契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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中庭で二人

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 翌日。
 私はエリオンと二人きりで中庭にいた。

「……頭の怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、たいしたことはない」

 人一人分間をあけて、二人で東屋のベンチに腰掛ける。使用人たちの憩いの場として解放されているここは、平日の昼間ということもあり、人の姿はまばらだ。

 昨日こっそり、この場所を記したメモを握らされたのだ。エリオンにいつこんなものを用意したのかと聞くと、客員騎士として王城に行くことが決まった段階でメモを作って常に懐に忍ばせていたという。

「アレクシアと、どうしてももう一度話がしたかったから。メモを作ったのは願掛けだ。また、君に逢えるようにと」

 そう言って、薄く笑うエリオンに不覚にもときめきそうになった。
 彼にされたことを忘れたわけではないが、彼が生きていたという安堵感で少々怒りの気持ちが薄らいでいるのかもしれない。
 エリオンが出征した西国での戦いはそれはそれは激しかったと聞く。彼が五体満足で戻ってきたというだけで、胸がいっぱいになる。

 エリオンの西国での活躍はよほど凄いものだったらしく、彼は反乱の鎮圧後、客員騎士として王城へ呼ばれた。
 半年間、近衛部隊の槍戦術の指南役として、指導することになったらしい。
 これがどれほど凄いことなのかはよく分からない。

「今日のお仕事は?」
「この頭を近衛の副官へ見せたら、今日は休みでいいと言われたんだ。酔っ払ってうっかりベッドに頭を打ち付けただけだと言ったんだがな」

 エリオンはヘレナにやられた頭の傷を、そのように近衛の人間へ伝えたらしい。
 
「本当に、ヘレナが申し訳ありませんでした」
「君が謝る必要はない。それに、彼女が俺のことを殴ったのは君を守るためだ。彼女が言うとおり、君が倉庫から出てくるまで待てば良かったんだ。……また君に怖い思いをさせてしまった。悪かった……」

 確かに怖い思いはした。
 だからと言って、ヘレナがデッキブラシでエリオンを叩いていいことにはならないだろう。

 二人とも黙りこみ、気まずい空気が流れる。
 エリオンに色々聞きたいことがあったはずなのに、いざ彼を前にするとなかなか言い出せない。 
 ぴっちり閉じた膝の上で、もじもじと両手を擦り合わせる。

 今日は私も一日休みだった。
 手持ちの服のなかで一番可愛らしいものを選んで着てきた。髪は緩やかに結いあげて普段はしないリボンで結んだ。
 エリオン相手におしゃれをする必要なんか一切ないのに、夕べは鏡の前でああでもないこうでもないと言いながら、遅くまで今日の装いをどうするのか悩んだ。
 まるで恋する乙女のように。

 火照る顔を誤魔化すために俯くと、エリオンが口をひらいた。
 
「……今日のその格好」
「は、はい!」
「すごくアレクシアに似合っている。アレクシアはやはり、淡い色がよく似合うな」

 今日の私は、薄紅色のワンピースを着てきた。
 私が王城で働きはじめた時に義姉がわざわざ贈ってくれたもので、ドレスを仕立て直してくれたのだ。エヴニールの屋敷にいた時、いちばん着ていたお気に入りのドレス。あの頃は、エリオンに服装を褒められたことはなかった。

「エヴニールでも、その色のドレスをよく着ていたよな。朝食の時、君の格好が薄紅色のドレスだと嬉しかった。一際、君が綺麗に見えたから」

 遠くの青空を見つめながら、エリオンは言う。

 あの短い婚姻期間、たしかに私はエリオンから愛されていたのだろう。
 しかし、夫の愛は明後日の方向に向いていて、私に直接向けられることはなかった。

「もう、終わったことです……」

 そう、終わったことだ。
 まだエリオンは私のことが好きなのかもしれないが、私は混沌とした自分の気持ちにまだ整理がついていない。

「アレクシア、お願いがあるんだ」

 俯いていると、目の前にチケットを差し出された。
 短冊型になったそれは、オペラのチケットだった。

「これは?」
「一緒に行かないか? 君がオペラを見たがっていると、フレデリクが言っていたことを思い出したんだ」

 契約結婚をしたばかりの頃。家令のフレデリクから、新婚旅行へはどこへ行きたいか尋ねられたことがあった。
 その頃の私はまだエリオンと仲良くなることを諦めてはおらず、王都へ行ってロマンチックな歌劇でも観て、親睦を深めたいと真剣に考えていた。

 実際は、私のリクエストは一つも通ることはなく、新婚旅行すら叶わなかった。
 今思えば、あの頃のエリオンは領主業をはじめたばかりで忙しく、新妻をかまっている余裕などなかったのだなと思えるが、その当時は寂しくて仕方なかった。
 伴侶と上手くやっている友人たちと比べては、自分の惨めな状況に落胆していた。

 私はオペラのチケットを手にしたまま、首を横に振る。

「お断りさせてください」
「……好きな演目ではなかったか?」
「いいえ。私はもう……こんなことをしてもらう立場にありませんから」

 私はもう、エリオンの妻でも何でもない。
 彼はどうして今さらオペラを見に行こうなんて言い出したのか。

「オペラのチケットが無駄になる。二枚あるからヘレナと一緒に行ってくるといい」
「別の女性を誘ってはいかがです? 別に私にくださらなくても」
「俺は君にためだけにオペラのチケットを用意した。君が行かなければ意味がないな」

 昨日今日でよく人気のオペラのチケットを用意出来たなと思ったが、もしかしたらこのオペラのチケットも、願掛けで前もって用意していたのかもしれない。
 無下にするのもよくないと思った。

「……それなら、頂きます」

 私が二人分のオペラのチケットを受け取ると、エリオンは満足げに頷いた。その穏やかな笑顔に胸の奥が苦しくなった。

「今から時間はあるか?」
「はい」
「良かったら俺の仮住まいに案内しよう。けっこう綺麗なところなんだ」

 エリオンは近衛の客人だ。そりゃそれなりに良い住まいを用意されているだろう。
 でも、男が暮らす部屋に一人だけで行くのは抵抗がある。
 今さら何かをされたところで、どうという事もないのだが。

「そんなに警戒しなくても。もう君には何もしない」

 襲われないか心配しているのを見破られてしまった。顔に出ていただろうか。
 今のエリオンには、近衛の客人という立場がある。そんな状況で私に無体は強いることはないだろう。

「……行きます」
「ああ、茶でも出そう」
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