契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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この子は本当にもう!

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「……契約妻? アレクシアが?」
「ええ」

 観念した私は、半年間だけエヴニール家で契約妻をしていた事実をヘレナへ話した。
 その半年間がどのようなものだったのかは言っていない。
 婚姻していた半年間、エリオンからほぼ無視された状態で、最後の数日間は卑猥なことを言われながら無理やり抱かれたなんて正直に言ったら、ヘレナがエリオンに何をするか分からないからだ。

 西国で武力蜂起があり、その鎮圧のためにエリオンが出征することになり離縁したと、私はヘレナに説明した。

「どうして客員騎士様の帰りを待たなかったの? 二年間の婚姻の約束でしょう?」
「……エリオン様のお兄様がエヴニールへ戻られたからよ。エリオン様はエヴニール家の当主ではなくなってしまったから、契約妻は必要なくなったわ」
「別に当主じゃなくても奥さんがいたっていいじゃん。それに客員騎士様はアレクシアのことがまだ好きでしょ? 『待ってて』って言われなかったの?」
「離縁はエリオン様のお兄様が決められたことよ」

 離縁は私から言い出したことだ。
 エリオンとは結婚してから半年間、ろくな会話がなく、このままこんな生活は続けたくないと私は喚いた。


「全部終わったことだから」

 そう、すべて終わったことだ。
 それなのに、未だにエリオンの存在が心から消えてくれない。
 離縁して半年。私はまたエリオンと再会してしまった。
 彼のことをどう思っているのか、はっきりしないまま。

「終わってないよね……? その顔は?」

 私の顔を覗き込む、心配そうなヘレナの顔がそこにあった。

「アレクシアも未練あるよね?」
「……どうかしら」
「ねえ、アレクシアってエリオン様とえっちな事してた?」

 ──この子は本当にもう……!

 顔がかああと熱くなるのを止められない。
 戦慄く下唇を急いで噛むも、バレバレだろう。
 ヘレナは動揺している私を見、『やっぱりな』と言わんばかりの顔をしている。

「あー……やっぱり半年間も結婚してたら色々あるよね。二人は美男美女だし」
「う、うるさい! そういうことをしてたらなんなのよっ!」

 私は一方的にエリオンに乗り掛かられていただけだ。
 最初はあの太くて硬いもので股をがつがつ穿られて痛いだけだったのに、最終的には気持ちよくなっていた。
 今では……。そういう肉体的な行為に恐怖を感じているけど、本音を言えば、肌寂しいような気もしている。
 自分でも相反する考えや気持ちが、心の中に共存する現状を理解出来ないのだ。

「たぶん、部屋付きになったらずるずる身体の関係になっちゃうよ」
「ならないわよ!」
「お互いはじめて同士だったんでしょ?」
「……だから何よ」
「焼けぼっくいに火が付きやすい状況だなって思って」

 また同じことを繰り返すつもりなのかと、私だって自問自答した。
 でも、エリオンの側にいたいという欲求がどうしても強くて、私は負けてしまった。

「どうしよう、ヘレナ」
「さっさと自分がどうしたいのか、答えを決めたほうがいいね。ああ、この場合は感情は抜きにしたほうがいいよ」
「感情は……抜きにする?」
「そうそう。人間なんてさ、一つのことに対して気持ちが一種類しかないなんてあり得ないじゃん? どれだけ仲がいい家族でも、イライラしたり嫌いだと思うことはあるでしょ? 」

 ヘレナの言葉に、ぱちぱちと瞬きする。

「アレクシアはさー。客員騎士様に、きっと振れ幅が大きすぎる感情を持っているんだと思う。だって、普段すっごく落ち着いてるアレクシアがさ、客員騎士様のことになると、泣いたり怒ったり忙しそうだもん」
「そ、そう?」
「そう! だからさ。いっそ感情を抜きにして、客員騎士様のことを判断してみたら? 利用できそうな男だなと思ったら、さっさと自分から復縁に持ち込む。こいつはやっぱりダメだなと思ったら、部屋付きをきっぱりやめる」
「そんなの!」
「男女の仲なんてそんなもんだよ。アレクシア、王城の掃除係の仕事をいつまで続けるつもり? 病気になったらどうするの? 実家に何かあったら? ……客員騎士様は伯爵家出身の超優良男だよ。暴力振るわない金癖が悪くないなら、割り切って復縁に持ち込むのもいいんじゃない?」

 そう言うと、ヘレナは窓の外を指差した。
 近衛部隊が武器を振るい、演習している勇ましい様子が見えた。
 黒い制服を着たエリオンの姿が見え、胸の奥が疼いた。

「観覧席を見なよ。ここにはさ、政略結婚が叶わなかったお嬢様方がわんさかいるんだよ。アレクシアは客員騎士様に好かれてるんだから、恵まれてるよ。みんな誰かに見初められたくて、一縷の望みをかけて見学に来てるんだから」

 観覧席には黄色い声を上げる女性たちがたくさんいた。全員が全員、エリオンのファンだとは限らないが、この中の何人かは彼に本気で好意を抱いていたとしても不思議じゃない。
 なにせ、エリオンは美形だから。

「なーんて、色々生意気なこと言ってごめんね……。アレクシア」
「……大丈夫よ、こちらこそありがとう。ヘレナ」




 ◆




「ヘレナに断られた?」

 翌日、私はエリオンにオペラのチケットを返した。
 私を仮住まいの部屋付きにする手続きを済ませた彼が、わざわざ迎えに来たのだ。

「……申し訳ありません」
「いや、謝る必要はない。このチケットは俺が勝手に用意したものだ。これは近衛騎士の誰かに譲ることにしよう」

 悲しそうなエリオンの様子に胸が痛くなる。
 エリオンとオペラなんてとんでもないと思う自分と、一緒に行きたかったと思う自分がせめぎあう。

「今度は、アレクシアに付き合ってもらえるような案を頑張って考えるよ」

 そんな優しい言葉をエリオンは紡ぐ。
 どうして今さら、彼は私に優しくするのか。
 最初の婚姻の時からこうしてくれていれば、今頃子どもの一人でも腕に抱いていたかもしれないと思うと、また悲しくなった。

「今の私はただの使用人ですから」

 エリオンにはエリオンなりの事情があった。彼には西国へ出征する予定があり、私と死に別れる可能性があった。エリオンは自分の死で私を悲しませたくなかったと言い、あえて半年間私と距離を取り、最後は言葉に出来ないようなことをした。
 私は短い間だけでもエリオンと仲良くしたかったので、彼の考えは理解できなかったが。

 二人で夕暮れの道を歩く。
 会話はない。
 また、ろくに交流のない毎日がはじまってしまうのだろうか。
 胸にじわりと不安が広がった。
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