい。エヴニール家で半端無理やり抱かれた時はあれほど彼を恨んだというのに。はたから見れば、私は飛んだ都合の良すぎる絆され女だろう。私がペーパーバックの恋愛小説の主人公ならば、読者から出版所へ抗議の手紙がわんさか来るに違いない。自分でもそんなことはわかっているが、王都で再会したエリオンの優しさに触れ、すべてを水に流したくなったのだ。

 よし! と気合を入れて、すすすとエリオンの顔に顔を近づける。うるさいぐらい高鳴る胸を手でぎゅっと押さえ、拳一つ分の距離まで顔が近くなった瞬間、私は脱兎の如くぴゃっと飛び退いた。

「ぅ……できない」

 胸が押しつぶされそうなほど痛くて、このままエリオンの唇に自分の唇をあてたら、死んでしまうのではないか──本気でそう思った。

「キスなんか、ぜったい無理……!」

 今、私は本気でエリオンに恋をしていた。本当に今更だが、少し目が合うだけでも恥ずかしくてパッと視線を逸らせてしまうぐらいには彼のことを意識している。
 本当はベッドで手を繋ぐのさえ、けっこう大変だったりする。エリオンから手を差し出されると、嬉しいけれど恥ずかしくて、下唇を噛んでその手を振り払うのをいつも我慢しているのだ。

「ううっ、気持ち悪い……」

 緊張し過ぎて、何だか気分が悪くなってきた。自分から何か性的なことをするなんて、慣れないことはすべきじゃないなと思いながらベッドサイドにある水差しを取る。ひや汗をかいた身体に、ただの水でも美味しく感じられた。

 今日はもう寝よう。ベッドの端、ぎりぎり落ちない位置に横になり、エリオンに背を向ける。まだ胸がドキドキする。彼のことを好きになれたことは良いが、今の私は少々意識し過ぎているかもしれない。
 エリオンとはもっと凄い行為をしたことがあるのに、何故キスの一つも私から満足にできないのだろうか。以前彼から半端無理やりされたのだから、私から仕返しても問題はないと思う。でも、出来なかった。今、顔どころか耳まで熱い。きっと私は火がついたように真っ赤な顔をしている事だろう。
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