契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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仮住まい

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「ここに来る前に君の家へ謝りに行ったよ」

 こぽぽと音を立てながら、エリオンはポットにヤカンの湯を注ぐ。良い茶葉なのか、花のような華やかな香りがぱっとあたりに広がる。
 柔らかな日の光が入る応接室。
 私たちはエリオンの仮住まいにいた。

 エリオンは紅茶を淹れることが出来たのか、と驚く前に、うちの実家へ行ったと告げられてびっくりした。

「なぜ……」
「二年の婚姻の約束だったのに、俺のせいで半年で終わってしまっただろう? 契約満了金も当初の四分の一しか支払えていなかったし、残りの四分の三を支払える目処が立ったから、あらためて君の家へ謝罪に行ったんだ」

 やたらとお金の話になる。私があの日、執務室で喚いたからだろうが。

「……私の両親は受け取ると言ったのですか?」
「理由を話してなんとか受け取りを了承して貰った。……これで君の家の情勢が少しは上向くといいのだが」
「お金はどこで……」
「ああ、西国で反乱軍の将を俺が討ち取ったんだ。かなり厳しい戦いだったが、そのぶん破格の褒賞金が出た。これでエヴニール家の体面も保てると思う」

 大手柄を立てたはずなのに、そう呟くエリオンの声には力がない。
 傍目には五体満足そうに見えるが、もしかしたら戦が原因で彼は何か瑕疵を負ったのかもしれない。
 自分には関係のことだと思いたいのに、彼に何かあったのかと思うと落ち着かない気持ちになる。
 本来ならば、ざまあみろと思う場面だろうに。

 鮮やかな色をしたカップの中身を見つめていると、エリオンに「何も入っていないから」と言われてしまった。

「別に、疑ってませんよ。何か入れられてるなんて」
「そうか」

 やはり会話はろくに続かない。
 気まずい雰囲気は相変わらずだ。
 でも、何か話さなければと思い、周囲を見た。
 エリオンが近衛部隊から提供されたという仮住まいは、一人で暮らすには広すぎる邸宅だった。
 二階建ての戸建で、応接室を含めると六つも部屋があるらしい。

「アレクシアも一緒に暮らすか? 一人で住むには広すぎる」

 白を基調とした明るい内装に、日当たりも良い。まだこの屋敷は建てられてから日が浅いのか、クロスの糊の匂いがする。椅子やテーブルなどの調度品も真新しい。
 自分が家庭を持ち、夫婦で暮らし始めるのならこんなところが良い。思わず、そう妄想してしまうほど素敵な場所だった。

「そうですね」

 外からの風を受け、ふわりと広がるレースのカーテンを見つめながら肯定の言葉を返すと、カップの持ち手を取ったエリオンの手がぴくりと止まった。

「一緒に暮らしたいです」

 私がそう言うと、エリオンは切れ長の瞳を見開いた。
 彼はまさか、私が頷くとは思わなかったのだろう。悪い冗談のつもりで一緒に暮らさないかと言ったのかもしれない。

 私はエリオンのことが心配だった。
 今だけでも側にいたいと思った。

 私は王城の使用人と言っても、ただの掃除係に過ぎない。部屋付きの侍女ではないので王城内に暮らす義務はない。
 住居は自由なのだ。


「……いいのか?」
「はい」

 またベッドに引きずり込まれてしまう可能性を考えたが、もしもそうなったところで最悪避妊薬でも飲めばいいし、今さらエリオンから何かされたところで、私自身は何も変わらないとも思う。
 どこか弱った様子の彼を見て、少し絆されてしまったのかもしれない。自分でも甘いなと思う。エヴニール家で彼と過ごした時間は悲惨なものだったのに。

 それに今の私はエリオン以外の男性に興味を持てないし、結婚相手を探そうとも思えない。
 だから私はエリオンと向き合って、自分の気持ちに決着をつけたいと思った。
 せっかく再び逢えたのだから。

「別にいいなと思っている男性がいるわけではないですし、結婚相手を探そうとも思っていません。今の私は完全に自由の身です。あなたと二人で暮らして、まわりから何を言われても気にしません」
「……なるほど、では君を俺の部屋付きに指名しよう」
「部屋付き?」
「ああ、この家は一人で暮らすには広いだろう? 手入れをする者を一人つけてはどうかと近衛の副官から言われたんだ。指南役の仕事は忙しくないし、俺一人でも維持できると断ったのだが……。君がここに住んでくれるのなら、君を俺の部屋付きに指名しよう。そうすれば、王城で掃除係をしなくても済むだろう?」

 ──へ、部屋付き……。

 そうか、その手があったかと思った。
 でも、エリオンのお世話係として彼と一緒に暮らすだなんて。それこそ一般家庭の妻のようだ。

「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む。君を俺の部屋付きにする手配はこちらでしておこう」

 ──ヘレナになんて言おう。

 妙に勘の鋭い彼女は、エリオンのことをかなり警戒していた。
 私はヘレナにエヴニール家で契約妻をやっていたことを言っていない。私はエヴニール家で働いていた元使用人ということになっている。それなのに、エリオンと私の間に何かあったんじゃないかとヘレナは勘ぐっているのだ。

 私がエリオンの部屋付きになったと聞いたら、さぞや怒ることだろう。『警戒心がなさすぎる!』と。
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